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220403読んだ本

伊丹十三監督『お葬式』ではお通夜の前に茂みの中で主人公(山崎努)が愛人(高瀬春奈)と・・・
あまりの寒さに4月に入ったけど昨夜から湯タンポを寝床に入れている〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

岡村繁『新釈漢文大系117 白氏文集 二下』(明治書院,2007)

本書544頁の解題に「秋の夜の、一人寝のわびしさを詠じた詩である。前詩に続いて、母の喪に服して
いた渭村での作。」とある、白居易(白楽天)の「秋夕[しうせき]」(0450)を本書544頁から通釈
(「訳注稿」は柳川順子が担当の由)とともに引く(ただし、返り点は略)(⌒~⌒)

    葉聲落如雨 月色白似霜  葉の聲は落つること雨の如く、月の色は白きこと霜に似たり。

    夜深方獨臥 誰爲拂塵牀  夜深[よふ]けて方[まさ]に獨り臥[ぐわ]す、
                 誰[たれ]か爲に塵牀[ぢんしやう]を拂[はら]はん。

     枯葉の落ちる音は降る雨のようで、月の色は霜のような白さだ。

     夜も更けてからやっと一人ぼっちで床に就こうとしたが、
     私のために埃っぽいベッドに夜具を敷きのべてくれる人は誰もいない。

一読してコレはウケるだろうと思ったら、予想通り、余説(本書545頁)に本詩を踏まえた和歌が5首
も挙げられていた(⌒~⌒) 慈円の『拾玉集』の詠百首和歌の秋に「葉声落如雨、月色白似霜」の題で
「夜もすがら月に霜おくまきのやにふるかこの葉も袖ぬらすらむ」はいいが、恋に「夜深方独臥、誰
為払塵床」と題し「見せばやなちりもはらはぬ枕より夢のたえぬるかたしきの袖」はどーなん(^_^;)
寂身の『寂身法師集』の題文集詩の恋に「夜深方独臥 誰為払床塵」と題して「ふす床の涙のちりは
つもれどもよそにふけゆくかたしきの袖」もある由、何だかなぁ(^_^;) 藤原定家の『拾遺愚草員外』
の文集百首の秋に「葉声落如雨、月色白似霜」の題で1首、恋に「誰為払塵床」の題で1首、それぞれ
挙げられているけど、久保田淳(校訂・訳)『藤原定家全歌集 下』(ちくま学芸文庫,2017)から訳
とともに引く(^_^;)

      葉声落如雨 月色白似霜

    声ばかり木の葉の雨は古郷の庭もまがきも月の初霜

     木の葉の降る音は雨に似ている。そして、旧里の庭や籬に
     降り注ぐ月光は初霜にそっくりだ。

      誰為払塵牀

    あれはてぬ払はば袖のうき身のみあはれいくよの床の浦風

     床はすっかり荒れてしまった。その上に積もった塵を払っても訪れる人はなく、
     ただわが身を横たえるだけ。このようにして、幾年生きるのであろうか。

後者の本歌として久保田淳は伊勢タン「わたつみとあれにし床を今さらに払はば袖や泡と浮きなむ」
を挙げているけど、例えば、片桐洋一『古今和歌集全評釈(中)』(講談社学術文庫,2019)が同歌の
語釈において〈「袖で寝床の塵を払う」という言い方は、男女の交情が復活する際のシンボルの表現
となっている。〉と指摘しているように、そーゆー風に白居易「秋夕」も理解すべきなのかな(^_^;)

渭南市と渭南県、どちらが正しいのか判らないけど、「前詩」(0449)の「寄元九」(「元九[げん
きう]に寄す」)の解題には、

    /元稹(九はその排行)に書き送った詩である。自注に、これより以降の詩が
    渭村での作であることを記す。渭村は、京兆府東郊の下邽(今の陝西省渭南市北)
    にある村で、白居易は、母を喪った元和六年(八一一)から三年間、この地で
    喪に服した。前詩「重ねて渭上の旧居に到る」(〇四二三)では、この村の旧宅に
    帰って来たことが述べられている。・・・

と記され(本書542頁)、その「重到渭上舊居(重ねて渭上の舊居に到る)」(0423)の解題にも、

    /再び渭水のほとりの旧宅にやってきたことを詠じた詩である。白居易は、元和六年
    (八一一)四月、母陳氏の喪に服して下邽(今の陝西省渭南県の北東、渭水の北岸)に
    退居したが(『旧唐書』巻一六六、本伝)、彼はこれより七年前の貞元二十年(八〇四)、
    住居を渭水のほとりに設けている。・・・

とあり(本書500頁)、母親が亡くなったことを「誰もいない」と表現したと小生は解してたよ(^_^;)
慈円や藤原定家らは、この時、白居易が「母の喪に服していた」ことを知らなかったのかねぇ(^_^;)

「秋夕」(0450)の直後の「夜雨[やう]」(0451)が「夜の雨音を聞きながら、遠くにいる人への
連綿たる思いを詠じた詩である。前詩に続いて、母の喪に服していた渭村での作。」(本書545頁)と
解題され、「我に念[おも]ふ所の人有り、隔たりて遠遠たる郷に在り。・・・」(本書545頁)云々
という詩なので(「私にはいつも心にかかっている人がいて、その人は今、遠い村にいる。・・・」
と本書546頁に通釈)、慈円や藤原定家らは「秋夕」を(男の側からの)閨怨と解したのかねぇ(^_^;)

でも、この「人」が女性とは限らない(^_^;) また「寄元九」(0449)「より以降の詩が渭村での作」
と「自注」され(前述)、後詩の「別李十一後、重寄(李十一に別れし後、重ねて寄す)」(0489)
に「自此後江州路上作(此より後は江州路上にて作る)」と自注(本書597頁)され「・・・本詩以降
は、長安から江州(今の江西省九江市)へ左遷される途上での作である。・・・」と解題されており、
両詩の間にあって、渭村における作となる「秋霽[しうせい]」(0452)に「・・・/獨り對す多病
の妻、針線を理むる能はず。・・・」(「・・・ところで私は一人、病気がちの妻と肩を寄せ合って
いるが、彼女は針仕事もままならないから、・・・」)とある以上(本書547頁)、「妻」が傍にいる
わけで(植木久行『唐詩歳時記』[講談社学術文庫,1995]にも「元和六年(八一一)四月、母が長安
の宣平坊でなくなり、白居易は下邽[かけい]に退居して三年の喪に服した。白居易は家族の者と渭水
の北岸にある金氏村(長安の東北郊)に住み、・・・」)、「多病の妻」ゆえ「塵牀を拂」えないと
無理に辻褄を合わせた解釈をするならともかく、「男女の交情が復活」的な恋話にするのは変(^_^;)

陳舜臣(監修)『中国古典紀行2 唐詩の旅』(講談社,1981)所収の菅野禮行「白楽天と日本文学」に
次のような指摘があるv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    ・・・/さて、白楽天の日本文学への影響のあり方は、以上述べてきたように、
    総じてその佳句麗章を主とした断章取義的なものであった。その佳句麗章の集
    として、最も忘れることのできないのが、藤原公任撰の『和漢朗詠集』(長和
    二年〈一〇一三〉ごろ成立)である。・・・/このように、白楽天の平易流暢な
    佳句麗章は、王朝風の耽美的な情趣を一段と高める役割をになった。しかし問題は、
    作者の片言隻句が、全詩の主題とはかかわりなしに、公任の設定した部立の中に、
    恣意的に、勝手に摘みとられていることである。これははたして「詩魔」をもって
    自認していた作者の、本意に沿うものであったかどうか。・・・
    
アンソロジー=『和漢朗詠集』ではなく直接テクスト=『白氏文集』に当たってても変わらん(^_^;)

[追記220427]

父が亡くなって喪に服しているにもかかわらず女を訪ねてしまった藤原道信の釈明の歌がある(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-21
タグ:和歌 古典 中国
コメント(8) 
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コメント 8

tai-yama

「夜深方獨臥 誰爲拂塵牀」
私じゃないよ。私じゃないんだから(泣)。
by tai-yama (2022-04-03 23:39) 

ぽ村

初見は地方でやっていた土曜ロードショーでしたねお葬式

月曜ロードショーもやっていて、2年に一度は見れた気がします
意味が分からなかった描写も、年を追うにつれてわかるようになり、中学生の頃には(≧∇≦)キャーな内容と理解できた気がします
今はyoutubeで配信されてますね
もっとたくさん見たかったな伊丹作品…
by ぽ村 (2022-04-03 23:53) 

ナベちはる

4月に入っても、寒い日はまだ続きますよね。
もうすぐ暖かい…を超えて暑い日が来るというのが信じられないです。
by ナベちはる (2022-04-04 01:42) 

middrinn

石田ゆり子や大原優乃が訪れてくるかもと妄想する
tai-yama様は毎晩「袖で寝床の塵を払う」(^_^;)
by middrinn (2022-04-04 07:29) 

middrinn

「土曜ロードショー」も「月曜ロードショー」も初耳で、
ぽムたん、ネット検索しちゃった(^_^;) 荻昌弘が解説
してた番組か(^_^;) 伊丹映画は題材も奇抜でしたけど、
癖のある個性的な役者が多く起用されていた印象(^_^;)
by middrinn (2022-04-04 07:40) 

middrinn

先週の22日は雪が降りましたけど、先々週の14日は、
ナベちはる様、夕方5時でも25度ありました(^_^;)
by middrinn (2022-04-04 08:02) 

df233285

今世紀に入って、何とは無しに私は疑っていたのですが。
日本列島はいま「中国南部都市の都市型気団」にすっぽり
覆われていて、日本の温暖化はニセモノで、「中国の経済活動の
極東大規模ヒートアイランド現象」が正体なのでは。つまり
上海市の経済活動が、ステルスオミクロンコロナの炎上で
鈍ったので、4月に入り急に、その寒気がもしや来ているのでは
ないかと疑っています。なお寒気の再来による呼吸器系の病気は、
ひき始めの”病気立ち上がり”への、素早い対応が大切。
by df233285 (2022-04-04 08:48) 

middrinn

ソ連時代に打ち上げられた巨大人工衛星ルサルカが照射するマイクロ波によって、
シベリアの気温を上げ、永久凍土や海氷から解放して、資源の宝庫・緑の大地に
変えようとした結果、シベリア上空の寒気が通るようになった日本が寒冷化する
御厨さと美『ルサルカは還らない』(集英社SCオールマン,1996-98)全5巻は
傑作漫画(^o^)丿 とまれ、雨は降れども、流石に雪にはなってませんね(^_^;)
by middrinn (2022-04-04 09:56) 

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