220322読んだ本
正しくは「名残の雪」だと思うけど、おそらく字余りなところだよねぇ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
【読んだ本】
久保田淳(校訂・訳)『藤原定家全歌集 下』(ちくま学芸文庫,2017)所蔵本
『西行物語絵巻』に端を発し(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-07 )、
花山院が歌を詠み(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-08 )、有間皇子の
岩代の浜との関係も気になる(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-13 )
千里[ちさと]の浜について藤原定家が詠んだ歌があった(^^) 建仁元年(1201年)10月14日の詠で、
詠んだ場所は近露王子だけど(なお、『熊野御幸記』は『明月記』の「建仁元年十月記」のことで、
芸術新潮2009年11月号の特集「京都千年のタイムカプセル 冷泉家のひみつ」に10月9日条の全訳)、
爛漫亭様から頂戴したコメントを受けて調べていたら見付かった次第で、本書から訳も引く(⌒~⌒)
雲きゆる千里の浜の月かげは空にしられてふらぬ白雪
雲の消えた千里の浜を照らす月の光は、
空にそれと知られながら降ってこない白雪のよう。
本書が本歌とする紀貫之「桜散る木の下風は寒からで空に知られぬ雪ぞ降りける」は知ってたけど、
月光を白雪に喩えたのは凄いなぁと一瞬思うも、後鳥羽院の熊野御幸に随行した際に開かれた歌会で
「浜月似雪」という題を与えられての詠歌だから、もしかして漢詩文によくある喩えなのかな(^_^;)
きわめて絵画的な表現と思い、『新古今和歌集』だけざっと調べると、藤原重家の歌があったので、
とりあえず峯村文人(校注・訳)『新編日本古典文学全集43 新古今和歌集』(小学館,1995)から訳
も引く(^_^;)
法性寺入道前関白太政大臣家に、月歌あまたよみ侍りけるに
月見れば思ひぞあへぬ山高みいづれの年の雪にかあるらん
法性寺入道前関白太政大臣[藤原忠通]家で、月の歌を数多く詠みました時に
月の光を見ると、あまりにも清らかに美しくて、月の光とは思えない。
山が高いので残っている、いつの年の雪であるのであろうか。
田中裕&赤瀬信吾(校注)『新日本古典文学大系11 新古今和歌集』(岩波書店,1992)は、「・・・
冷厳な月光を仰いで太古の根雪の光かと疑ったのである。」と記している(^_^;) ところが、この歌は
「・・・概して不評な作である。」と、久保田淳『新古今和歌集全注釈 二』(角川学芸出版,2011)
にはある(^_^;) その理由は、三統理平の漢詩文の翻案にすぎないから(^_^;) 菅野禮行(校注・訳)
『新編日本古典文学全集19 和漢朗詠集』(小学館,1999)から訳も引いておく(^_^;)
天山には弁へず何れの年の雪ぞ 合浦には迷ふべし旧日の珠
月光が大地を隈なく照らしている。ふと、あの天山にいつ雪が降ったのかと
思われるほどである。また、月が美しく水面に映って、それが真珠のようなので、
あの合浦の昔取れた真珠が、いつの間にまた取れるようになったのかと錯覚する。
【読んだ本】
久保田淳(校訂・訳)『藤原定家全歌集 下』(ちくま学芸文庫,2017)所蔵本
『西行物語絵巻』に端を発し(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-07 )、
花山院が歌を詠み(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-08 )、有間皇子の
岩代の浜との関係も気になる(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-13 )
千里[ちさと]の浜について藤原定家が詠んだ歌があった(^^) 建仁元年(1201年)10月14日の詠で、
詠んだ場所は近露王子だけど(なお、『熊野御幸記』は『明月記』の「建仁元年十月記」のことで、
芸術新潮2009年11月号の特集「京都千年のタイムカプセル 冷泉家のひみつ」に10月9日条の全訳)、
爛漫亭様から頂戴したコメントを受けて調べていたら見付かった次第で、本書から訳も引く(⌒~⌒)
雲きゆる千里の浜の月かげは空にしられてふらぬ白雪
雲の消えた千里の浜を照らす月の光は、
空にそれと知られながら降ってこない白雪のよう。
本書が本歌とする紀貫之「桜散る木の下風は寒からで空に知られぬ雪ぞ降りける」は知ってたけど、
月光を白雪に喩えたのは凄いなぁと一瞬思うも、後鳥羽院の熊野御幸に随行した際に開かれた歌会で
「浜月似雪」という題を与えられての詠歌だから、もしかして漢詩文によくある喩えなのかな(^_^;)
きわめて絵画的な表現と思い、『新古今和歌集』だけざっと調べると、藤原重家の歌があったので、
とりあえず峯村文人(校注・訳)『新編日本古典文学全集43 新古今和歌集』(小学館,1995)から訳
も引く(^_^;)
法性寺入道前関白太政大臣家に、月歌あまたよみ侍りけるに
月見れば思ひぞあへぬ山高みいづれの年の雪にかあるらん
法性寺入道前関白太政大臣[藤原忠通]家で、月の歌を数多く詠みました時に
月の光を見ると、あまりにも清らかに美しくて、月の光とは思えない。
山が高いので残っている、いつの年の雪であるのであろうか。
田中裕&赤瀬信吾(校注)『新日本古典文学大系11 新古今和歌集』(岩波書店,1992)は、「・・・
冷厳な月光を仰いで太古の根雪の光かと疑ったのである。」と記している(^_^;) ところが、この歌は
「・・・概して不評な作である。」と、久保田淳『新古今和歌集全注釈 二』(角川学芸出版,2011)
にはある(^_^;) その理由は、三統理平の漢詩文の翻案にすぎないから(^_^;) 菅野禮行(校注・訳)
『新編日本古典文学全集19 和漢朗詠集』(小学館,1999)から訳も引いておく(^_^;)
天山には弁へず何れの年の雪ぞ 合浦には迷ふべし旧日の珠
月光が大地を隈なく照らしている。ふと、あの天山にいつ雪が降ったのかと
思われるほどである。また、月が美しく水面に映って、それが真珠のようなので、
あの合浦の昔取れた真珠が、いつの間にまた取れるようになったのかと錯覚する。
タグ:和歌
定家も千里浜を歌っていたのですね。
近露には以前、散歩にでかけていました。
山中のちょっとした盆地です。
by 爛漫亭 (2022-03-22 22:55)
情景的な歌だけど、きっと詠んだ時は本日(3/22)みたいな
くそ寒い状況だったと。イルカの「なごり雪」な情景とは
違うんだろうな・・・
by tai-yama (2022-03-22 22:59)
どれだけ中身が良くても、字余りだとそれだけでも違和感が出るのが難しいですね。
by ナベちはる (2022-03-23 01:47)
嘱目の詠でないところが、
爛漫亭様、残念(^_^;)
by middrinn (2022-03-23 06:50)
寒さが厳しいと、月の光も雪のように見えるのかな(^_^;)
あるいは、根雪が寒さで氷って光っていたと(^_^;) でも、
tai-yama様、翻案だから実際の風景ではなさそう(^_^;)
by middrinn (2022-03-23 07:17)
5文字や7文字はリズムがあるような気がするので、
ナベちはる様、字余りはだと言い難い気が(^_^;)
by middrinn (2022-03-23 07:21)
東京や南紀だと。グレゴリオ11月ではあんまり雪が
降り続くという事が無いので。千里の浜で、後鳥羽思考精度
不足上皇の命令で、無理無理詠まされる藤原定家としても
苦しい歌だったのでしょうねえ。そもそも旧12月頃で
14夜月の欠け具合の頭真上月が、ちょうど雪塊に見えると
いうのに。冬至より1か月程度前の宣明暦10月の月だと、
まだ夏至点前ですしねぇ。雪の大塊が天高く停止して
いるよう見えない、すこし早い月で、その3日後の17日頃、
グレゴ11月”南紀奇跡の大雪"の後詠跡まないとね。
千里の浜は北緯34°弱程度なので。グレゴ1~2月で
十四夜月の高度角が77°程度で、だいぶん天頂に近く、
やっと人間の頭へ降って来る感じですかね。黄白傾斜角5°
の補正でどうなりますか。。
by df233285 (2022-03-23 09:22)
たしかに、そこが題詠の難しさで、例えば、恋をしてなくても、
恋をしてる気分で恋の歌を詠まないといけませんからね(^_^;)
by middrinn (2022-03-23 09:59)
うーん、↑の方は黄白等と詳しいですねぇ。私よりレベルが上の同業者かな(^_^;) 昔、「天山」というブランドの防寒着を買いました。
by yokomi (2022-03-24 10:20)
以前から天体(観測)に関しても色々と貴重な情報を御教示して下さってます(^_^;)
by middrinn (2022-03-24 15:36)