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200124読んだ本

電気代節約で窓から入る街灯の光で本読んでたら視力低下も街灯がLEDになったから再開するか(@_@;)
指なし手袋を脱ぐ時に引っ掛かると思ったら右手中指にシモヤケ(ノ_-;)トホホ… ビンボーはツラい(-ω-、)

【読んだ本】

久保田淳『新古今和歌集全注釈 三』(角川学芸出版,2011)所蔵本

阿部俊子(全訳注)『伊勢物語(上)』(講談社学術文庫,1979)を基本テキストにして、片桐洋一&
福井貞助&高橋正治&清水好子(校注・訳)『新編日本古典文学全集12 竹取物語 伊勢物語 大和物語
平中物語』(小学館,1994)の福井貞助による校注・訳、石田穣二(訳注)『新版 伊勢物語 付現代語
訳』(角川文庫,1979)、森野宗明(校注・現代語訳)『伊勢物語』(講談社文庫,1972)、中河與一
(訳注)『伊勢物語 付 現代語訳』(角川文庫,1953)等で補いつつ、『伊勢物語』をチンタラと読む
リターンズの第9回o(-`д´- o)ヤメテナイモンネ!! 第9段は東下りの話で次の4首が載ってる( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ

    駿河なる 宇津の山べの うつつにも 夢にも人に あはぬなりけり

    時知らぬ 山は富士の嶺 いつとてか 鹿の子まだらに 雪のふるらむ

    名にし負はば いざこととはむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

「駿河なる」は在原業平の作として『新古今和歌集』にも入ったけど、『古今六帖』や『忠岑集』に
類歌があり、ソレらから『伊勢物語』の同歌は「創作されたものかと」(阿部)、「改作したもの」
(石田)、「改作か」(福井)と『伊勢物語』の各注釈書が解してるのに、本書は『古今六帖』のは
「この歌の異伝」、『忠岑集』のは「影響作というよりは、むしろ転用と見るべきであろう」とする
点が気になる(@_@;) この『新古今和歌集全注釈』全六巻は各巻16200円もする新品を買い揃えたん
だぜ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚ また森野は補注で「業平の東下りについては、否定説が有力だったが、最近は、
たしかな史実と見る説が、また提出されている」として角田文衛「業平の東下り」文学1969年12月号
を挙げるが、久保田淳『富士山の文学』(文春新書,2004→角川ソフィア文庫,2013)は「・・・近年
の研究では、業平の東下りは事実とは考えられないという意見が相当有力視されているのである」と
していて、研究が進んだだけかもしらんが、専門外ゆえ何とも言えんな〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

目崎徳衛『日本詩人選6 在原業平・小野小町』(筑摩書房,1970)の次の件には、へぇ~!( ̄◇ ̄;)

    ・・・/一体業平の「東下り」は事実なのか、それとも架空の事なのであろうか。
    中世の冷泉家流歌学の伊勢物語注釈などは、東下りを徹頭徹尾比喩とした。東下りとは
    京の東山なる摂政良房のもとに預けられたこと、急き立てる隅田川の渡守とは関白基経
    のこと、途中仰ぎ見たという富士の山とは清和天皇のことであるといった風に。しかし
    そんな迷妄が近世の国学者によって否定し去られた後には、少なくとも消極的には
    東下りの可能性は承認された。ただ、いつどんな理由で東へ下ったのかは依然として
    憶測を出ない。鎌倉時代の説話集「古事談」は、二条の后(高子)を盗み出して
    基経等に奪い返された時髻[もとどり]を切られてしまったので、髪の生えるまでの間、
    歌枕を見ると称して関東へ出掛けたのだと説き、あるいはまた一書には、藤原氏の専横を
    慨嘆するのあまり東国へ義軍を募るべく出掛けたのだと言うなど、実にほしいままの解釈
    がいろいろある。/・・・

今井源衛『王朝の歌人3 在原業平』(集英社,1985)123~124頁にも次のように書かれてたし(@_@;)

    ・・・/じつは東下りといっても、本当に関東へ下ったのではなく、「二条の后を
    ぬすみ奉る事あらはれて、東山の関白忠仁(良房)公の許に預けをかるるを云ふ也。
    東といふ字に付けてあづまといふ也」とか、「(七段の)伊勢尾張のあはひとは、
    后と業平と二人のあはひ也。男女の契のおはりのあはひ也。あはひといふは二人の
    交はりなり」(『冷泉家流伊勢物語抄』)という珍説まで生まれるようなことに
    なった。/この東山に身を隠したという説は、いかにもとっぴであるが、それなりに
    理由がなくはない。『伊勢物語』五十九段に、/「むかし、男、京をいかが思ひけん、
    東山にすまむと思ひ入りて、/すみわびぬ今は限りと山里に身を隠すべき宿もとめてん/
    とあるのを参考にしたのである。・・・/憶測がさらにこうじると、業平は衰えた在原家
    再興のため、東国におもむいて画策しようとしたなどというものまであらわれる。/・・・

こーゆーのを読むと、冷泉家の歌学、胡散臭~く思えてくるね(^_^;) 面白いからいいけどさ(⌒~⌒)

・『伊勢物語』が描く「みやび」( https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-28 )、
 日本文化として脈々と受け継がれているとされるがイタリア人こそが「みやび」・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-29

・17歳年下から17歳年上まで、この男の守備範囲の広さはゴールデングラブ賞ものやね( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-05

・在原業平の歌は鬼たちを感じ入らせるほどじゃなかったということかしらオホホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-07
タグ:歴史 和歌 古典
コメント(12) 
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コメント 12

mimimomo

こんばんは^^
昔の人は蛍の光で本を読んだのかしらね~近眼が多かったかな^^
LEDだとそんなに明るいですか(@@? やはり目を悪くしそう。人のことは言えないけれどね。わたくしはド近眼(__;
業平の東下りって史実かどうかと言うことは決着を見ることがあるのかしら。
by mimimomo (2020-01-24 18:13) 

middrinn

おそらく蛍の光で本を読んだ人は少ないから模範とされたかと(^_^;)
街灯がLEDになりカーテンしてても窓から入る光が超明るいです(゚ロ゚;)
東国にいた貴族の日記等に業平の名が出て来ない限り無理と愚考^_^;
業平の歌碑とか偽の史跡が結構あるかもしれませんよヒィィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
by middrinn (2020-01-24 18:33) 

enokorogusa

国司に任じられるか、流罪にでもなるか・・・
当時の貴族の感覚からすると、東国というのはもはや自分が住むところとして考えることすらできない、国外と言ってもいいくらいの認識ではなかったか、と想像します。
何か思うことがあったとしても、実際に行くことはまずなかったんじゃないでしょうか・・・
by enokorogusa (2020-01-24 19:09) 

middrinn

なるほど( ̄◇ ̄;) たしかに能因法師にしろ西行にしろ後の時代の人間で業平の頃は
おっしゃる通りかも^_^;『伊勢物語』は京に住みにくかったとか自らを不要の存在
と考えたとか二条后との悲恋による傷心旅行の如く受け取れますね(^_^;) 森野は
(角田説でしょうけど)二条后との恋の痛手と母(伊登内親王)を喪った悲哀から
京の生活に嫌気がさし、当時は信濃国の国守に兄の行平がいるなど東国には知人が
多く、知人を訪ねながら旅に出たのだろうという説を紹介してますね(^_^;) また
阿部俊子は阿保親王が上野・上総の国守だったことも旅心の動いたきっかけと^_^;
by middrinn (2020-01-24 19:40) 

ニッキー

そんなに明るい街灯だと寝るときも眩しくて寝にくい気が(;^ω^)
しもやけってかなり辛いと聞きますが、
お大事にしてくださいね<(_ _)>
早く治りますように<(_ _)>
by ニッキー (2020-01-24 21:13) 

middrinn

マジでLEDの街灯、メチャ凄い光で、昼間のようですよ(^_^;)
シモヤケ、まだ初期なんで、血流を良くして治したいです(^^)
by middrinn (2020-01-24 21:17) 

mirro

東国は避けられたんですね。
いまや西国には来ない、
東国止まりの”芸術一般流れ”のなんと多いこと!
しっかし、こちら西国、”血流”だけはよいのか\(◎o◎)/!
しもやけだけは避けられる環境かと(;´∀`)
by mirro (2020-01-24 23:03) 

ナベちはる

本が読めるぐらいとは、街灯のLEDも相当明るいですね…(@_@)!!
by ナベちはる (2020-01-25 01:02) 

middrinn

谷崎潤一郎は、むしろ関西へと移住しましたし、
mirro様、西国に避ける芸術家もいますよ(^^)
by middrinn (2020-01-25 06:46) 

middrinn

信じてもらえないかもしれませんけど、
ナベちはる様、マジ明るいです(^_^;)
by middrinn (2020-01-25 06:47) 

tai-yama

今の時代だと、西へ左遷ですね・・・。平安時代の皇室が今の
京都で外国人がたくさん大挙している様子を見たら吃驚するかも。
by tai-yama (2020-01-25 20:31) 

middrinn

北海道の支店に飛ばすという手もありましたよね(^_^;)
平安京のモデルの長安にも西域の人々がいたとか(^_^;)
by middrinn (2020-01-25 20:54) 

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