191229読んだ本
楽天ビューティラッキーくじが当たったよ!キタ━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━!!!! このブログを
読者登録されてる方にも何か良いことありますよーに(^o^)丿ヾ( ̄o ̄;)オイオイ訪問や読むだけじゃダメ?
ちなみに、当たったのは朝8時13分頃ね_φ( ̄^ ̄ )メモメモ にしても、メチャ久しぶり(´;ω;`)ウッ…
年賀ハガキ東京2020大会[寄付金付]絵入り68円を1枚書き損じたので、昨日は歩いて郵便局まで行き、
同じのは売り切れてたので、絵入り[寄付金付]地方版(東京都版サザエさん)68円のに10円(手数料
5円+寄付金5円)で交換してもらった_φ( ̄^ ̄ )メモメモ ブックオフにも寄って立ち読みしたよ(⌒~⌒)
今日は剪定の手伝いを頼まれ、左肩を痛めてしまったし汗をかいてしまったのも予定外である(´ヘ`;)
【読んだ本】
渡辺実(校注)『新潮日本古典集成 伊勢物語』(新潮社,1976)
先日読んだ『伊勢物語』の初段( ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-21 )、
石田穣二(訳注)『新版 伊勢物語 付現代語訳』(角川文庫,1979)の現代語訳で引く( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
昔、男が、元服をして、奈良の京、春日の里に所領があったので、狩に出かけていった。
その里に、とても美しい姉妹が住んでいた。この男は、(ひそかにその姿を)のぞき見て
しまった。思いもかけず、さびれた旧都に、とても不似合いな様子でいたので、すっかり
夢中になってしまった。男の着ていた狩衣の裾を切って、歌を書いておくる。その男は、
しのぶ摺りの狩衣を、着ていたのだった。
春日野の若紫のすりごろもしのぶの乱れかぎり知られず(春日野の若紫のような
あなたがたの姿に、この狩衣の模様どおり、私の心は千々に乱れています)
と大人ぶって詠みおくったのだった。(ちょうどしのぶ摺りの狩衣を着ていたので)
時にとってしゃれた趣向とでも思ったのだろうか、(この男の歌は)
みちのくのしのぶもぢずれ誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに(陸奥のしのぶもじ
摺りのように、つれないあなた故にこそ、私の心は千々に乱れることになったのです)
という歌の趣向を踏まえたものだ。昔の人は、こんな熱烈な風雅のふるまい[=「みやび」]
をしたものだった。
「おいづきて」は論点で、石田穣二が「大人ぶって」と、森野宗明(校注・現代語訳)『伊勢物語』
(講談社文庫,1972)も「なんともませた口調で」と訳しているのに対し、阿部俊子(全訳注)『伊勢
物語(上)』(講談社学術文庫,1979)は「見るやいなやすぐに」の意として「とたんに」と訳して、
片桐洋一&福井貞助&高橋正治&清水好子(校注・訳)『新編日本古典文学全集12 竹取物語 伊勢物語
大和物語 平中物語』(小学館,1994)の福井貞助も「すぐに」と訳している(@_@;) また初段では
「うひかうぶりして」も、「元服」説の他に「叙爵」説が存在して、論点であることは、石田穣二の
脚注、森野宗明の補注、福井貞助の頭注などを見ていれば、初学者の小生でも解るわけv( ̄∇ ̄)ニヤッ
だが、本書「解説 伊勢物語の世界」は、論じられてない論点があると指摘∑( ̄ロ ̄|||)ニャンと!?
本書141頁から当該箇所を引くよん〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・/初段は以前からいろいろ論議されてきた段の一つで、「うひかうぶり」とは
元服の意か初爵(初めて位階を賜ること)の意か、といった点や、「おいづきて
(老いづきて)」か「おひつきて(追付きて)」か、といった点については、たびたび
立言がなされてきたが、男が「女はらから」に歌一首を贈るという筋立てについては、
発言は今までほとんどない。まったくないわけではないが、きわめて少ない。・・・
言われてみれば、姉妹、つまり女性が2人いるのに歌を1首しか贈らないのは、たしかに変だ( ̄◇ ̄;)
1本の矢を1回放っただけで2羽の鷲を射るという一箭双雕(いっせんそうちょう)・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
・・・その稀な発言の中で注目されるのは、「昔の結婚法では、姉妹二人が一人の人格
のようにして、結婚が行われた」という、折口信夫氏(『折口信夫全集』ノート編
第十三巻「伊勢物語」)の民俗学的な解だが、氏は「だから姉か妹か、そのどちらか
というふうに迷うということは、昔の結婚法としてないわけだが」と断りながら、男の
「春日野の」の歌の「しのぶのみだれ」に対して、「姉と妹と、どっちもよいので
心の結着がつかなかった」という気持を汲みとろうとしておられる。姉妹一組との婚姻は
『古事記』などにも例のあることで、面白い着想だけれども、「しのぶのみだれ」に
姉か妹かという迷いを読むことは、姉妹一組との婚姻の着想からは外れるうえに、そもそも
この段とこの歌との解釈として、適当でないような感じがする。「女はらから」の問題は、
「しのぶのみだれ」との関係においてでなく、むしろ「うひかうぶり」「おいづきて」
との関係において、解かれるべきもののように思われるのである。/読み過してならない
ことは、「うひかうぶりして」が元服の意であるにせよ初爵の意であるにせよ、ようやく
大人の仲間入りをしたばかりの少年貴族がこの段の主人公である、という点であろう。
そして平安時代には、一人前の男ともなれば、美しい異性を見て心を動かした時は、
即座に歌を贈って相手の美しさを讃えるべきものであった。少なくとも成人貴族を以て
任ずる以上は、そうしなければならなかった。初段の主人公は、「うひかぶり」した
ばかりの、大人と言うにはまだほんの少年なのだが、春日野の「女はらから」を見て、
早速に大人の作法に従って、相手への讃歌を贈ったのである。姉妹一組との婚姻だとか、
姉妹のどちらかを選ぼうかとかの現実的なことは、初段の問題外であろう。「女はらから」
はむしろ、男の「春日野」の歌が、婚姻を頭に置いたいわゆる恋歌ではなくて、異性讃歌
であることを、おのずからにして語る言葉ではないか。婚姻のための恋歌としてこの歌を
語ろうというのなら、「うひかうぶり」したばかりの少年に対する、「女はらから」の
反応は、興味の中心として洩らさず語られてよいことなのに、作者は、おそらくあったに
違いない姉妹からの返歌についてさえ、一言ふれるだけのこともしないのは、男と姉妹との
間のことが初段の問題なのではなく、姉妹に対する男の行動が初段の問題だったのだ、
ということを意味するものであろう。/作者にとっては、一人前になったばかりの男が、
早くも大人びた行動をしたことに、専ら興味があったのである。「追付きて」か「老づきて」
かと問題の字句も、まだ年若い男がとった一人前の行動を、「経験を積んだ大人みたいに
(老づきて)」と評した批評の言葉と理解するのが自然であろう。この評はもとより
「春日野の」の歌の出来栄えを評価したうえでのものだが、歌の即興を語ることだけが
初段のテーマなのではない。いよいよ大人となったことを自覚した男の、初々しい
大人ぶりが、初段の眼目であり主題なのである。そしてこのように、場面と状況に応じて、
成人貴族としての自覚のもとに、最も洗練された言語・行動をとることが、初段の言う
「みやび」というものだったのである。/・・・
本書141頁~142頁を引いたけど、大変勉強になったぞ( ̄◇ ̄;) ということは、「美しい異性を見て
・・・即座に・・・相手の美しさを讃える」というイタリア人こそが「みやび」・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
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今日は剪定の手伝いを頼まれ、左肩を痛めてしまったし汗をかいてしまったのも予定外である(´ヘ`;)
【読んだ本】
渡辺実(校注)『新潮日本古典集成 伊勢物語』(新潮社,1976)
先日読んだ『伊勢物語』の初段( ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-21 )、
石田穣二(訳注)『新版 伊勢物語 付現代語訳』(角川文庫,1979)の現代語訳で引く( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
昔、男が、元服をして、奈良の京、春日の里に所領があったので、狩に出かけていった。
その里に、とても美しい姉妹が住んでいた。この男は、(ひそかにその姿を)のぞき見て
しまった。思いもかけず、さびれた旧都に、とても不似合いな様子でいたので、すっかり
夢中になってしまった。男の着ていた狩衣の裾を切って、歌を書いておくる。その男は、
しのぶ摺りの狩衣を、着ていたのだった。
春日野の若紫のすりごろもしのぶの乱れかぎり知られず(春日野の若紫のような
あなたがたの姿に、この狩衣の模様どおり、私の心は千々に乱れています)
と大人ぶって詠みおくったのだった。(ちょうどしのぶ摺りの狩衣を着ていたので)
時にとってしゃれた趣向とでも思ったのだろうか、(この男の歌は)
みちのくのしのぶもぢずれ誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに(陸奥のしのぶもじ
摺りのように、つれないあなた故にこそ、私の心は千々に乱れることになったのです)
という歌の趣向を踏まえたものだ。昔の人は、こんな熱烈な風雅のふるまい[=「みやび」]
をしたものだった。
「おいづきて」は論点で、石田穣二が「大人ぶって」と、森野宗明(校注・現代語訳)『伊勢物語』
(講談社文庫,1972)も「なんともませた口調で」と訳しているのに対し、阿部俊子(全訳注)『伊勢
物語(上)』(講談社学術文庫,1979)は「見るやいなやすぐに」の意として「とたんに」と訳して、
片桐洋一&福井貞助&高橋正治&清水好子(校注・訳)『新編日本古典文学全集12 竹取物語 伊勢物語
大和物語 平中物語』(小学館,1994)の福井貞助も「すぐに」と訳している(@_@;) また初段では
「うひかうぶりして」も、「元服」説の他に「叙爵」説が存在して、論点であることは、石田穣二の
脚注、森野宗明の補注、福井貞助の頭注などを見ていれば、初学者の小生でも解るわけv( ̄∇ ̄)ニヤッ
だが、本書「解説 伊勢物語の世界」は、論じられてない論点があると指摘∑( ̄ロ ̄|||)ニャンと!?
本書141頁から当該箇所を引くよん〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・/初段は以前からいろいろ論議されてきた段の一つで、「うひかうぶり」とは
元服の意か初爵(初めて位階を賜ること)の意か、といった点や、「おいづきて
(老いづきて)」か「おひつきて(追付きて)」か、といった点については、たびたび
立言がなされてきたが、男が「女はらから」に歌一首を贈るという筋立てについては、
発言は今までほとんどない。まったくないわけではないが、きわめて少ない。・・・
言われてみれば、姉妹、つまり女性が2人いるのに歌を1首しか贈らないのは、たしかに変だ( ̄◇ ̄;)
1本の矢を1回放っただけで2羽の鷲を射るという一箭双雕(いっせんそうちょう)・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
・・・その稀な発言の中で注目されるのは、「昔の結婚法では、姉妹二人が一人の人格
のようにして、結婚が行われた」という、折口信夫氏(『折口信夫全集』ノート編
第十三巻「伊勢物語」)の民俗学的な解だが、氏は「だから姉か妹か、そのどちらか
というふうに迷うということは、昔の結婚法としてないわけだが」と断りながら、男の
「春日野の」の歌の「しのぶのみだれ」に対して、「姉と妹と、どっちもよいので
心の結着がつかなかった」という気持を汲みとろうとしておられる。姉妹一組との婚姻は
『古事記』などにも例のあることで、面白い着想だけれども、「しのぶのみだれ」に
姉か妹かという迷いを読むことは、姉妹一組との婚姻の着想からは外れるうえに、そもそも
この段とこの歌との解釈として、適当でないような感じがする。「女はらから」の問題は、
「しのぶのみだれ」との関係においてでなく、むしろ「うひかうぶり」「おいづきて」
との関係において、解かれるべきもののように思われるのである。/読み過してならない
ことは、「うひかうぶりして」が元服の意であるにせよ初爵の意であるにせよ、ようやく
大人の仲間入りをしたばかりの少年貴族がこの段の主人公である、という点であろう。
そして平安時代には、一人前の男ともなれば、美しい異性を見て心を動かした時は、
即座に歌を贈って相手の美しさを讃えるべきものであった。少なくとも成人貴族を以て
任ずる以上は、そうしなければならなかった。初段の主人公は、「うひかぶり」した
ばかりの、大人と言うにはまだほんの少年なのだが、春日野の「女はらから」を見て、
早速に大人の作法に従って、相手への讃歌を贈ったのである。姉妹一組との婚姻だとか、
姉妹のどちらかを選ぼうかとかの現実的なことは、初段の問題外であろう。「女はらから」
はむしろ、男の「春日野」の歌が、婚姻を頭に置いたいわゆる恋歌ではなくて、異性讃歌
であることを、おのずからにして語る言葉ではないか。婚姻のための恋歌としてこの歌を
語ろうというのなら、「うひかうぶり」したばかりの少年に対する、「女はらから」の
反応は、興味の中心として洩らさず語られてよいことなのに、作者は、おそらくあったに
違いない姉妹からの返歌についてさえ、一言ふれるだけのこともしないのは、男と姉妹との
間のことが初段の問題なのではなく、姉妹に対する男の行動が初段の問題だったのだ、
ということを意味するものであろう。/作者にとっては、一人前になったばかりの男が、
早くも大人びた行動をしたことに、専ら興味があったのである。「追付きて」か「老づきて」
かと問題の字句も、まだ年若い男がとった一人前の行動を、「経験を積んだ大人みたいに
(老づきて)」と評した批評の言葉と理解するのが自然であろう。この評はもとより
「春日野の」の歌の出来栄えを評価したうえでのものだが、歌の即興を語ることだけが
初段のテーマなのではない。いよいよ大人となったことを自覚した男の、初々しい
大人ぶりが、初段の眼目であり主題なのである。そしてこのように、場面と状況に応じて、
成人貴族としての自覚のもとに、最も洗練された言語・行動をとることが、初段の言う
「みやび」というものだったのである。/・・・
本書141頁~142頁を引いたけど、大変勉強になったぞ( ̄◇ ̄;) ということは、「美しい異性を見て
・・・即座に・・・相手の美しさを讃える」というイタリア人こそが「みやび」・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
こちらの春日野には「うひかうぶり」はもちろん、
若紫のような女御も見かけない枯れゆく原始林に、
どんな”みやび”からも程遠い成人平民の作法が
ありましたヾ(≧▽≦)ノ⁾⁾
by mirro (2019-12-29 15:56)
「うひかうぶり」のためか角を取られて、
つぶらな瞳をした牡もいたかと(⌒~⌒)
たしかに「みやび」から遠そう(-ω-、)
くれぐれも御自愛くださいませ(´ヘ`;)
by middrinn (2019-12-29 16:57)
し、姉妹丼と想像してしまう私は充分な大人だったり(笑)。
今の時代にこんなことをしてしまうとストーカー・・・・
宮城(みやび)県警に捕まるかも。
by tai-yama (2019-12-29 23:15)
剪定って思ったよりも大変ですよねぇ(´・_・`)
私はかみさんに付き合ってもらって
朝からロング走に行ってきました^^
そのあと昼ごはんを食べに行って
入浴しそのまま爆睡(かみさんは洗濯してくれてました(⌒-⌒; ))
そして起きたら体のあちこちに筋肉痛がw
明日は大掃除の予定なんだけどなぁ(⌒-⌒; )
by ニッキー (2019-12-29 23:20)
ラッキーくじ、当選おめでとうございます!!
久し振りに当たると、嬉しさも段違いですね☆彡
by ナベちはる (2019-12-30 00:49)
( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 特製宮城(みやび)県警座布団1枚 ♪
tai-yama様は『古事記』の時代に生まれるべきでしたねぇ(⌒~⌒)
by middrinn (2019-12-30 06:12)
高い所の枝を切る高枝切りばさみが重くて、
ニッキー様、終ったら左肩が痛くて痛くて
泣きそうでしたよ(T_T) 伴走もしてくれて、
寝てる間に洗濯までしてくださるなんて、
大掃除では、奥様の分も働かないと(^^)
by middrinn (2019-12-30 06:17)
ありがとうございますm(__)m ホント、
ナベちはる様、去年は結局一度も当選
しなかったので格別の嬉しさです(^^)
by middrinn (2019-12-30 06:28)
おはようございます^^
今年の不始末(書き損じ)は今年のうちに・・・良いことです。
最後の一言に大笑い アハハハ 確かに美しい異性を見て、即座に、相手の美しさを讃える
はイタリア人的だけれど・・・笑いが止まらない・・・ 「みやび」ねぇ~
あ、わたくしの今年のブログの活動は本日まで。
今年もいろいろ勉強させていただきました。ありがとうございました。
来年もまたよろしくお願いいたします。
どうぞ佳いお年をお迎えくださいませ。
by mimimomo (2019-12-30 07:48)
出してない人から届いた場合に足りなくなりそうだったことと、
年明けだと「絵入り」が売り切れてるかもと思いまして(^_^;)
前日の〈「みやび」は今も日本人の心に生きている。〉を踏まえ、
イタリア人こそが真の日本人なのかもしれませんねぇ(〃'∇'〃)
こちらこそ、今年一年、ホントありがとうございましたm(__)m
それでは、佳いお年をお迎えくださいませ(^o^)丿 Buon Anno!
by middrinn (2019-12-30 08:11)
「みやび」とは、難しいものですねぇ(>_<)
by yokomi (2019-12-31 02:15)
おリュウ様のお顔を見る度に美しさを即座に讃えるだけですよ(^o^)丿
by middrinn (2019-12-31 08:05)