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240404読んだ本

やっと発送されたけど、3000円以上もする古本を追跡不可能なゆうメールというのはチトね(^_^;)
来週月曜に桜を見に行くことになったけど、お天気も心配だが、そもそも満開になるのかな(^_^;)

【読んだ本】

駒田信二『漢詩名句 はなしの話』(文春文庫,1982)所蔵本

今回(前回⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2024-04-02 )は「古詩十九首」
の第十四首から「去る者は日に以て疎し」(^^) ちなみに、第一首には「胡馬は北風に依り、越鳥
は南枝に巣[すく]う」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2024-03-14 )(^^)
全て引くけど、一部の漢字は字体が異なる(T_T)

    去者日以疎 去る者は日[ひび]に以て疎く
    生者日以親 生くる者は日[ひび]に以て親し
    出郭門直視 郭門を出[いで]て直視すれば
    但見丘與墳 但[ただ]丘[おか]と墳[つか]とを見る
    古墓犂爲田 古墓は犂[す]かれて田[た]と為り
    松柏摧爲薪 松柏[しょうはく]は摧[くだ]かれて薪[たきぎ]と為る
    白楊多悲風 白楊[はくよう]は悲風多く
    蕭蕭愁殺人 蕭蕭として人を愁殺す
    思還故里閭 故里[こり]の閭[りょ]に還[かえ]らんことを思う
    欲歸道無因 帰らんと欲するも道因[よ]る無し

     死んだ者は日ごとに忘れられていき、生きている者は日ごとに親しくなっていく。
     だが、その生きている者もやがては死んでいくのだ。そして忘れられていくのだ。
     /城門を出てまっすぐに前方に目を向けると、見えるのは丘の上の土饅頭[=土を
     盛った墓]ばかりである。その土饅頭もやはり、いつかはなくなってしまうのだ。
     /古い墓地は鋤き耕されて田になってしまい、墓地につきものの松や柏[このて
     がしわ]の木は伐り倒されて薪になってしまう。伐り残された白楊[しろやなぎ]
     には悲しげな風がいっぱいに吹きつける。そのざわざわという音は、聞く者を
     かなしませずにはおかない。/せめて生きているうちに古里の村へ帰りたい。だが、
     帰ろうとしても古里はあまりに遠く、帰る道がないのだ。

訓読や漢字の読みは異なるも、宇野直人&江原正士『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
(平凡社,2010)も紹介してて、「松柏」は〈・・・松とヒノキは常緑樹で、枯れない、萎まない、
永久不変のたとえになります。「永遠に枯れない筈の松やヒノキさえ、いつか切[ママ]り倒されて
・・・〉、「白楊」は「・・・お墓に植える木です。」、〈「悲風」はこれ以後、秋風のことを言う
ようになりました。〉と注釈_φ( ̄^ ̄ )メモメモ 更に「・・・儒教を学んだ知識人たちが死後の世界や
お墓について詠むのは珍しく、・・・」〈・・・それまで中国の詩や文章には見られなかった「無常
観」・・・〉が表現されているが、それは「・・・仏教や道教の影響があるんじゃないでしょうか。
実は〝古い墓がやがて畑[ママ]になり、常緑樹が薪になる〟と言うのは、道教関係の仙女の伝説に
基づいているんです。仙女の麻姑[まこ]が、・・・また別の説として、後半の七~十句・・・は、
お墓の中にいる死者からのメッセージだとする解釈もあります。・・・」云々との指摘も( ̄◇ ̄;)
後日この辺のところは改めて調べてみることとして、とりあえず、今日は本作品から小生が連想した
後代の作品でも挙げて御茶を濁しておく(^_^;)

      不破

    秋風や 藪も畠も 不破の関

     古歌[=藤原良経「人住まぬ不破の関屋の板庇荒れにしのちはただ秋の風」
     『新古今和歌集』入集歌]にその荒廃ぶりを歌われた不破の関屋はいまは
     跡形もとどめず、藪と化し畠と変じて、ただ秋風が蕭条と吹きめぐるばかり
     である。

『野ざらし紀行』のを訳も今栄蔵(校注)『新潮日本古典集成 芭蕉句集』(新潮社,1982)で(^_^;)
芭蕉の「漢詩や漢文を読解する能力」を疑問視してる田中善信『芭蕉の学力』(新典社選書,2012)
は〈・・・芭蕉の作品における漢籍の影響を研究してすぐれた業績を上げた人に、廣田二郎という人
がいますが、この人は、芭蕉は「経書とか三史・『文選』というような専門家的な漢籍は、まず読ん
だことがなかったように考えられる」(『芭蕉の芸術その展開と背景』)と述べています。・・・〉
と記しており、この「古詩十九首」は、その『文選』と『玉台新詠』に入っている作品だけど(^_^;)

    はかなしと 思ふ山路に ひまもなく 誰とも知らぬ あとのみぞ見る

     はかないと思う山路に隙間もなく、誰とも知らない墓ばかりが見える。
     「はかなし」に「墓」を懸ける。

大曾根章介&久保田淳(校注)『高倉院升遐記』(福田秀一&岩佐美代子&川添昭二&大曾根章介&
久保田淳&鶴崎裕雄[校注]『新日本古典文学大系51 中世日記紀行集』[岩波書店,1990]所収)に
出てる作者の源通親による詠で、本文の直前には中納言源顕基がよく口遊んでた白居易(白楽天)の
作品(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-30 )が引かれてるけど(^_^;)
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

死ななくても忘れられていく人もいると言う・・・・
桜を見に行ったらすでに散っていたと言う、はかなしな歌を
詠む羽目になったり(笑)。
by tai-yama (2024-04-04 23:26) 

middrinn

小泉純一郎は清和政策研究会(森派)の会長経験者なのに忘れられてる(^_^;)
by middrinn (2024-04-05 05:17) 

df233285

ああ、さっき郵便局の前のポストで、是が非でもゆうメール
にしようとして、郵便局で手続きし無いで、無理やりポスト
の口に、小包を押し込もうとしているヤツ見かけたな。身なり
が結構整ってて、カッコいい男って感じだったが、こういう
人間は、中身が「ちょっと」だね。
by df233285 (2024-04-05 11:03) 

suzu*

中ほどから始まる〝死んだ者は日ごと…〟
感慨深いですね。
まさにその通りなわけで…
親がいるうちはなんとなく壁になってるけど、いざ、居なくなると次は子らの時なり、と。確実に巡ってくるなぁと、しみじみ思う
by suzu* (2024-04-05 11:27) 

middrinn

ゆうメールはクリックポストと同じようにポスト投函可能なんですね( ̄◇ ̄;)
長さん様、やはり規定の大きさはポスト投函口に対応してるんですかね(^_^;)
by middrinn (2024-04-05 15:25) 

middrinn

「壁」とは言い得て妙ですね(^_^;) 花は散っても再び咲くのに、
suzu*様、時の流れというのは、人間には厳しいですね(@_@;)
by middrinn (2024-04-05 15:41) 

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