210530読んだ本
読書の厄介なところは、歴史の謎が解けたと思い込んでしまうことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
【読んだ本】
長崎健&外村南都子&岩佐美代子&稲田利徳&伊藤敬(校注・訳)『新編日本古典文学全集48 中世日記紀行集』(小学館,1994)
〈罪なくして配所の月を眺めたい〉という名台詞を残した源顕基、白楽天の次の詞句も有名にした(^^)
古墓何世人 古き墓いづれの世の人ぞ
不知姓与名 姓と名とを知らず
化為路辺土 化して路辺の土と為り
年々春草生 年々春の草のみ生ず
この古い墓塚は、いずれの代の人を葬ったものか、
(今では埋葬されている人の)姓も名も知れない。
路の辺の土となりはてて、
来る年来る年、春の草の芽ぶきに覆われるだけである。
西尾光一&小林保治(校注)『新潮日本古典集成 古今著聞集 上』(新潮社,1983→2019新装版)から
引いたけど、『白氏文集』の原詩句は、「路辺」が「路傍」、「世」が「代」らしいね(⌒~⌒)ニヤニヤ
本書所収の長崎健(校注・訳)『東関紀行』の一節(本書128~129頁)を現代語訳で引くv( ̄∇ ̄)ニヤッ
・・・/さらに通り過ぎていくうちに、ある木陰に石を高く積み上げて人目をひく
ような塚がある。人に尋ねると、「梶原景時の墓である」と答える。あの梶原も
道の傍らの土となってしまったと思われるにつけて、中納言顕基が吟じられていた
という、「年年に春の草の生ひたり(墓には毎年春の草が生えることだよ)」という
漢詩が思い出されてきて、この墓もまた古い塚となったならば、墓の主の名前さえも
残らないだろうと、はかなく感じる。羊太傅の墓ではないけれども、同情心のある
旅人はここで涙を流すことであろうか。あの梶原は将軍二代に仕えてその恩恵を
浴びて栄え、武勇にすぐれて、兵法に通じているとの名声を博して並ぶものがない
有様であった。それがどんなことがあったのだろうか、仲間の深い憤りがあって、
突然に身を滅すことになったものだから、ひとまず落ち延びようと思ったのだろうか、
都の方へ逃げ上ったが、駿河国の吉川[きかわ]という所で殺されてしまったと
聞いたが、ここでのことであったのかと、かわいそうなことだと思う。/・・・
讒言をしたとして他の御家人たちから弾劾された梶原景時、一切弁明することなく鎌倉追放の処分を
受け入れ京だか九州だかを目指したのは罪なくして配所の月を眺めたかったから・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
【読んだ本】
長崎健&外村南都子&岩佐美代子&稲田利徳&伊藤敬(校注・訳)『新編日本古典文学全集48 中世日記紀行集』(小学館,1994)
〈罪なくして配所の月を眺めたい〉という名台詞を残した源顕基、白楽天の次の詞句も有名にした(^^)
古墓何世人 古き墓いづれの世の人ぞ
不知姓与名 姓と名とを知らず
化為路辺土 化して路辺の土と為り
年々春草生 年々春の草のみ生ず
この古い墓塚は、いずれの代の人を葬ったものか、
(今では埋葬されている人の)姓も名も知れない。
路の辺の土となりはてて、
来る年来る年、春の草の芽ぶきに覆われるだけである。
西尾光一&小林保治(校注)『新潮日本古典集成 古今著聞集 上』(新潮社,1983→2019新装版)から
引いたけど、『白氏文集』の原詩句は、「路辺」が「路傍」、「世」が「代」らしいね(⌒~⌒)ニヤニヤ
本書所収の長崎健(校注・訳)『東関紀行』の一節(本書128~129頁)を現代語訳で引くv( ̄∇ ̄)ニヤッ
・・・/さらに通り過ぎていくうちに、ある木陰に石を高く積み上げて人目をひく
ような塚がある。人に尋ねると、「梶原景時の墓である」と答える。あの梶原も
道の傍らの土となってしまったと思われるにつけて、中納言顕基が吟じられていた
という、「年年に春の草の生ひたり(墓には毎年春の草が生えることだよ)」という
漢詩が思い出されてきて、この墓もまた古い塚となったならば、墓の主の名前さえも
残らないだろうと、はかなく感じる。羊太傅の墓ではないけれども、同情心のある
旅人はここで涙を流すことであろうか。あの梶原は将軍二代に仕えてその恩恵を
浴びて栄え、武勇にすぐれて、兵法に通じているとの名声を博して並ぶものがない
有様であった。それがどんなことがあったのだろうか、仲間の深い憤りがあって、
突然に身を滅すことになったものだから、ひとまず落ち延びようと思ったのだろうか、
都の方へ逃げ上ったが、駿河国の吉川[きかわ]という所で殺されてしまったと
聞いたが、ここでのことであったのかと、かわいそうなことだと思う。/・・・
讒言をしたとして他の御家人たちから弾劾された梶原景時、一切弁明することなく鎌倉追放の処分を
受け入れ京だか九州だかを目指したのは罪なくして配所の月を眺めたかったから・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
2021-05-30 20:59
コメント(10)
梶原景時は駿河国だけど、俊寛は鬼界ヶ島と言う・・・・
どっちの配流の方が良いのだろう?
by tai-yama (2021-05-30 23:09)
それを読んで「歴史の謎が解けた」と思い込んでしまうのは、危ないですね(^^;
by ナベちはる (2021-05-31 00:32)
梶原景時は鎌倉を追放されただけで、勝手に京都だか九州を目指して出発したところ、
tai-yama様、途中の駿河国(守護は北条時政?)で討ち取られたようですよ(^_^;)
by middrinn (2021-05-31 05:36)
簡単に思い込んだり信じ込んだりせずに、
ナベちはる様、疑うことですよね(^_^;)
by middrinn (2021-05-31 05:37)
う〜ん・・・
ウチは娘ひとり、私が天に昇った後の墓守はどうなっちゃうんだろう(^^;
by そら (2021-05-31 06:43)
奥様が豪華なお墓をキャッシュで建てて下さり、
お嬢様が草が生えないようしてくれます(^o^)丿
by middrinn (2021-05-31 06:47)
光源氏が須磨でした月見もそんな感じ
ですかね。
by 爛漫亭 (2021-05-31 11:43)
小沢正夫&後藤重郎&島津忠夫&樋口芳麻呂『袋草紙注釈 上』(塙書房,1974)の
補説に「[顕基が]特に配所にて月を見たいといったことは・・・『源氏物語』の
須磨巻が意識の底にあるかと思われる。」とあります(^^) 顕基の祖父が安和の変の
源高明なのもあるかも(^_^;) 高明は光源氏のモデルという説もありますし(^_^;)
by middrinn (2021-05-31 14:57)
本を読んで「おぉ」って思うことがありますが
違う本を読んで「あれ?この前と違う」って思うこともよくあります(⌒-⌒; )
鎌倉から京まででもかなりの距離があるのに九州を目指すとは
なかなか行動力のある方ですねぇ(°_°)
by ニッキー (2021-05-31 20:57)
鎌倉から京まで13、4日で早馬の急使なら5、6日です(^_^;)
朝廷から九州諸国の総司令に任命されたと称したとか(^_^;)
by middrinn (2021-05-31 21:08)