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240323読んだ本

伯父さんのだってパクリなんだから、私がパクってもいいわよねと紫式部は考えたのかも(^_^;)
和泉式部は古歌の知識が欠けると評した紫式部だから知らなかったという言い訳はできぬ(^_^;)

【読んだ本】

福家俊幸『紫式部 女房たちの宮廷生活』(平凡社新書,2023)

    ・・・/紫式部が心の中で試作したのが「めづらしき」で始まる歌である。実際に、
    この歌が詠みあげられることはなかった。夜が更けたせいか、[藤原]公任は特に
    女房達にまで杯を回すことはなかったのである。女房達はいついかなるタイミングで、
    即興的にふられるかわからない緊張感の中にあり、それだけに備えあれば憂いなし
    ではないが、日ごろから事前の準備が大切であったことをこの[『紫式部日記』の]
    記述は教えてくれる。自分から、良い歌ができました、とひけらかすことはできない。
    あくまでも受身である。この時代の女房達には実際に披露されなかった歌も多かった
    のではないか。紫式部は披露されなかった自信作をちゃっかりこの『日記』の中に
    記していたわけだが。/・・・

本書の「第三章 『紫式部日記』の世界」の「産養」の節から引いたけど(173頁)、「この時代の
女房達」も「実際に[は]披露されなかった歌」も自ら編んだ家集に「記していた」と思われるし、
「この記述は」紫式部のパクリを「教えてくれる」(^_^;) 紫式部の「めづらしき」の歌と、伯父の
藤原為頼の歌を引く(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-18 )(^_^;)

    めづらしき 光さしそふ さかづきは もちながらこそ 千代もめぐらめ

    もちながら 千代をめぐらん さかづきの 清き光は さしもかけなん

この歌は藤原為頼の作として『後拾遺和歌集』に入集も、藤原為頼の家集には無くて、斎宮女御こと
徽子女王の家集『斎宮女御集』に載っており、平安文学輪読会『斎宮女御集注釈』(塙書房,1981)
から訳も含めて引く(^_^;)

      前ないしといふ人、さかづきにてきれきかきてまゐらせ給に、女御殿

    雲ゐにて さすかにみゆる さかづきの このてきれきは いかにせよとぞ

       前の内侍という人が、酒杯にてきれきを画いて献上なさった時に、
       [斎宮]女御殿が

     雲の上でさす月光のようなこの酒杯の輝きは、一体どうせよということでしょう。
     まるで宮中で差す酒杯のような、すばらしい輝きをもったものですが、もう宮中に
     いないこの身には、どう使えというのでしょうね。

    もちながら ちよをめぐらん さかづきの きよきひかりは さしもかけなん

     望月のまま欠けることなく千代までもめぐる月のように、この酒杯を千代万代まで
     お使いになって、私どもに清い光をさしかけて下さいませ。

返歌の作者「前ないし」とは「かつて[斎宮]女御の女房だった人で、女御が[伊勢]斎宮であった
時の内侍として仕えていた・・・[が]、今は女御のもとから退いているらしい。」(同書)と推定
される女性だから藤原為頼とは別人(^_^;) 犬養廉&平野由紀子&いさら会『笠間注釈叢刊19 後拾遺
和歌集新釈 下巻』(笠間書院,1997)で上山真由美が次のように推論(^_^;)

    ・・・この為頼歌と『斎宮女御集』に見る「前内侍」歌とは全く同一の歌であり、
    二者の先後関係は不明。ただ前内侍歌は返歌であり、贈歌に即して詠むことが
    要求され、他人詠をそのまま利用することは難しい状況にある。実際、この贈答歌
    は共通して三句に「さかづきの」と置き、初二句は三句の修飾語とし、四句にも
    ほぼ同義の語を据えて、構造の面で対応を見せる上、四・五句では「光をどうせよ
    と言うのか」という問いかけに「光をさしかけてほしいのだ」と答え、内容面でも
    即応している。前内侍詠の方が先行するのではないか。/

藤原為頼のパクリでないなら、『後拾遺和歌集』撰者(藤原通俊)が作者名を誤記したか、あるいは
斎宮女御の歌が届いた時に前内侍の傍らに藤原為頼が居て代詠か(^_^;) 「為頼は女御の一世代あと
の人である。」(前掲『斎宮女御集注釈』)ことから、藤原為頼は重度の熟女好・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
紫式部も親子ぐらい年齢が上の藤原宣孝と結婚してるし、これも藤原為頼からの影響だったり(^_^;)
タグ:和歌 歴史
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

モロぱくり(現代風リスペクト)と気づいたので、未発表にしたの
では・・・と言いつつ日記には残している笑)。
by tai-yama (2024-03-23 19:29) 

middrinn

紫式部が未発表に「した」のではなく、「公任は特に女房達にまで
杯を回すことはなかった」から未発表に〝なった〟んですよ(^_^;)
もし「詠みあげられ」てたら、「前十五番歌合」「三十六人撰」に
斎宮女御を選んでいた公任ですから、パクリと見破ったかと(^_^;)
by middrinn (2024-03-24 05:21) 

df233285

赤外線の見える目に、我々が進化したとしてですが。
地球の天然の大衛星が、常に望月になったとしたら、
地球は褐色矮星にならないとだめですよね。確かに
木星のように、地面から暖かい星になったら良いなと
思うほど、今年の彼岸は関東、寒かったですねえ。
表面重力が、木星よりもかなり小さく、雲上を歩行
し易い(?)ので木星では無くて土星が更に良いか?
赤道に京都は無いので。南方に切れ虹のように夜間
広がる輪も、さすれば和歌で盛んに詠われたのかも。
by df233285 (2024-03-24 11:09) 

middrinn

「常に望月になったとしたら」、道長の歌みたいですね(^_^;)
by middrinn (2024-03-24 14:43) 

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