240114読んだ本
読書による思惟をメモるだけでおススメ作品紹介はしてないが、自信を持って他人に推奨できる作品
なら佐々木泉『墨戯王べいふつ』(小学館ビッグコミックス,2004)が先ず挙げられるかな(⌒~⌒)
夏目房之介も『とめはねっ!』「なんかより全然面白いけどなぁ」と絶賛してたけど、書だけでなく
画も取り上げるアート漫画( ̄∇ ̄) 戴嵩の牧牛図の贋作をめぐる「蘇東坡」と題したドタバタ話は
塘耕次『米芾 宋代マルチタレントの実像』(大修館書店,1999)も紹介してた米芾の失敗談を巧~く
逆用しててメチャ感心したけど、他の話でも気付いたことがあったから近々ここに書くかも(^o^)丿
【読んだ本】
岡村繁『新釈漢文大系101 白氏文集 五』(明治書院,2004)
さて、さて、さ~て!清少納言も紫式部も正しく理解してなかった白居易(白楽天)の有名な漢詩文
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-10 )の舞台となった草堂のこと
を記してる本書所収の『白氏文集』巻二十六の「草堂記」(1472)、その冒頭(本書214頁)を通釈
(本書218頁)とともに引く(以下の引用に際しては返り点は省略、一部の漢字は字体が異なるし、
また訳注稿は安東俊六が担当された由)(@_@;)
/匡廬奇秀、甲天下山。山北峯曰香爐、峯北寺曰遺愛寺。介峯・寺閒、其境勝絶、
又甲廬山。/元和十一年秋、太原人白樂天、見而愛之、若遠行客過故郷、戀戀不能去。
因面峯腋寺作爲草堂。明年春、草堂成。三閒兩柱、二室四牗、廣袤豐殺、一稱心力。
・・・
/匡廬[きやうろ]は奇秀にして、天下の山に甲[かしら]たり。山北の峯を香爐
と曰[い]ひ、峯北の寺を遺愛寺と曰ふ。峯と寺を介するの閒[かん]、其の境勝
絶にして、又廬山に甲たり。/元和十一年秋、太原の人の白樂天、見て之を愛する
こと、遠行の客の故郷を過り、戀戀として去る能はざるが若[ごと]し。因つて峯に
面し寺を腋[わき]にして草堂を作爲す。明年の春、草堂成る。三閒兩柱、二室四牗、
廣袤豐殺[くわうぼうほうさい]、一[いつ]に心力に稱[かな]ふ。・・・
/匡廬(廬山)はすぐれて秀でた山であって、天下第一の山である。北の峯を
香炉峯といい、峯の北の寺を遺愛寺という。香炉峯から遺愛寺にかけては、
絶景の地であって、さらに廬山中第一である。/元和十一年(八一六)秋、
太原出身の私白楽天はこの絶景を愛でて、遠く故郷を離れて旅の身にある人が
故郷に立ち寄って後ろ髪をひかれ、たち去り難いようにたち去りかねた。そこで
香炉峯を向かいに望み、寺に隣りして草堂を作った。翌年の春、草堂は完成した。
三間の間口に二本の柱、二部屋四つの窓、広さといい、こしらえのほどといい、
ちょうど私の好みと財力にふさわしい。・・・
「廬山第一の絶景」(本書219頁)ゆえに白居易は草堂を建てたということだが、この「草堂記」を
読み進むと次の件(原文は本書216~217頁、訓読文は本書216頁、通釈は本書219頁)( ̄◇ ̄;)エッ!?
・・・/噫、凡人豐一屋、華一簀、而起居其閒、尚不免有驕穩之態。
今我爲是物主。・・・
・・・/噫[ああ]、凡[およ]そ人の一屋[いちをく]を豐かにし、
一簀[いちさく]を華やかにして、其の閒[かん]に起居するも、尚ほ
驕穩[けうをん]の態有るを免れず。今我是の物の主と爲る。・・・
・・・/ああ、人は一軒の家を立派に造ったり、一枚の寝台の下敷きを
立派に張ったりして、そこで生活するだけでも心がおごってしまうもの
である。今私はこの絶景の所有者となった。・・・
「今我是の物の主と爲る(今私はこの絶景の所有者となった)」だとΣ( ̄ロ ̄lll)ニャンだと!?
勝地本来無定主 勝地は本来[もとより]定まれる主[しゅ]無し
大都山属愛山人 大都[おおよそ]山は山を愛する人に属[ぞく]す
景勝の土地は、もともと一定の持主など決まってはいない。
だいたい自然の山は、それを愛する人の所有であるべきものだ。
菅野禮行(校注・訳)『新編日本古典文学全集19 和漢朗詠集』(小学館,1999)から引いたが、この
白居易の名句から「勝地定主無し」(「すぐれた風景に、これと定まった持ち主があるわけではない
から、誰でもが心ゆくまで賞すればよい。」と『大辞林』第一版第一刷)なる言葉も生まれたのに、
草堂建築による「廬山第一の絶景」のヴューポイントの排他的独占的享受を自認エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?
此間[この]勝境に主[あるじ]無しと雖も
漸々に聞き来たる 妨げ有らんとすることを
この讃岐の国の景勝にも、本来所有者など無いはずなのに、
ここでも権勢家による土地の兼併[けんぺい]が進んでいるということで、
いずれ自由に逍遥することもできなくなるかもしれない。
これは藤原克己『菅原道真 詩人の運命』(ウェッジ選書,2002)が紹介(訳も同書による)していた
菅原道真の「讃岐守時代の諷諭詩的な作品の一つ」とされる「遊覧偶吟」の第七句&第八句だけど
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-07-26 )、当時は左遷の身とはいえ
白居易も庶民からすれば「権勢家」に含まれるし、「兼併」、すなわち、他人の土地を奪って草堂を
建てて、「廬山第一の絶景」を庶民が「誰でも」「自由に」楽しむのをできなくしたのかも(@_@;)
なら佐々木泉『墨戯王べいふつ』(小学館ビッグコミックス,2004)が先ず挙げられるかな(⌒~⌒)
夏目房之介も『とめはねっ!』「なんかより全然面白いけどなぁ」と絶賛してたけど、書だけでなく
画も取り上げるアート漫画( ̄∇ ̄) 戴嵩の牧牛図の贋作をめぐる「蘇東坡」と題したドタバタ話は
塘耕次『米芾 宋代マルチタレントの実像』(大修館書店,1999)も紹介してた米芾の失敗談を巧~く
逆用しててメチャ感心したけど、他の話でも気付いたことがあったから近々ここに書くかも(^o^)丿
【読んだ本】
岡村繁『新釈漢文大系101 白氏文集 五』(明治書院,2004)
さて、さて、さ~て!清少納言も紫式部も正しく理解してなかった白居易(白楽天)の有名な漢詩文
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-05-10 )の舞台となった草堂のこと
を記してる本書所収の『白氏文集』巻二十六の「草堂記」(1472)、その冒頭(本書214頁)を通釈
(本書218頁)とともに引く(以下の引用に際しては返り点は省略、一部の漢字は字体が異なるし、
また訳注稿は安東俊六が担当された由)(@_@;)
/匡廬奇秀、甲天下山。山北峯曰香爐、峯北寺曰遺愛寺。介峯・寺閒、其境勝絶、
又甲廬山。/元和十一年秋、太原人白樂天、見而愛之、若遠行客過故郷、戀戀不能去。
因面峯腋寺作爲草堂。明年春、草堂成。三閒兩柱、二室四牗、廣袤豐殺、一稱心力。
・・・
/匡廬[きやうろ]は奇秀にして、天下の山に甲[かしら]たり。山北の峯を香爐
と曰[い]ひ、峯北の寺を遺愛寺と曰ふ。峯と寺を介するの閒[かん]、其の境勝
絶にして、又廬山に甲たり。/元和十一年秋、太原の人の白樂天、見て之を愛する
こと、遠行の客の故郷を過り、戀戀として去る能はざるが若[ごと]し。因つて峯に
面し寺を腋[わき]にして草堂を作爲す。明年の春、草堂成る。三閒兩柱、二室四牗、
廣袤豐殺[くわうぼうほうさい]、一[いつ]に心力に稱[かな]ふ。・・・
/匡廬(廬山)はすぐれて秀でた山であって、天下第一の山である。北の峯を
香炉峯といい、峯の北の寺を遺愛寺という。香炉峯から遺愛寺にかけては、
絶景の地であって、さらに廬山中第一である。/元和十一年(八一六)秋、
太原出身の私白楽天はこの絶景を愛でて、遠く故郷を離れて旅の身にある人が
故郷に立ち寄って後ろ髪をひかれ、たち去り難いようにたち去りかねた。そこで
香炉峯を向かいに望み、寺に隣りして草堂を作った。翌年の春、草堂は完成した。
三間の間口に二本の柱、二部屋四つの窓、広さといい、こしらえのほどといい、
ちょうど私の好みと財力にふさわしい。・・・
「廬山第一の絶景」(本書219頁)ゆえに白居易は草堂を建てたということだが、この「草堂記」を
読み進むと次の件(原文は本書216~217頁、訓読文は本書216頁、通釈は本書219頁)( ̄◇ ̄;)エッ!?
・・・/噫、凡人豐一屋、華一簀、而起居其閒、尚不免有驕穩之態。
今我爲是物主。・・・
・・・/噫[ああ]、凡[およ]そ人の一屋[いちをく]を豐かにし、
一簀[いちさく]を華やかにして、其の閒[かん]に起居するも、尚ほ
驕穩[けうをん]の態有るを免れず。今我是の物の主と爲る。・・・
・・・/ああ、人は一軒の家を立派に造ったり、一枚の寝台の下敷きを
立派に張ったりして、そこで生活するだけでも心がおごってしまうもの
である。今私はこの絶景の所有者となった。・・・
「今我是の物の主と爲る(今私はこの絶景の所有者となった)」だとΣ( ̄ロ ̄lll)ニャンだと!?
勝地本来無定主 勝地は本来[もとより]定まれる主[しゅ]無し
大都山属愛山人 大都[おおよそ]山は山を愛する人に属[ぞく]す
景勝の土地は、もともと一定の持主など決まってはいない。
だいたい自然の山は、それを愛する人の所有であるべきものだ。
菅野禮行(校注・訳)『新編日本古典文学全集19 和漢朗詠集』(小学館,1999)から引いたが、この
白居易の名句から「勝地定主無し」(「すぐれた風景に、これと定まった持ち主があるわけではない
から、誰でもが心ゆくまで賞すればよい。」と『大辞林』第一版第一刷)なる言葉も生まれたのに、
草堂建築による「廬山第一の絶景」のヴューポイントの排他的独占的享受を自認エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?
此間[この]勝境に主[あるじ]無しと雖も
漸々に聞き来たる 妨げ有らんとすることを
この讃岐の国の景勝にも、本来所有者など無いはずなのに、
ここでも権勢家による土地の兼併[けんぺい]が進んでいるということで、
いずれ自由に逍遥することもできなくなるかもしれない。
これは藤原克己『菅原道真 詩人の運命』(ウェッジ選書,2002)が紹介(訳も同書による)していた
菅原道真の「讃岐守時代の諷諭詩的な作品の一つ」とされる「遊覧偶吟」の第七句&第八句だけど
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-07-26 )、当時は左遷の身とはいえ
白居易も庶民からすれば「権勢家」に含まれるし、「兼併」、すなわち、他人の土地を奪って草堂を
建てて、「廬山第一の絶景」を庶民が「誰でも」「自由に」楽しむのをできなくしたのかも(@_@;)
自信を持って他人に推奨できる作品…ないですね((+_+))
それがあること自体、凄いことではないかと思います。
by ナベちはる (2024-01-14 17:03)
いつか欠点を見付けて評価を一変させてしまうかもしれ
ないので「現時点では」と付言すべきだったかも(^_^;)
by middrinn (2024-01-14 17:43)
廬山の五老峰の滝の前に常に座っていた天秤座の童虎(紫龍の師匠)
のモデルはもしかして白居易か?(笑)。
「釣りキチ三平」と「MAJOR2」はおすすめにならないのか・・・
by tai-yama (2024-01-14 22:57)
知らんなC= (-。- ) フゥー 松浦友久(編著)植木久行&宇野直人&
松原朗(著)『漢詩の事典』(大修館書店,1999)によると、廬山
の滝を詠んだ詩では李白のと白居易のが有名らしいですよ(^_^;)
by middrinn (2024-01-15 05:33)
中国では唐の時代はおろか、前漢の時代でも、隈なく領主が
居たので。隠れてそっと鉄器武具など作れず。船に鉄材料を
積み、わざわざ日本でたたら焼きをして、作ってから、国内
に戻して匈奴征伐用などに、していたのかもしれないですね。
弥生時代の当時は、日本列島こそが「桃源郷」だったのかも。
by df233285 (2024-01-15 06:51)
我が国には武器輸出三原則が・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
by middrinn (2024-01-15 08:21)