230722読んだ本【バカチン歴史家③プラス】 [バカチン歴史家]
捏造や間違いをどれだけ見付けられるか読み手の教養と知識を試す本ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
新聞のTV欄には「・・・吉岡秀隆ほか」など「ほか」とされちゃった人々の悲しみが(´;ω;`)ウッ…
【読んだ本(バカチン歴史家③プラス)】
角田文衞『承香殿の女御 復原された源氏物語の世界』(中公新書,1963)所蔵本
・・・/長徳二年か三年の晩秋のことと思われるが、[藤原]公任は桂殿で
静養中の[藤原]顕光夫妻を訪れたことがあった。顕光が乙訓郡の桂に荘園を領し、
そこに小さな山荘をもっていたものとみえる。顕光は庶民に稲刈りをさせ、
[顕光の妻の]盛子内親王がちょうどそれを眺めているときであった。公任は
早速これを歌に詠んだり、また夫妻と歓談したりしたのち、顕光の乗物に同車して
京にもどったことであった。のちに顕光を襲ったさまざまの悲運を思えば、
このころが顕光にとってもっともたのしいときであったろう。・・・
この本書49頁の藤原顕光と藤原公任に関するエピソードの典拠は「『前大納言公任卿集』」(本書
155頁)としか記されていないが、伊井春樹&津本信博&新藤協三『私家集全釈叢書7 公任集全釈』
(風間書房,1989)から歌と詞書を訳と一緒に引く( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
八月廿八日、桂殿に右の大殿の北の方などおはして、稲刈らせて見たまひけるに
ちよをへて刈りつむ宿の稲なればおほくの年をあたる君かな
八月二十八日、桂殿に右大臣の北の方などがおいでになり、稲を刈らせてそれを
御覧になった折に、
千年もの間刈り取っては積み続けてきたこの家の稲だから、それを見るあなたは、
これからも多くの歳月を過ごすことですね。あなたの寿命は限りなく長いものですよ。
山里の紅葉はときもわかぬかな秋のなかばに色深く見ゆ
山里の紅葉は時節をわきまえないものであるよ。まだ秋の半ばだというのに、
もうすっかり色濃く見えることです。
とやいはましと思ひて、ふところ紙に書きてもたせたまへるを、大殿の御ひとつ車にて、
おとしたまへりければ、帰りたまひて、またのあしたに、かくやいはましとなむ
おぼえしとて、きこえたまへりける
山里にまだき散りけることのはを宿のあるじやかきとどめけむ
とでも詠もうかと思って、懐紙に書いてお持ちになっていたのだが、大臣と同車
なさって、その懐紙を落してしまわれたので、お帰りになって翌朝、このような
歌を詠もうかと思っていましたと言って、一首つけ加えて、申し上げなさった歌、
山里で差し上げる前に早々と落してしまった歌を、宿の主のあなたは掻き集めて、
手許にとどめておいてくれたのでしょうか。
同書の語釈に詞書の「右の大殿」は〈道長。「右」は「左」の誤りか。〉とあるように、公任が桂の
山荘に訪ねたのは左大臣の藤原道長であって右大臣の顕光ではないヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
角田文衞は例によって「顕光にとってもっともたのしいとき」を捏造してるオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
後藤祥子(校注)『公任集』(犬養廉&後藤祥子&平野由紀子[校注]『新日本古典文学大系28 平安
私家集』[岩波書店,1994]所収)も詞書の「右」を「・・・誤写か。」と脚注に記し、小町谷照彦
『王朝の歌人7 藤原公任』(集英社,1985)も「八月二十八日、道長は倫子とともに桂の山荘におも
むき、公任も同行して和歌を詠んだ。」云々として上記の歌を紹介v( ̄∇ ̄)ニヤッ 「右」は「左」の
「誤り」「誤写」とする根拠として諸書が真っ先に挙げているのは道長の日記『御堂関白記』なので
(他に藤原実資の日記『小右記』も)、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(下)』
(講談社学術文庫,2009)の現代語訳で長和4年(1015年)8月28日条を引くオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
二十八日、乙巳。 桂に行く
桂の山荘に到った。女方[源倫子]と共に行った。中宮大夫[藤原道綱]・
四条大納言(藤原公任)・権大納言(藤原頼通)・源中納言[源俊賢]・
左衛門督[藤原教通]・権中納言(藤原頼宗)・新中納言(源経房)・
宰相中将(藤原兼隆)・左大弁[源道方]・三位中将(藤原能信)・
藤宰相(藤原公信)・右大弁[藤原朝経]、殿上人十余人が、一緒に来た。
夜に入って、還った。
さて、さて、さ~て!公任の歌が顕光ではなく道長の桂の山荘を訪ねた際の詠作であるという解釈を
補強する証拠が森本元子『私家集全釈叢書6 定頼集全釈』(風間書房,1989)にあったv( ̄∇ ̄)ニヤッ
大殿[おほいどの]桂におはしたるに、題二ついだして歌よみ給ひしに、
山里に田刈るといふ題
山里にほどへぬるかな秋の田のかりそめとこそ思ひつれども
左大臣[道長]殿が桂においでになったとき、歌題を二つ出して歌を
およみになったが、「山里に田を刈る」という題で
山里にゆっくりくらしてしまったなあ。秋の田を刈りはじめるほんのちょっとと
思ったのだけれど。
紅葉を翫[もてあそ]ぶ
秋はまだ深からねども霧間よりむらむらみゆる嶺のもみぢ葉
「紅葉ほ翫ぶ」という題で
秋はまだ深くはないけれども、霧のたえまから、むらむらに見える峯のもみじの
美しいことよ。
別の歌の語釈に〈・・・「大殿」は大臣の尊称で、この前後、日記や家集に見える「大殿」はすべて
道長とみてよい。〉とある如く単に「大殿」なら道長を指すとするのが自然で、もし右大臣(顕光)
なら右大殿と記したはず(^^) また和歌の題を出しているところも、如何にも道長らしいかと(^_^;)
森本元子は『御堂関白記』と『小右記』と『公任集』を引いた上で「定頼集のここの二題は、公任の
右の二首によく合致し、長和四年(一〇一五)八月二十八日の作とみてよいであろう。」と結論(^^)
『定頼集』と『公任集』と『御堂関白記』が連環してトライアングルが完成したじゃんv( ̄∇ ̄)ニヤッ
伊井春樹&津本信博&新藤協三・前掲書、後藤祥子・前掲書、小町谷照彦・前掲書は藤原定頼の2首
について言及すらしてないけど、定頼の名前は挙がっていなかったから調べなかったのかな(@_@;)
①角田文衞は藤原元子の「生活の記録をできるだけ忠実に復原」どころか捏造オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-12-30
②作者の「堀河右大臣」は藤原顕光ではなく藤原頼宗(道長の子)だよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-12-31
③角田文衞は例によって「顕光にとってもっともたのしいとき」を捏造してるオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-01-02
新聞のTV欄には「・・・吉岡秀隆ほか」など「ほか」とされちゃった人々の悲しみが(´;ω;`)ウッ…
【読んだ本(バカチン歴史家③プラス)】
角田文衞『承香殿の女御 復原された源氏物語の世界』(中公新書,1963)所蔵本
・・・/長徳二年か三年の晩秋のことと思われるが、[藤原]公任は桂殿で
静養中の[藤原]顕光夫妻を訪れたことがあった。顕光が乙訓郡の桂に荘園を領し、
そこに小さな山荘をもっていたものとみえる。顕光は庶民に稲刈りをさせ、
[顕光の妻の]盛子内親王がちょうどそれを眺めているときであった。公任は
早速これを歌に詠んだり、また夫妻と歓談したりしたのち、顕光の乗物に同車して
京にもどったことであった。のちに顕光を襲ったさまざまの悲運を思えば、
このころが顕光にとってもっともたのしいときであったろう。・・・
この本書49頁の藤原顕光と藤原公任に関するエピソードの典拠は「『前大納言公任卿集』」(本書
155頁)としか記されていないが、伊井春樹&津本信博&新藤協三『私家集全釈叢書7 公任集全釈』
(風間書房,1989)から歌と詞書を訳と一緒に引く( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
八月廿八日、桂殿に右の大殿の北の方などおはして、稲刈らせて見たまひけるに
ちよをへて刈りつむ宿の稲なればおほくの年をあたる君かな
八月二十八日、桂殿に右大臣の北の方などがおいでになり、稲を刈らせてそれを
御覧になった折に、
千年もの間刈り取っては積み続けてきたこの家の稲だから、それを見るあなたは、
これからも多くの歳月を過ごすことですね。あなたの寿命は限りなく長いものですよ。
山里の紅葉はときもわかぬかな秋のなかばに色深く見ゆ
山里の紅葉は時節をわきまえないものであるよ。まだ秋の半ばだというのに、
もうすっかり色濃く見えることです。
とやいはましと思ひて、ふところ紙に書きてもたせたまへるを、大殿の御ひとつ車にて、
おとしたまへりければ、帰りたまひて、またのあしたに、かくやいはましとなむ
おぼえしとて、きこえたまへりける
山里にまだき散りけることのはを宿のあるじやかきとどめけむ
とでも詠もうかと思って、懐紙に書いてお持ちになっていたのだが、大臣と同車
なさって、その懐紙を落してしまわれたので、お帰りになって翌朝、このような
歌を詠もうかと思っていましたと言って、一首つけ加えて、申し上げなさった歌、
山里で差し上げる前に早々と落してしまった歌を、宿の主のあなたは掻き集めて、
手許にとどめておいてくれたのでしょうか。
同書の語釈に詞書の「右の大殿」は〈道長。「右」は「左」の誤りか。〉とあるように、公任が桂の
山荘に訪ねたのは左大臣の藤原道長であって右大臣の顕光ではないヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
角田文衞は例によって「顕光にとってもっともたのしいとき」を捏造してるオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
後藤祥子(校注)『公任集』(犬養廉&後藤祥子&平野由紀子[校注]『新日本古典文学大系28 平安
私家集』[岩波書店,1994]所収)も詞書の「右」を「・・・誤写か。」と脚注に記し、小町谷照彦
『王朝の歌人7 藤原公任』(集英社,1985)も「八月二十八日、道長は倫子とともに桂の山荘におも
むき、公任も同行して和歌を詠んだ。」云々として上記の歌を紹介v( ̄∇ ̄)ニヤッ 「右」は「左」の
「誤り」「誤写」とする根拠として諸書が真っ先に挙げているのは道長の日記『御堂関白記』なので
(他に藤原実資の日記『小右記』も)、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(下)』
(講談社学術文庫,2009)の現代語訳で長和4年(1015年)8月28日条を引くオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
二十八日、乙巳。 桂に行く
桂の山荘に到った。女方[源倫子]と共に行った。中宮大夫[藤原道綱]・
四条大納言(藤原公任)・権大納言(藤原頼通)・源中納言[源俊賢]・
左衛門督[藤原教通]・権中納言(藤原頼宗)・新中納言(源経房)・
宰相中将(藤原兼隆)・左大弁[源道方]・三位中将(藤原能信)・
藤宰相(藤原公信)・右大弁[藤原朝経]、殿上人十余人が、一緒に来た。
夜に入って、還った。
さて、さて、さ~て!公任の歌が顕光ではなく道長の桂の山荘を訪ねた際の詠作であるという解釈を
補強する証拠が森本元子『私家集全釈叢書6 定頼集全釈』(風間書房,1989)にあったv( ̄∇ ̄)ニヤッ
大殿[おほいどの]桂におはしたるに、題二ついだして歌よみ給ひしに、
山里に田刈るといふ題
山里にほどへぬるかな秋の田のかりそめとこそ思ひつれども
左大臣[道長]殿が桂においでになったとき、歌題を二つ出して歌を
およみになったが、「山里に田を刈る」という題で
山里にゆっくりくらしてしまったなあ。秋の田を刈りはじめるほんのちょっとと
思ったのだけれど。
紅葉を翫[もてあそ]ぶ
秋はまだ深からねども霧間よりむらむらみゆる嶺のもみぢ葉
「紅葉ほ翫ぶ」という題で
秋はまだ深くはないけれども、霧のたえまから、むらむらに見える峯のもみじの
美しいことよ。
別の歌の語釈に〈・・・「大殿」は大臣の尊称で、この前後、日記や家集に見える「大殿」はすべて
道長とみてよい。〉とある如く単に「大殿」なら道長を指すとするのが自然で、もし右大臣(顕光)
なら右大殿と記したはず(^^) また和歌の題を出しているところも、如何にも道長らしいかと(^_^;)
森本元子は『御堂関白記』と『小右記』と『公任集』を引いた上で「定頼集のここの二題は、公任の
右の二首によく合致し、長和四年(一〇一五)八月二十八日の作とみてよいであろう。」と結論(^^)
『定頼集』と『公任集』と『御堂関白記』が連環してトライアングルが完成したじゃんv( ̄∇ ̄)ニヤッ
伊井春樹&津本信博&新藤協三・前掲書、後藤祥子・前掲書、小町谷照彦・前掲書は藤原定頼の2首
について言及すらしてないけど、定頼の名前は挙がっていなかったから調べなかったのかな(@_@;)
①角田文衞は藤原元子の「生活の記録をできるだけ忠実に復原」どころか捏造オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-12-30
②作者の「堀河右大臣」は藤原顕光ではなく藤原頼宗(道長の子)だよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-12-31
③角田文衞は例によって「顕光にとってもっともたのしいとき」を捏造してるオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-01-02
スペースに制限があるとはいえ、「ほか」でまとめられるのはかわいそうですよね(+o+)
同じ番組の、他の部分を削るわけにもいかないですし…
by ナベちはる (2023-07-22 18:32)
一生の内、もっとも楽しい時なんて一瞬と(笑)。
そんな私でもモテ期があった・・・・・・
その後の顕光の悲惨さを書けば絶頂期がさらに誇張できたかも。
by tai-yama (2023-07-22 19:36)
なんやて
by suzu* (2023-07-22 22:22)
又、コメント全部残せへん⤵️
〝ほか〟って…
名前書いておくれよぉ〜
〝雑草と言う草はない〟
無名な人などおらんでさぁ
挿絵、装画などなども
by suzu* (2023-07-22 22:24)
そいえばだが。
「日本の安全はアメリカが保証してくれている」
というのは、現代のスピード社会下では。真偽として
どうなんだろか?
by df233285 (2023-07-22 22:50)
モブor格下or不人気であると認定されるようなもので、
ナベちはる様、本人としては悔しいでしょうね(-ω-、)
by middrinn (2023-07-23 04:55)
「顕光にとってもっともたのしいとき」は「一瞬」ではなく幻(^_^;)
藤原顕光の「その後」についてもモチ叙述はされてますけど、顕光を
有能な人物だったと捏造したから、おかしな感じになってます(^_^;)
tai-yama様も緑色のバイクに戻されれば再びモテ期到来かと(^o^)丿
by middrinn (2023-07-23 05:50)
まぁ、ほかにされないよう有名になるしかないかと(^^;
by そら (2023-07-23 06:40)
「吾輩は妻である。名はある。が名を呼ばれたことはない。」で始まる
春日トキ『吾輩は妻である』(猫被里本舗)という本が、垣芝折多(著)
松山巖(編)『偽書百選』(文春文庫,1997)で紹介されておりまして、
suzu*様、ここにも名前があるのに名前を呼ばれない人々が(´;ω;`)ウッ…
牧野富太郎、〈雑草と言う草はない〉で、近く2回書く予定です(^_^;)
by middrinn (2023-07-23 06:50)
Jアラートを見てると速報性の点でも怪しいですけどね(@_@;)
長さん様、在日米軍の防空監視システムは高性能な気も(@_@;)
by middrinn (2023-07-23 07:14)
視聴率を稼げるような圧倒的な人気が、
そら様、あれば、でしょうねぇ(^_^;)
by middrinn (2023-07-23 07:30)