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230723読んだ本

会社のトップがいるところで男性若手社員が女性社員に話しかけるのは何か問題があるのか(@_@;)
猫の長~い尻尾の先の方に硬いトゲのような爪みたいなのが一本だけ生えてるけど何だろう(@_@;)

【読んだ本】

森本元子『私家集全釈叢書6 定頼集全釈』(風間書房,1989)所蔵本

藤原定頼(公任の子)の家集を購入する気になったのは峯岸義秋『歌合の研究』(三省堂,1954)が
「續群書類従にも異本權中納言定頼卿集が収録されてゐるが、そのなかの廣澤の逍遥や嵯峨野の旅寝
などをしるしたあたりは、物語的な叙述にすぐれたものを見せ、あの有名な和泉式部日記ほどの價値
は認められないが、いろいろの意味でそれと對照される注目すべき作品だとわたくしは思つてゐる。」
と評してたから(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-03-02 )(^_^;)

      八月十七日の夜、いみじく月あかかりしかば、内裏に参りて候ふに、大殿など
      おはしまして、女房などに物言はむもびんなかりしかば、南殿の御前にゆきて
      月をながむるに、夜のいたく更くるままにいはむかたなし。蔵人もとなかを
      よびて、こよひの月、いづこいみじくおもしろからん、ありかばやなど言ひて、
      まづただ車に乗りなんと言ひて、広沢こそおもしろからめ、そちいかんと言ひて
      いくほどに、二条にて西ざまに見やりたる、さらに言はんかたなし。門どもの
      見えつづきたる、八省の門の廊の上ばかり、ただほのかに絵にかけると見ゆ。
      嵯峨野過ぎて、かの寺にいき着きたるに、所のさま、げにいといみじ。いたく
      破れたる反橋、たどるたどる渡りて、堂のもとにいきたれば、みな開けて人もなし。
      月の影に見れば、みな金色の仏見え給ふ。あはれなりとは世の常なり。長押の
      もとまで秋の野よりもしげく草生ひ、虫の声ひまなし。いみじくもあるかななど
      言ひ合はせて、しりへなる山のひんがしに、鹿のただ一声鳴きたる、ものおぼえず
      言はんかたなし。さらにこよひは歌よむべきかたなし、何ごとをよみ、なに事を
      すべきにもあらずなど言ふほどに、さりとてまた、むげにてあらんもものくるはし、
      ただ忍びてはやむともとて、かくいふ

    水[み]草ひく人しなければ水の面[おも]にやどれる月もすみぞわづらふ

       八月十七日の夜、たいそう月があかるかったので、内裏に参上して伺候していた
       ところ、大殿[=藤原道長]などがいらっしゃって、女房などに話しかけるのも
       具合わるかったので、南殿の前庭に行って月をながめていると、夜がたいそう
       更けるにつれて、何といいようもなく心地よい。蔵人のもとなか[←未詳だが、
       藤原範永か?と本書]を呼んで、「今夜のこの月、どこが特別よいだろう。
       見てあるきたいな」など言って、「まずは車に乗ろう」と言って、「広沢が
       おもしろいだろうな。そちらへ行こう」と言って行くうちに、二条で西の方へ
       視線をやった、そのすばらしさはまったく言いようもない。宮門がずらっと
       並んで見えた具合、八省の門の廊の屋根だけが、ただほんのり絵にかいたように
       見える。嵯峨野を過ぎて、目ざす寺[=遍照寺]に行き着いた時、その場の様子は、
       なるほど実にすばらしい。西側の僧坊の人も住まず荒れた所で月を見ていると、
       もの思いのありったけを尽しそうだ。ひどく損傷した反橋をこわごわ渡って、
       堂のもとに行ってみると、どこも皆あいていて誰もいない。月の光でのぞくと、
       すべて金色の仏様がお見えになる。あわれのひと言では言い尽くせない。長押
       の下まで、秋の野よりもうっそうと草が茂り、虫の声がしきりにする。「実に
       身にしむことだな」など語り合って、後の山の東方に鹿がただ一声鳴いた時は、
       正気も失せて言いようのない気持だ。「いやまったく今夜は、どう歌をよむべきか
       わからない」「何ごとも、詠んだりしたりできっこないよ」など言ううちに、
       「とはいっても、また全然何もしないでいるのは非常識だ。ただ公表はしない
       までも」と言って、こう詠む

     水草をひきぬく人などいないので、水面に宿った月も住みづらそうに澄みきれずにいるよ。

在原業平の『古今和歌集』入集歌の詞書に匹敵する長~い詞書かと( ̄◇ ̄;) さて、さて、さ~て!
藤原道長の前で藤原定頼が内裏の女房たちに話かけたりするのはどうして具合が悪いのかな(@_@;)
藤原定頼が話しかけた女房のことを藤原道長も密かに狙ってた場合の後難を恐れ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
タグ:和歌 歴史
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

「会社のトップがいるところで男性若手社員が女性社員に話しかける
のは」ビッグモーターの店内点検のことかと思ったり(笑)。
藤原道長の陰口を話す予定だったり・・・・
by tai-yama (2023-07-23 23:07) 

middrinn

内裏の女房たちに道長の陰口を話したりするのかなぁ(@_@;)
トップの陰口を話してるから宇都宮へ飛・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
やはり(また)口説いてると思われたくなかったとか(^_^;)
by middrinn (2023-07-24 05:40) 

df233285

西暦1016年頃「藤原道長流満月の世」になったので。道長は、
仏教に傾倒し、藤原定頼も調子を合わせて、禁色をしたらしい
じゃないんですかね。それで、「そのはずなのに」と道長に
怪訝顔されるのが嫌で、女性全般に声を掛けている姿を定頼は、
道長に見せないようにしたという経緯では。この月、何か
かの「満月」の「直後」という、和歌に良く有る引っかけでは?
by df233285 (2023-07-24 21:55) 

middrinn

藤原道長の望月の歌は寛仁2年(1018年)10月16日に詠まれてますが、
本書も作者たちの官職から寛仁2年(1018年)8月17日と推定(^_^;)
by middrinn (2023-07-25 05:15) 

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