230601読んだ本
罰ゲームも人によっては御褒美だったりするからわざと負ける御仁もいそうオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
2、3ヶ月に1回ランチするお店がスタンプカードを始め、1000円以上でスタンプ1個、8月末までに
スタンプ5個で500円割引の由、既に1個押されていて毎回2000円以上の会計なので8月末までに2回
行けば達成かと思いきや、どうも1回2000円以上でもスタンプは1個しか押されないっぽい(ノ゚ο゚)ノ
【読んだ本】
吉川忠夫『王羲之 六朝貴族の世界』(岩波現代文庫,2010)所蔵本
「曲水の宴」について以前から疑問に思っていたことがあったので、wikiの「曲水の宴」を見たら、
その記述に頭を抱えた(@_@;)
曲水の宴(きょくすいのうたげ(えん)、ごくすいのうたげ(えん))は、
水の流れのある庭園などでその流れのふちに出席者が座り、流れてくる盃が
自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み[ママ]、盃の酒を飲んで次へ流し、
別堂でその詩歌を披講するという行事である。流觴(りゅうしょう)など
とも称される。略して曲水、曲宴ともいう(『広辞苑』第2版)。
なお、「水上から流れてきた盃が自身の前を流れるまでに歌を詠む」とする
解説が広く流布されているが、これは曲水の宴が行われなくなった室町時代
の『公事根源』などの記述が発祥となったとみられており、平安時代の曲水
の宴の様子を描いた記録[1]を見てもこうした事実を裏付けるものはなく、
事実ではなかったと考えられている[2]。
どこがどう違うんですかね(@_@;) 「読み」は「作り」の意で、「盃の酒を飲んで次へ流し、別堂
でその詩歌を披講する」という部分なのかな(@_@;) 注1に「例えば、『御堂関白記』寛弘4年3月3日
・4日条。」とあるので、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』(講談社学術
文庫,2009)の訳で寛弘4年(1007年)3月3日条と同4日条を引く(@_@;)
三日、庚子。 土御門第曲水宴
土御門第で曲水の宴を催した。東渡殿のところから流れている川の東西に、草墪と硯台
を立てた。東対の南唐廂に公卿と殿上人の座、南廊の下に文人の座を設けた。辰剋の頃、
大雨が降った。水辺の座を撤去した。その後、風雨が烈しくなった。廊の下の座に雨が
入ってきた。そこで対の内部に座を設けていた頃に、公卿が来られて、座に着した。
新中納言(藤原忠輔)と式部大輔(菅原輔正)の二人が、詩題を出した。式部大輔は、
「流れに因りて酒を泛[うか]ぶ」と出した。これらを用いた。申剋の頃、天気が
晴れた。水辺に座を立てた。土居に降りた。羽觴が頻りに流れてきた。唐の儀式を
移したものである。皆は詩を作った。夜に入ってて、上に昇った。右衛門督(藤原斉信)
・左衛門督(藤原公任)・源中納言(源俊賢)・新中納言・勘解由長官(藤原有国)・
左大弁(藤原行成)・式部大輔・源三位(源則忠)、殿上人や地下の文人が二十二人、
参会した。
四日、辛丑。 披講
詩ができあがった。流れの辺りに降りて清書した。流れの下に立った。草墪を立て
廻らせた。詩を披講した。池の南廊の楽所に数曲の声が有った。昨日、舞人は重ね装束
を着した。今朝は位袍を着した。講書が終わった頃、被物を下賜した。納言に直衣と指貫、
宰相に直衣、殿上人には或いは絹の褂[うちき]、或いは白い褂、地下の五位に単重、
殿上人の六位に袴、他は疋絹を下賜した。序は(大江)匡衡朝臣が作り、講師は(大江)
以言であった。
「盃の酒を飲んで次へ流し」てる場面は描かれていないと思うのだが、もしかして国際日本文化研究
センター「摂関期古記録データベース」だと「羽觴、頻りに流る。唐家の儀を移す。衆、感懐す。」
となっている「感興す」がソレに該当すると言うのかな(@_@;) 注2及び参考文献に挙げられている
〈戸川点「曲水宴の政治文化」(初出:小島菜温子・倉田実・服藤早苗 編『王朝びとの生活誌』
(森話社、2013年)/所収:戸川『平安時代の政治秩序』(同成社、2018年))〉を参照してみない
と小生には解らんな(@_@;) そもそも「詩歌を読み」なんて書くような輩の執筆だからな(@_@;)
「唐家の儀」の代表例、てゆーか、超有名な曲水の宴を本書は次の如く描くも、やはり疑問(@_@;)
・・・その間を流れる早瀬は陽光をうけてきららかにかがやき、そこから導きこまれた
流れにそって、あつまった人々はおもいおもいに座をしめ、水面を流れくだってくる觴
[さかずき]を手にすくって、自作の詩を朗詠する。もし詩を賦しえぬものは、罰として
大杯につがれた三斗の酒をほさねばならないさだめであった。いわゆる曲水流觴の宴で
ある。蘭亭の会において、罰杯をうけた十五人をのぞくと、四言詩と五言詩それぞれ一首、
あわせて二首をものにしたのは、[王]羲之をはじめ十一人。いずれか一首をものにした
のは十六人であった。・・・
2、3ヶ月に1回ランチするお店がスタンプカードを始め、1000円以上でスタンプ1個、8月末までに
スタンプ5個で500円割引の由、既に1個押されていて毎回2000円以上の会計なので8月末までに2回
行けば達成かと思いきや、どうも1回2000円以上でもスタンプは1個しか押されないっぽい(ノ゚ο゚)ノ
【読んだ本】
吉川忠夫『王羲之 六朝貴族の世界』(岩波現代文庫,2010)所蔵本
「曲水の宴」について以前から疑問に思っていたことがあったので、wikiの「曲水の宴」を見たら、
その記述に頭を抱えた(@_@;)
曲水の宴(きょくすいのうたげ(えん)、ごくすいのうたげ(えん))は、
水の流れのある庭園などでその流れのふちに出席者が座り、流れてくる盃が
自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み[ママ]、盃の酒を飲んで次へ流し、
別堂でその詩歌を披講するという行事である。流觴(りゅうしょう)など
とも称される。略して曲水、曲宴ともいう(『広辞苑』第2版)。
なお、「水上から流れてきた盃が自身の前を流れるまでに歌を詠む」とする
解説が広く流布されているが、これは曲水の宴が行われなくなった室町時代
の『公事根源』などの記述が発祥となったとみられており、平安時代の曲水
の宴の様子を描いた記録[1]を見てもこうした事実を裏付けるものはなく、
事実ではなかったと考えられている[2]。
どこがどう違うんですかね(@_@;) 「読み」は「作り」の意で、「盃の酒を飲んで次へ流し、別堂
でその詩歌を披講する」という部分なのかな(@_@;) 注1に「例えば、『御堂関白記』寛弘4年3月3日
・4日条。」とあるので、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』(講談社学術
文庫,2009)の訳で寛弘4年(1007年)3月3日条と同4日条を引く(@_@;)
三日、庚子。 土御門第曲水宴
土御門第で曲水の宴を催した。東渡殿のところから流れている川の東西に、草墪と硯台
を立てた。東対の南唐廂に公卿と殿上人の座、南廊の下に文人の座を設けた。辰剋の頃、
大雨が降った。水辺の座を撤去した。その後、風雨が烈しくなった。廊の下の座に雨が
入ってきた。そこで対の内部に座を設けていた頃に、公卿が来られて、座に着した。
新中納言(藤原忠輔)と式部大輔(菅原輔正)の二人が、詩題を出した。式部大輔は、
「流れに因りて酒を泛[うか]ぶ」と出した。これらを用いた。申剋の頃、天気が
晴れた。水辺に座を立てた。土居に降りた。羽觴が頻りに流れてきた。唐の儀式を
移したものである。皆は詩を作った。夜に入ってて、上に昇った。右衛門督(藤原斉信)
・左衛門督(藤原公任)・源中納言(源俊賢)・新中納言・勘解由長官(藤原有国)・
左大弁(藤原行成)・式部大輔・源三位(源則忠)、殿上人や地下の文人が二十二人、
参会した。
四日、辛丑。 披講
詩ができあがった。流れの辺りに降りて清書した。流れの下に立った。草墪を立て
廻らせた。詩を披講した。池の南廊の楽所に数曲の声が有った。昨日、舞人は重ね装束
を着した。今朝は位袍を着した。講書が終わった頃、被物を下賜した。納言に直衣と指貫、
宰相に直衣、殿上人には或いは絹の褂[うちき]、或いは白い褂、地下の五位に単重、
殿上人の六位に袴、他は疋絹を下賜した。序は(大江)匡衡朝臣が作り、講師は(大江)
以言であった。
「盃の酒を飲んで次へ流し」てる場面は描かれていないと思うのだが、もしかして国際日本文化研究
センター「摂関期古記録データベース」だと「羽觴、頻りに流る。唐家の儀を移す。衆、感懐す。」
となっている「感興す」がソレに該当すると言うのかな(@_@;) 注2及び参考文献に挙げられている
〈戸川点「曲水宴の政治文化」(初出:小島菜温子・倉田実・服藤早苗 編『王朝びとの生活誌』
(森話社、2013年)/所収:戸川『平安時代の政治秩序』(同成社、2018年))〉を参照してみない
と小生には解らんな(@_@;) そもそも「詩歌を読み」なんて書くような輩の執筆だからな(@_@;)
「唐家の儀」の代表例、てゆーか、超有名な曲水の宴を本書は次の如く描くも、やはり疑問(@_@;)
・・・その間を流れる早瀬は陽光をうけてきららかにかがやき、そこから導きこまれた
流れにそって、あつまった人々はおもいおもいに座をしめ、水面を流れくだってくる觴
[さかずき]を手にすくって、自作の詩を朗詠する。もし詩を賦しえぬものは、罰として
大杯につがれた三斗の酒をほさねばならないさだめであった。いわゆる曲水流觴の宴で
ある。蘭亭の会において、罰杯をうけた十五人をのぞくと、四言詩と五言詩それぞれ一首、
あわせて二首をものにしたのは、[王]羲之をはじめ十一人。いずれか一首をものにした
のは十六人であった。・・・
"1000円毎に1スタンプ"じゃないのがミソだったり(笑)。
「水上から流れてきた盃が自身の前を流れるまでに歌を詠む」
と言う解釈を見ると、流しそうめん(取らないと流れてしまう)
を思い出したり・・・・
by tai-yama (2023-06-01 23:40)
たしかに、他店のは「ご利用金額500円につきスタンプを1つ押印」なのに、
この店のは「1000円以上のお会計でスタンプを1個押印」という文言(^_^;)
もしかしたら、流しそうめんは曲水の宴をヒントにしたものだったり(^_^;)
流しそうめんは取り逸れることなどなさそうなので必ず食べられますし、曲水
の宴も詩歌が作れれば飲め、作れなくても罰杯が飲めるわけですしね(^_^;)
by middrinn (2023-06-02 05:53)
そのような罰杯ルールは、めったに施行されなかったが、
内容が、作れなかったら進んで罰杯を飲むという詩歌が
他の参加者のてまえ、良く詠まれたのかも。
by df233285 (2023-06-02 08:02)
「罰杯」という語が存在する以上、また蘭亭の会を模倣して、
実際に行われてそうですけど、実例は見付かりません(^_^;)
曲水の宴で詠まれたとされる和歌はあるのですが、曲水の宴
の具体的な段取り等を詠んでるものが見付かりません(^_^;)
この会を紹介する渡部英喜『漢詩歳時記』(新潮選書,1992)
には「・・・罰として大杯に注がれた三斗(一斗は二・〇二
リットル)の酒を・・・」と説明が、凄い量ですねぇ(^_^;)
by middrinn (2023-06-02 10:55)