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230311読んだ本

昨日ブックオフで早くもマスクをしないで入店している客が一人だけいてレジで饒舌だった(@_@;)
「CICIBELLA」のマスクの広告のモデルのお姉さんが好きなんだけど、逢えなくなりそう(-ω-、)
楽天市場からのメールで逢えるのが愉しみだったのに(´;ω;`) 未だに名前が判らんし(´ヘ`;)

【読んだ本】

山中裕(日本歴史学会編集)『藤原道長』(吉川弘文館人物叢書,2008新装版)

山中裕は本書でも「古記録、いわゆる和風漢文の公卿の日記は、いずれも史実が正確に書かれている
と言われ、古文書とともに大変重んじられるものである。」(本書226頁)と歴史学の研究者として
真っ当なことを述べながら(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-02-05 )、
古記録の代表格である藤原実資の日記『小右記』の記述の安易な利用について「注意すべきである」
と指摘するのは結構だけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-02-06 )、
本書の「はしがき」で、「また、古記録に次いで多く用いたのは『栄花物語』である。・・・作者は
現在の歴史小説のように意図的な虚構を書くつもりはまずなかったと言ってよいと思う。一見、虚構
のように見える史実の誤りは、意図的な改変ではなく、気が付かぬ史実の誤りと見るべきである。/
その中には、もちろん、原史料の誤りをそのまま用いてしまったものなどもあろう。・・・本書に
『栄花物語』は史料としてかなり多く用いた。これらは『栄花物語』の史実として誤りのない部分で
ある。また、史実かどうか、ややあやふやな場面は、確実な文献である『御堂関白記』『小右記』
『権記』などとよく比較検討して用いたつもりである。/・・・」(本書8~11頁)と記している
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-02-21 )Σ( ̄ロ ̄lll)ニャンと!?
しかし、「比較検討」をしたとは思えぬ件もあり、道長による一条天皇譲位の策動を記さないなど、
本書は道長のことを賛美するために書かれたとされている『栄花物語』よりも『栄花物語』だったり
するんだよね(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-03-05 )ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

さて、史実と異なる『栄花物語』の叙述として挙げられるのは、娍子立后の件ではないかと(@_@;)

娍子は故藤原済時の女で、「納言の女は后になる資格が無い」として立后を諦めていた三条天皇に、
道長は済時に大臣を贈ればよいと提案したので、三条天皇は済時を贈太政大臣(実際には贈右大臣)
としたなどとする『栄花物語』の叙述を紹介した上で本書は次の如く述べる(本書132頁)(@_@;)

    ・・・/娍子立后に関する『栄花物語』の記述は、道長を善人とするための虚構で、
    信頼できないという見方もある。しかし故済時を大臣にしたという事実が存在する
    のであるから、簡単に虚構などというべきではない。/・・・

ただ、土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』(中公文庫,1973初版→2004改版)は、娍子立后の日に
おける道長の妨害工作を紹介した上で「・・・こう見て来ると、道長が娍子の立后を天皇にすすめた
とか、道長が娍子を賞めたとかいうようなことばかりを記して、かれの悪辣な妨害になにひとつ触れ
ていない栄花物語の記事は、事の真を誤るものというほかない。」と断じているんだけどね(@_@;)

その娍子立后の日における道長の妨害工作は長くなるので省略するが、道長は別に意図して妨害した
わけではないと山中裕は一生懸命に弁護した上で、次のように結論(本書145~146頁)する(@_@;)

    ・・・/はたして意識的に道長は妨害しようとしたのだろうか。結果をみた場合に
    娍子側はあまりにもあわれであったため、実資がそのように感じて、書いただけの
    ことであろう。二つの儀式[娍子の立后と姸子の参内]をつつがなく済ませようと
    進めていたのに、そのような結果になってしまったのだと見たほうがより妥当なの
    ではないか。・・・/大臣が全部不参であるから、実資は大臣でもないのに俄に儀式
    の責任者にならざるを得なかった。その結果、実資は大いに不満でたまらなかった
    のも当然で、道長が何を考えているのかと実資なりに推測をめぐらし、考えすぎて
    しまったのである。・・・とにかく、「道長の妨害」と決めて自分の日記に書くのは
    行き過ぎである。さらに、実資の場合は、「資平云[すけひらいわく]」とか他人の
    云うことを、そのまま信じて日記を叙述していることも注意すべきである。/・・・

山中裕に言わせると、道長の妨害は実資によるでっち上げだと(@_@;) 娍子の立后と姸子の参内は
時刻が違うから大丈夫ですとの源俊賢の言葉を道長は信じて姸子の参内を実施したのだとする弁護論
は結構だけど、本書141頁の次の件は如何なものかΣ( ̄ロ ̄lll)ニャンじゃそりゃ!?

    ・・・/立后という大きな儀式に大臣が一人も出てこないということはあっては
    ならないことである。そのため、道長の方に集まっている幾人かが嘲笑したという。
    しかし、これは『小右記』の表現が少しオーバーなのではないだろうか。・・・

「表現が少しオーバー」とは笑止(^_^;) 『小右記』の長和元年(1012年)4月27日条を、倉本一宏編
『現代語訳 小右記5 紫式部との交流』(吉川弘文館,2017)の23、27、33~34頁の訳で引く(@_@;)

     二十七日、甲子。 娍子立后内弁・宣命上卿/宮司除目/本宮の儀

    ・・・按察中納言〈[藤原]隆家〉・右衛門督〈[藤原]懐平。〉・修理大夫
    〈[藤原]通任。〉が参入した。他の卿相は中宮に伺候した〈東三条第。「左府
    [藤原道長]も同じくいらっしゃる」と云うことだ。〉。召使に、諸卿に内裏に
    参るよう申させた。卿相の前に召し出し、口々に嘲哢・罵辱した。敢えて云う
    ことはできない。公事は無いようなものである。・・・

    ・・・/後に聞いたことには、「諸卿が東三条第に伺候していた際、喚使
    [かんし]が内裏に参るよう申したところ、手を打って同音に笑った。その後、
    嘲哢は極まり無かった。大蔵卿[藤原正光]は石を執って召使[しょうし]を
    打ったこと、二、三度であった」と云うことだ。狂乱したのか、神の咎めが
    有るか、天譴[てんけん]が有るか。至愚と称すべき者である。/

「嘲笑」を「後に聞いたこと」でも裏書きしてるんだから、やはり事実だったのではないか(@_@;)
タグ:古典 歴史 伝記
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

わざと大臣にして恥をかかせると言う手もあったり(笑)。
しかも天皇・皇后・皇后の親までダメージを与えると言う(効果大)。
実資もそれがわかっていたのかも・・・・

by tai-yama (2023-03-11 19:11) 

middrinn

「藤原済時」の前に「故」を付けたように「贈太政大臣」も
「贈右大臣」も追贈のことで死後に官位を贈ること(^_^;)
済時は既に故人ですので恥をかかせようがないかと(^_^;)
それに済時は既に生前に大恥をかいたとされてます(^_^;)
保坂弘司(全現代語訳)『大鏡』(講談社学術文庫,1981)に
「済時、大饗に白痴な八の宮に接待役をさせ、大恥をかく」
という見出しが付けられている節までありますから(^_^;)
by middrinn (2023-03-12 06:24) 

df233285

現代のようにテレビ会議が出来て、瞬時に複数イベント
参加が出来ると、妨害の効果が無いのかもしれないで
すけど、藤原道長も。私にもそう見えますが、≪露骨≫で
≪鋭い妨害≫しましたね。
by df233285 (2023-03-12 08:21) 

middrinn

たしかに、参内する姸子に供奉しながら、娍子の立后の
儀式にリモートで参加することも可能なのかも(^_^;)
どうして山中裕は道長を斯くも弁護するのか謎(@_@;)
by middrinn (2023-03-12 09:24) 

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