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230203読んだ本

頭脳も性格も変わらないため不正確なことを書く人はその後も次々不正確なことを書き散らす(@_@;)
失言癖の政治家もそうだし、研究者も年齢的に能力やセンスが劇的に改善することはないから(@_@;)
不正確なことを書いた人の本は読まないのが賢明だし、もし読むなら眉に唾をつけた方がいい(@_@;)

【読んだ本】

百目鬼恭三郎『続風の書評』(ダイヤモンド社,1983)所蔵本

『年表日本歴史 2 平安:784~1184』(筑摩書房,1980)を取り上げて、先ずは「この歴史年表は、
一見ユニークである。」として、延暦15年の項の京畿の欄には3月19日に諸国から武芸優秀者を徴発
したという記事を載せるなど、「このように地域を区分して、地方の動静がわかるようにした点は、
従来の歴史年表になかった試みにちがいない。」と(^_^;) 「しかし、その地域史の記事はどうも、
行当たりばったり式に恣意的な集め方をしているのではないか、と疑えないでもない。」と指摘し、
例えば、嘉祥3年は出羽国で大地震があって象潟ができるといった地形の大変動があったはずなのに
全く言及せず、同年6月に「出羽国に陰陽師一人を置く」なる記事を載せてる由(^_^;) 「それから、
記事の不正確さも目につくようだ。二、三例をあげると、・・・」として、歌枕で有名な長柄の橋が
かかっている長柄川をナガエガワと読んでたり、偽書『撰集抄』を本物扱いしているなど、4点指摘
した上で、百目鬼恭三郎は次のように記している(^_^;)

    ・・・/これらの不備は、編者が文化史の専門でないから目をつぶるとしても、
    寛仁元年三月八日に清原致信が藤原保昌の郎等に殺されたと記しているなどは
    いただけない。これは『扶桑略記』のまちがった記事を機械的に写したからで、
    『御堂関白記』などではちゃんと犯人は源頼親の従者であると記しているし、
    第一、『扶桑略記』だって、すぐ後に事件座して頼親が役職を解任されたと
    しているのである。杜撰なことだ。/

ちなみに、「この者[=清原致信]は、(藤原)保昌朝臣の郎等です。」(倉本一宏[全現代語訳]
『藤原道長「御堂関白記」(下)』[講談社学術文庫,2009])(^_^;) さて、さて、さ~て!本書で
この愚書『年表日本歴史 2』の「編者」が村井康彦であることを百目鬼恭三郎は明かしているけど、
驚いたことに、wikiの「村井康彦」の項には「専攻は日本文化史」、「日本古代史が専門だったが、
その後茶の湯研究に進み1993年茶の湯文化学会の設立に参加、日本の宮廷文化について多くの著作が
ある」エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ? 国会図書館や各大学図書館のOPACで村井康彦編の同書はヒットするのに、
wikiの「村井康彦」の項の「著書」「共編著・校註」に挙げられていないのは黒歴史なのかな(^_^;)
上記の例から村井康彦が『扶桑略記』をちゃんと読んでないことも判るけど、「すぐ後」とあるので
書かれている条=箇所が違う可能性(^_^;) でも、村井康彦が別の著作(『平安貴族の世界』)でも
藤原実資の日記『小右記』の長和5年(1016年)2月7日条の記述を誤読していることを指摘したけど
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-02-01 )、村井康彦が前に勤務してた
国際日本文化研究センターの「摂関期古記録データベース」から当該条の訓読文を抜粋する(^_^;)

    ・・・参議頼定、礼服を着して列に立つ。・・・礼服を着する公卿、大納言公任、
    中納言実成、参議兼隆・道方・頼定・朝経。・・・今日、行幸に扈従する公卿、
    道綱・斉信〈妹の服なり。而るに着さず、供奉す。摂政の気色に依るなり。世、
    以て許さず。〉・頼通、中納言俊賢・行成・懐平・教通・頼宗・経房、参議通任、
    非参議三位二人〈右中将能信、右兵衛督憲定。〉。今日、右兵衛督、八省に於いて
    昇殿を聴さる。・・・

同じ条の中で、「頼定」は「参議」と明記され、「右兵衛督」は「非参議」とあるにもかかわらず、
「今日、右兵衛督、八省に於いて昇殿を聴さる」の「右兵衛督」を「頼定」と誤読するとはね(^_^;)

本書や『風の書評』(ダイヤモンド社,1980)で、例えば、馬場あき子は複数冊で間違いが指摘され
ていて、たしかに馬場あき子はバカチンだったし、村井康彦はこの一冊のみだけど御覧の通り(^_^;)
『風の書評』正・続は、眉に唾つけて読むか、読むのは時間の無駄な執筆者のブラックリスト(^_^;)

・馬場あき子が朝日歌壇で「コオロギの鳴き声を賞でるのは日本独特」と不勉強&無教養な選評(゚ロ゚;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-09-29
 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-03-01
タグ:歴史 評論
コメント(4) 
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コメント 4

df233285

村井康彦が「明月記の世界」で、おうし座の、かに星雲の事でも
ふれてたら、出現年時を読み返すように、JAXAにでも
このブログページでの評判を教えてやろうかとも思いましたが。
「山賀 進(Yamaga Susumu)© 2002-2023」氏のweb
ページに、「この本ではかに星雲や天文のことは書かれていない。」
と明記されているので、将棋や超新星には興味の無い方のようだ
と察し、私からは恐らく遠い方と影響度の有無につき安堵しました。 
by df233285 (2023-02-04 08:10) 

middrinn

大地震ではなく陰陽師を取り上げてるぐらいなので、
自然現象や自然科学には関心が無いのかも(^_^;)
それにしても、この山賀進という方は理科系なのに
人文科学や社会科学の本も多く読んでますね(゚o゚;)
地学が専門だと歴史にも関心が向くのかな(@_@;)
「また、この牧方の上京(1226年)は京・奈良で
行う時政の13回忌のためで、一人(もちろん従者は
いただろうが)だったという。もう、鎌倉~京都の
女性の一人旅ができるほど治安がよくなっていたと
わかる。」と評してますけど、約50年後の阿仏尼の
『十六夜日記』の旅は何人だったのかなと思う一方、
牧の方はwikiに「朝雅の妻だった娘は公家の権中納言
・藤原国通に再嫁し、牧の方は時政の死後、京都の
娘夫妻の元に身を寄せ、贅沢に暮らしていたという。
嘉禄3年(1227年)3月に国通の邸で夫・時政の13
回忌を行い、一族を引き連れて諸寺詣を行っている
様子が『明月記』に記され、筆者の藤原定家はこの
時の牧の方の振る舞いを批判している。」ともあり、
牧の方の「上京」は「1226年」より前では(@_@;)
村井康彦が間違っているのかもしれませんが(^_^;)
by middrinn (2023-02-04 09:59) 

tai-yama

不正確なだけに性格も"不性格"だったり(笑)。
「出羽国で大地震があって象潟ができる」これって八郎潟の
ことなのかな?
by tai-yama (2023-02-04 19:31) 

middrinn

象潟[きさがた]は歌枕で、片桐洋一『歌枕 歌ことば辞典 増訂版』
(笠間書院,1999)によると「今の秋田県由利郡」にある由(^_^;)
芭蕉が訪れてて、『おくのほそ道』注釈書の地図を見ると、秋田県
でも、かなり山形県に近い辺りだから、八郎潟とは違うかと(^_^;)
歌枕ゆえ和歌にも詠まれてるけど、どんな地形か分りません(^_^;)
by middrinn (2023-02-04 20:45) 

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