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221106読んだ本

「王・長嶋」、この順序は選手としての評価に基づくものか、単に打順に由来するものなのか(@_@;)

【読んだ本】

竹内玄玄一(著)雲英末雄(校注)『俳家奇人談・続俳家奇人談』(岩波文庫,1987)所蔵本

「甲州武田家の重臣、美濃守の末孫」とある「馬場存義」の項の後半に気になる件があった(@_@;)

    ・・・はじめ士たりし時、もつぱら儒を南郭先生に学びしも、その人の上に立たんこと
    あたはざるを発明して、俳客とは成りにたり。ひととせある諸侯へ召されて上りけるに、
    先師南郭先生の来りいますに遇うて、爾来廃学の罪を詫びたるに、先生莞爾[につこ]
    と笑ひて、汝さきにわが儒を去つて俳諧に入りしはもつともなり。汝儒を学ぶとも
    程子、朱子に勝る事あたはじ。いはんや顔回、子貢においてをや。汝詩を学ぶとも
    東坡、山谷に越ゆる事なし。李白、王維にはなほおよばじ。またわが朝の和歌を
    学ぶとも定家、家隆の右に出づるはかたかるべし。なほ人丸、赤人の聖なるをや。
    俳諧は中古守武、宗祇に萌して、貞徳、芭蕉に成る。汝上達の期いたりなば、なんぞ
    そのともがらに越えざらんやと。これよき教訓なりと、存義は頓首再拝して退き出で
    たり。それより道に丹誠をぬきんで、俳の奇境に入りしとなむ。/

服部南郭(と思われる)が和歌で例に挙げている「人丸、赤人の聖」とは『古今和歌集』の仮名序の
「柿本人麿が歌聖・・・また、山部赤人という人もいた。和歌に不思議なほどすぐれていた。人麿は
赤人の上に立つことはむずかしく、赤人は人麿の下に立つことはむずかしい・・・」(小町谷照彦
[訳注]『古今和歌集』[ちくま学芸文庫,2010])に依拠したものだろうけど、「定家、家隆の右に
出づるはかたかるべし」の典拠は『今物語』『十訓抄』等かな(@_@;) 例えば、三木紀人(全訳注)
『今物語』(講談社学術文庫,1998)の第40話「定家と家隆」の冒頭部分の訳を引く(@_@;)

    /近年和歌の道は特にもてはやされているので、内裏・院の御所・摂政家など、
    いずれの場でもそれぞれに、詠歌の奥底まで極めていらっしゃった。臣下が大勢
    いらっしゃる中に、治部卿定家、宮内卿家隆という人がいて、(彼らは)和歌の
    伝統が続く家で、和歌の道に名声を得ている人であるから、この二人には誰も
    及ばなかった。・・・

浅見和彦(校注・訳)『新編 日本古典文学全集51 十訓抄』(小学館,1997)の「一ノ三十六」の冒頭
の訳も引く(@_@;)

    /近年の和歌の名人として、民部卿藤原定家と宮内卿藤原家隆の二人が双璧といわれて
    いた。その頃は、「我も、我も」と和歌をたしなむ人も多かったのであるが、誰一人
    として、この二人には及ぶことはできなかったのである。/・・・

藤原定家と藤原家隆は新古今時代を代表する歌人ゆえ、時代が近い歌仙として挙げたのかな(@_@;)

コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

ジャッジと大谷で優劣をつけるのは難しいのと同義だったり(笑)。
この二人の右にも左にも出るのが難しいと。
by tai-yama (2022-11-07 00:06) 

middrinn

右に出る者はいなくても左は一杯いるのでは(^_^;)
甲乙はつけがたかったとしても、「早慶」「慶早」の
のようにどちらを先にするかは重要だったり(^_^;)
by middrinn (2022-11-07 07:14) 

df233285

武道大会が話題にされる事が、今より、やや多かった
前世紀には。「後に出てくる人物の方が、熟達段位度
がより高い」との空気が、社会にいまより少し余計に
有ったように私見します。時代変わったと、しみじみ
感じられる冒頭出だし。
by df233285 (2022-11-07 07:56) 

middrinn

そうなんですか( ̄◇ ̄;) 試しに「小次郎・武蔵」で検索したら、
そのヒット件数は「武蔵・小次郎」よりも多かったです(@_@;)
大昔に新聞の見出しで「桑田・清原」と高校時代は桑田真澄が先
になっていたことに清原和博が不満を漏らしてましたよ(^_^;)
by middrinn (2022-11-07 08:49) 

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