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221025日読んだ本

「探しもの」はいつだって「見つけにくいもの」・・ヘ(__ヘ)☆\(^^; 特にプレミア本C= (-。- ) フゥー
井上陽水「夢の中へ」のカヴァーされた中では、『彼氏彼女の事情』ヴァージョンが好き(〃'∇'〃)

【読んだ本】

萩谷朴『日本古典評釈・全注釈叢書 紫式部日記全注釈 下巻』(角川書店,1973)所蔵本

「探しもの」は藤原行成の日記『権記』の寛弘5年(1008年)8月15日条に出てくるもので、その行方
がチト気になるので、倉本一宏(全現代語訳)『藤原行成「権記」(下)』(講談社学術文庫,2012)
125頁から同条を引く(^_^;)

     十五日、癸卯。 道長に新写『後撰和歌集』を献上

    雨が降った。外記庁に参った。内裏(一条院)に参った。左府(藤原道長)の許に
    参った。去月二十八日に賜わった『後撰和歌集』を奉った。新しく書いたものである。

だが、藤原道長の日記『御堂関白記』を倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』
(講談社学術文庫,2009)で見てみると、寛弘5年(1008年)8月は12日条の後は16日条となっており、
行成から献上された15日条が無い( ̄◇ ̄;) 道長は前に指摘したように献上された貴重な書物を賄賂
として用いるような人間だし、三蹟の一人でその書は垂涎の的だった行成の筆による『後撰和歌集』
というプレミア本なので、そのまま所蔵したとは考えにくい(^_^;) その行方がチト気になったので、
『御堂関白記』を見ていくと、3ヶ月後の寛弘5年(1008年)11月17日条に目が留まったv( ̄∇ ̄)ニヤッ

     十七日、甲戌。 中宮・敦成親王、内裏参入

    中宮[彰子]が内裏に参入された。・・・中宮が[一条]天皇の御前に参上されようと
    した際に、御櫛筥一双と手筥一双を献上した。それぞれに物を入れてあった。・・・

道長が娘の中宮彰子に献上した「手筥」の中には、行成が書いた『後撰和歌集』が「入れてあった」
のではないかとv( ̄∇ ̄)ニヤッ というのは、「手筥」の中身については『紫式部日記』に記述があり、
萩谷朴の本書の訳で引くv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    ・・・/昨夜の(殿からの)御贈り物を、(中宮さまは)今朝になってはじめて
    事細かにご覧になる。・・・手筥が二つ(あって)、片方(の手筥)には、白い
    色紙を綴じた御本など、(すなわち)『古今集』と『後撰集』と『拾遺集』(と
    があり)、これらは各一部をば五冊にそれぞれ仕立てて、侍従の中納言(行成)
    と延幹とに、めいめい一冊の綴じ本に四巻分をそれぞれ割り当てて、お書かせに
    なってある。・・・

行方判明ヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪と思ったら、この節の解説で「行成の書と紫式部」と題して、
萩谷朴は次のように論じて、『権記』の寛弘5年(1008年)8月15日条の『後撰和歌集』であることに
否定的なニュアンス(^_^;)

    ・・・(13)[=『権記』寛弘5年(1008年)8月15日条]の『後撰集』を新写して
    道長に奉ったのが、『紫式部日記』の本節に見る、道長から中宮彰子へのお土産
    として贈られた『後撰集』であろうと、春名好重氏は指摘しておられるし(『墨美』
    一三〇号、藤原行成特集号)、[曾沢太吉&森重敏の]『新釈』もそれに従っている。
    ただし、行成と延幹とが三代集を分担書写したとすれば、『古今』と『後撰』とを
    行成が書き、『拾遺』のみを延幹が書くというところが、両者の格差からして順当
    なところであると思われるのに、『権記』がなんら『古今』書写のことを記録して
    いないところを見ると、八月十五日条の『後撰集』は、あまり期日も離れていること
    ではあり、本節にいう四帖の『後撰集』とは別個のものであってと見るのが正しいの
    かもしれない。/・・・

「『権記』がなんら『古今』書写のことを記録していない」のは、たしかに、その通りなんだけど、
『御堂関白記』の寛仁2年(1018年)10月22日条を倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」
(下)』(講談社学術文庫,2009)から引く(^_^;)

     二十二日、辛亥。 土御門第行幸/皇太后宮[藤原姸子]・東宮[敦良親王]、
              土御門第行啓/土御門大馳馬/擬文章生試・作文会/
              三后対面/叙位

    この日、[後一条]天皇が土御門第に行幸なされた。・・・次に大后[藤原彰子]への
    御贈物は、筝の御琴と侍従中納言[藤原行成]が書いた『古今和歌集』二帙であった。
    ・・・
行成の日記『権記』に『古今和歌集』を書写して道長に献上したとの記述は無いけど、御覧の通り、
道長は「侍従中納言[行成]が書いた『古今和歌集』」を所有し、「大后[藤原彰子]への御贈物」
に使っており、「『権記』がなんら『古今』書写のことを記録していない」というのは『権記』寛弘
5年(1008年)8月15日条の『後撰和歌集』が同年11月17日に道長から彰子へ贈られたという説を否定
する根拠としては弱いかと(^_^;) ただ、『御堂関白記』寛仁2年(1018年)10月24日条に「皇太后宮
[藤原姸子]への御贈物には、『後撰集』二十巻と和琴を献上した。」(倉本一宏[全現代語訳]
『藤原道長「御堂関白記」(下)』[講談社学術文庫,2009])とあるので、こちらの可能性も(^_^;)

・同じ趣味だと思っていたのに実は賄賂のためだったなんて(ノ;ω;)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ナカナイデー!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-08

・お前が言うか!?( ̄◇ ̄;)と藤原行成に驚かされることがあったりする〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-10-15

・読書の厄介なところは、何でも怨霊・生霊で説明したくなることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-18

・行成が「寛仁」なのに前年号の「長和」と書き間違えたのには理由があるオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-03

・『御堂関白記』と『権記』の天候記載の食い違いと高橋秀樹『北条氏と三浦氏』の史料批判(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-10-23
タグ:書道 歴史
コメント(4) 

コメント 4

tai-yama

"『古今』と『後撰』とを行成が書き、『拾遺』のみを延幹が書く"
「俺ばかりに仕事させやがって」と行成は言いそうな気が。
自分だったら間違いなく言う(笑)。
by tai-yama (2022-10-25 23:15) 

ナベちはる

「探しもの」はいつだって「見つけにくいもの」、おっしゃる通りだと思います(^^;)
「失くしたもの」に「欲しいもの」…どれもなかなか見つからないです。
by ナベちはる (2022-10-26 01:32) 

middrinn

「あまり期日も離れていること」も『古今和歌集』も担当だったからかも(^_^;)
tai-yama様は仕事中もお土産食べながら次のツーリング計画を練ってそう(^_^;)
by middrinn (2022-10-26 05:55) 

middrinn

「しあわせ」なんかもそうですし、
なかなか見つからないものばかりで、
ナベちはる様、まさに人生(^_^;)
by middrinn (2022-10-26 06:16) 

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