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221011読んだ本【バカチン】

人は易きに流れるもので楽な方を選ぶと精神も弛緩し得てしてミスを犯してしまうC= (-。- ) フゥー

【読んだ本(バカチン)】

山口博『王朝貴族物語 古代エリートの日常生活』(講談社現代新書,1994)所蔵本

購入日に疑問点2つ指摘したが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-29 )、
何より「豊富なエピソード」と謳うも「出典が記されてないから、興味・関心の無かった人を対象に
した入門書のようだけど、興味・関心を持って先へ進もうとしても役には立たない(^_^;)」本書は、
いい加減な記述に目が留まってしまう(ノ_-;)ハア… 本書の「第三章 王朝エコノミック・アニマル」の
「1 名誉よりは富を」の「貴族の生きがい」という見出しの節の書き出しC= (-。- ) フゥー

    /藤原道長は子が出家すると言い出した時、「どうしてそんなことを思い立ったのか。
    何かつらいことでもあるのか。私が気に入らないのか。官位が不足なのか。それとも、
    何とかして手に入れたいと思っている女のことなのか」と尋ねた。類例は物語の中にも
    ある。『源氏物語』より半世紀ほど以前の『宇津保物語』で、・・・

先ず「類例は物語の中にもある」というのだが、そもそも藤原道長の当該発言は『栄花物語』という
歴史〝物語〟の中に出てくるものじゃん(^_^;) それに「子が出家すると言い出した時」とあるけど、
「子」=藤原顕信は既に出家済み(^_^;) 顕信が出家して比叡山に入った直後に藤原道長自らが比叡山
に登って顕信と面会した際の発言として『栄花物語』に出てる(^_^;) また顕信の出家直後に比叡山に
登って会いに行ったのは藤原頼通(顕信の異母兄)なので藤原道長の当該発言は史実ではないのに、
「類例は物語の中にもある」と記してまるで史実であるかの如く匂わせているのもミスリード(^_^;)

出典を明記しても、今井源衛『王朝の歌人3 在原業平』(集英社,1985)の如く仁明天皇(文徳天皇の
父)の時代の「承和の変」の叙述で清和(文徳天皇の子)・陽成・光孝天皇の時代を描く『日本三代
実録』から引くなどと記すミス(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-22
及び⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-23)を犯す輩も( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

さて、この藤原道長の発言について、松村博司『日本古典評釈・全注釈叢書 栄花物語全注釈(三)』
(角川書店,1972⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-12 )は「・・・
この言葉の中には、当時の考え方が窺われる上に、いかにも道長らしい発言で興味深い。・・・会話
の場面は創作であろうから、どこまでが真実かはわからないが、その内容はありそうなことではある」
と評しており、同書の訳で当該発言の全体を(語釈での説明を補いながら)引く(^_^;)

   ・・・「それにしてもどんな気持で決心したことか。何事がつらかったのか。この自分を
   薄情だと思うことでもあったのか。官位の昇進がじれったく思われたのか。それともまた
   どうしても結婚したいと執心した女のことでもあったのか。ほかのことはともかくとして
   [=「別の事は関知するところではないが、ほかに何があったかは知らないがなどの意」]、
   自分が執柄職にいる限りは、どんなことでも見捨てておくようなことはすまいと思うのに、
   なさけないことだ。こうして母のことをも自分のことをも考えないで、こんなことになる
   なんて……」・・・

「女のこと」も権力者の地位にある限りは何とかするというのだから道長自身も・・・ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

・本書の記述の典拠を探してきたけどアニメ「SHIROBAKO」の本田デスクの「万策尽きたぁー!!」(+_+)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-10-02

・教通を「大変な」漁色家として『栄花物語』に描くことで赤染衛門は娘の恨みを晴・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-07-24

・藤原道長愛人説を否定しつつ『紫式部日記』の和泉式部評を等閑視するバカチン国文学者ヾ(`◇´)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-02-11

[追記221012]

藤原道長の発言に対する松村博司・前掲書の評を加筆(後半部分)した〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
タグ:歴史 古典
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

出家したら「女性にモテちゃうよ~、モテモテだよ~」と叡山の
僧に騙されたとかだったり(笑)。
by tai-yama (2022-10-11 22:57) 

ナベちはる

ラクしたいのは人間の性のような部分もありそうですが、だからといってそのまま流されると良いことはほとんどないですよね((+_+))
by ナベちはる (2022-10-12 00:08) 

middrinn

『栄花物語』によると藤原顕信は叡山に向かう前に、
tai-yama様、皮堂(革堂)で出家してます(^_^;)
断わる皮聖行円上人を顕信が説得しての出家(^_^;)
by middrinn (2022-10-12 06:11) 

middrinn

楽な方を選ぶと、気持ちが緩んでしまい、
ナベちはる様、ミスをしますね(^_^;)
楽な方を選んでも油断禁物です(^_^;)
by middrinn (2022-10-12 06:31) 

df233285

バカチン賛成一票。実際には三条天皇が藤原顕信を使って
1012年に藤原道長を抱き込もうと懐柔してきたので、
当の道長から顕信が、比叡山出家命令されたというのが
史実ではないかと疑われると私見。その後頼通は様子見
に面会したという流れか?
by df233285 (2022-10-12 08:13) 

middrinn

顕信の出家を記した『御堂関白記』の長和元年(1012年)1月16日条を
倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(中)』(講談社
学術文庫,2009)で見ると冒頭に「月蝕が正現した。」とあり、出家は
「月蝕」の所為を示唆し、三条天皇は月を詠んだ和歌が有名です(^_^;)
出家から9年後に頼宗と能信が権大納言に任じられて大饗が行われた際
のことを顕信に語った藤原通任は三条天皇の皇后娍子の兄です(^_^;)
by middrinn (2022-10-12 11:17) 

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