220724読んだ本
女の敵である漁色家に、その餌食となってしまった娘に代わって、お仕置きよオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
対SB戦視ながら書いたが3点リードで9回表ノーアウト満塁の大ピンチを迎えたとこで中継終了(^_^;)
【読んだ本】
松村博司『日本古典評釈・全注釈叢書 栄花物語全注釈(四)』(角川書店,1974)所蔵本
大江匡衡が詠んだ『後拾遺和歌集』入集歌に、妻の赤染衛門に藤原道綱との情事の噂が立ったとして
赤染衛門を責めているものが(^_^;) 藤本一恵(全訳注)『後拾遺和歌集(三)』(講談社学術文庫,
1983)は「この歌は、現存の匡衡や衛門の家集にはない。伝承されたものかもしれない。良妻賢母の
見本のようにいわれた赤染衛門に道綱との浮名が立つとは驚きというほかないが、夫の匡衡の嫉妬
ぶりも尋常ではない。・・・」と評したが、そんな匡衡が好色で有名な某に自分が亡くなった後の妻
を託した事実(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-16)も「驚き」(^_^;)
松村博司は本書の「大納言道綱の死」という補説でこの歌を引いて次のように論じていた( ̄◇ ̄;)
・・・[この歌は]匡衡に赤染衛門が嫁して後の事と思われるが、道綱と恋愛関係に
あったことがあると見られる。もし『栄花物語』の作者として赤染の名を挙げる時、
この道綱の最後[=死]の記述は余りにも簡単だという説もありうるであろうが、
歴史物語の場合は、そうした個人的関係は無縁の存在であったといえよう。それゆえ、
赤染作者説を否定することにはならない。/・・・
同歌「あるがうへに又ぬぎかくるから衣みさをもいかがつくりあふべき」(以下、『後拾遺和歌集』
入集歌は訳も藤本・前掲書で)は詞書に「赤染、右大将道綱に名立ち侍りけるころ、つかはしける」
(=「(妻の)赤染衛門が右大将道綱に浮名が立ちました時分に詠みおくった歌。」)と記されてる
だけなのに「恋愛関係にあったことがある」とは短絡的で脳内回線がショートしているようだけど、
それはともかく、『栄花物語』に関して(あり得る)論点を拾って潰してるところは流石( ̄◇ ̄;)
さて、『後拾遺和歌集』は罪作りなことに、赤染衛門の歌の詞書で誤記をしたため、自分の名字しか
書けない無学文盲の人とされる藤原道綱を花山院クラスの好色漢に仕立て上げていたヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
その歌「うらむとも今は見えじと思ふこそせめてつらさのあまりなりけれ」の詞書に「右大将道綱、
ひさしうおとせで、などうらみぬぞといひ侍りければ、むすめにかはりて」(=「右大将道綱が、
久しい間訪ねてこないで、どうして恨言[うらみごと]をいわないのか、といいましたので、娘に
代って(詠んだ歌)。」)とあることから、藤原道綱は赤染衛門と噂になっただけでなく赤染衛門女
とも関係があったことになり、まるで母娘と関係して子も儲けた花山院のよう((;゚Д゚)ヒィィィ! また
藤原道綱は、関係を結んだ赤染衛門女を「久しい間訪ねてこな」かったくせに、「どうして恨み言を
言わないのか?」とのたまうほどの立派なワルに成長したので藤原道綱母も喜ん・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
藤本・前掲書、川村晃生(校注)『和泉古典叢書5 後拾遺和歌集』(和泉書院,1991)、久保田淳&
平田喜信(校注)『新日本古典文学大系8 後拾遺和歌集』(岩波書店,1994)、久保田淳&平田喜信
(校注)『後拾遺和歌集』(岩波文庫,2019)に従うと、藤原道綱はこんなサイテー男となるけど、
藤本一恵『後拾遺和歌集全釈 下巻』(風間書房,1993)や犬養廉&平野由紀子&いさら会『笠間注釈
叢刊19 後拾遺和歌集新釈 下巻』(笠間書院,1997)によるなら、同歌の詞書の「右大将道綱」とは
『赤染衛門集』に「大将殿」とあるのを『後拾遺和歌集』撰者の勘違いしたものであり、実は左大将
だった藤原教通(道長の子)のこととなる(^_^;) 藤本一恵は『後拾遺和歌集全釈 下巻』で次の如く
解説している(^_^;)
・・・教通は長和二年(一〇一二)十七歳の時、十三歳の[藤原]公任女と結婚し、
公任女が万寿元年(一〇二四)産後まもなく死亡するまで、七、八人の子女を儲け
ている。『栄花物語』「後悔[のちくいの]大将」の巻には、その間教通は大変な
漁食家[ママ]で、自家の女房や、?子や威子の女房にもいい寄って、[和泉式部の
娘の]小式部内侍などとも子をなしている。赤染の娘も家の女房として出仕している
うちに懇ろになり、まもなく忘れられたようである。/
教通を「大変な」漁色家として『栄花物語』に描くことで赤染衛門は娘の恨みを晴・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
・代作してくれたママンは既に死んじゃったし、字が読めないことがバレぬように藤原道綱は仮病を
使ったっぽいと冗談めかして前に書いたけど、新たな証言がキタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-15
[追記220912]
爛漫亭様から「220911買った本&読んだ本」に「漁色」では?とコメを頂戴し、感謝して修正m(__)m
対SB戦視ながら書いたが3点リードで9回表ノーアウト満塁の大ピンチを迎えたとこで中継終了(^_^;)
【読んだ本】
松村博司『日本古典評釈・全注釈叢書 栄花物語全注釈(四)』(角川書店,1974)所蔵本
大江匡衡が詠んだ『後拾遺和歌集』入集歌に、妻の赤染衛門に藤原道綱との情事の噂が立ったとして
赤染衛門を責めているものが(^_^;) 藤本一恵(全訳注)『後拾遺和歌集(三)』(講談社学術文庫,
1983)は「この歌は、現存の匡衡や衛門の家集にはない。伝承されたものかもしれない。良妻賢母の
見本のようにいわれた赤染衛門に道綱との浮名が立つとは驚きというほかないが、夫の匡衡の嫉妬
ぶりも尋常ではない。・・・」と評したが、そんな匡衡が好色で有名な某に自分が亡くなった後の妻
を託した事実(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-16)も「驚き」(^_^;)
松村博司は本書の「大納言道綱の死」という補説でこの歌を引いて次のように論じていた( ̄◇ ̄;)
・・・[この歌は]匡衡に赤染衛門が嫁して後の事と思われるが、道綱と恋愛関係に
あったことがあると見られる。もし『栄花物語』の作者として赤染の名を挙げる時、
この道綱の最後[=死]の記述は余りにも簡単だという説もありうるであろうが、
歴史物語の場合は、そうした個人的関係は無縁の存在であったといえよう。それゆえ、
赤染作者説を否定することにはならない。/・・・
同歌「あるがうへに又ぬぎかくるから衣みさをもいかがつくりあふべき」(以下、『後拾遺和歌集』
入集歌は訳も藤本・前掲書で)は詞書に「赤染、右大将道綱に名立ち侍りけるころ、つかはしける」
(=「(妻の)赤染衛門が右大将道綱に浮名が立ちました時分に詠みおくった歌。」)と記されてる
だけなのに「恋愛関係にあったことがある」とは短絡的で脳内回線がショートしているようだけど、
それはともかく、『栄花物語』に関して(あり得る)論点を拾って潰してるところは流石( ̄◇ ̄;)
さて、『後拾遺和歌集』は罪作りなことに、赤染衛門の歌の詞書で誤記をしたため、自分の名字しか
書けない無学文盲の人とされる藤原道綱を花山院クラスの好色漢に仕立て上げていたヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
その歌「うらむとも今は見えじと思ふこそせめてつらさのあまりなりけれ」の詞書に「右大将道綱、
ひさしうおとせで、などうらみぬぞといひ侍りければ、むすめにかはりて」(=「右大将道綱が、
久しい間訪ねてこないで、どうして恨言[うらみごと]をいわないのか、といいましたので、娘に
代って(詠んだ歌)。」)とあることから、藤原道綱は赤染衛門と噂になっただけでなく赤染衛門女
とも関係があったことになり、まるで母娘と関係して子も儲けた花山院のよう((;゚Д゚)ヒィィィ! また
藤原道綱は、関係を結んだ赤染衛門女を「久しい間訪ねてこな」かったくせに、「どうして恨み言を
言わないのか?」とのたまうほどの立派なワルに成長したので藤原道綱母も喜ん・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
藤本・前掲書、川村晃生(校注)『和泉古典叢書5 後拾遺和歌集』(和泉書院,1991)、久保田淳&
平田喜信(校注)『新日本古典文学大系8 後拾遺和歌集』(岩波書店,1994)、久保田淳&平田喜信
(校注)『後拾遺和歌集』(岩波文庫,2019)に従うと、藤原道綱はこんなサイテー男となるけど、
藤本一恵『後拾遺和歌集全釈 下巻』(風間書房,1993)や犬養廉&平野由紀子&いさら会『笠間注釈
叢刊19 後拾遺和歌集新釈 下巻』(笠間書院,1997)によるなら、同歌の詞書の「右大将道綱」とは
『赤染衛門集』に「大将殿」とあるのを『後拾遺和歌集』撰者の勘違いしたものであり、実は左大将
だった藤原教通(道長の子)のこととなる(^_^;) 藤本一恵は『後拾遺和歌集全釈 下巻』で次の如く
解説している(^_^;)
・・・教通は長和二年(一〇一二)十七歳の時、十三歳の[藤原]公任女と結婚し、
公任女が万寿元年(一〇二四)産後まもなく死亡するまで、七、八人の子女を儲け
ている。『栄花物語』「後悔[のちくいの]大将」の巻には、その間教通は大変な
漁食家[ママ]で、自家の女房や、?子や威子の女房にもいい寄って、[和泉式部の
娘の]小式部内侍などとも子をなしている。赤染の娘も家の女房として出仕している
うちに懇ろになり、まもなく忘れられたようである。/
教通を「大変な」漁色家として『栄花物語』に描くことで赤染衛門は娘の恨みを晴・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
・代作してくれたママンは既に死んじゃったし、字が読めないことがバレぬように藤原道綱は仮病を
使ったっぽいと冗談めかして前に書いたけど、新たな証言がキタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-15
[追記220912]
爛漫亭様から「220911買った本&読んだ本」に「漁色」では?とコメを頂戴し、感謝して修正m(__)m
道綱良いな~。まさに親子丼っ!
マザコンな所が、女性受けするのかも。
by tai-yama (2022-07-24 23:16)
肝心なところで中継が終了すると、どうなったか結果を知るまでモヤモヤしますね(^^;)
by ナベちはる (2022-07-25 01:36)
ちゃんと最後まで読みなさ~いオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
tai-yama様、道綱が親子丼というのは誤りです(^_^;)
by middrinn (2022-07-25 05:50)
しかも、絶体絶命の大ピンチで、その試合の、
ナベちはる様、最大の見せ場でしたし(^_^;)
by middrinn (2022-07-25 06:18)
野球はドラマ(^_^)v ドラマはいつも解決しないクライマックスで終わり、次週に期待させます(^_^;) でもなんで「食」を漁ると書くのでしょうね、不思議(>_<)
by yokomi (2022-07-25 17:42)
御自分でお調べ下さい(^_^;)
by middrinn (2022-07-25 19:30)