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221003読んだ本

北海道の木彫りの熊「鮭をくわえた熊」をネット検索したら「鮭にくわえられた熊」なるものが(^_^;)

【読んだ本】

河野眞知郎『中世都市 鎌倉 遺跡が語る武士の都』(講談社学術文庫,2005)所蔵本

本書の「第一章 鎌倉を歩く」の「1 武士の都」には〈『海道記』では由比ケ浜[ママ]の風景を
「大津と異ならない」とのべている。〉とあり、〈第六章 「消費」する都市〉の「3 運びこまれ
てくるもの」でも次のように記されている(@_@;)

    ・・・/貞応二年(一二二三)の紀行『海道記』では、由比ケ浜あたりの風景を
    近江の琵琶湖に面した大津あたりと異ならないと記している。その時点ではまだ
    和賀江の津の築港はなされていないから、大船は湾内に停泊し、小舟が浜に曳き
    あげられていたことと思われる。/・・・

この記述を読んで、河野眞知郎は『海道記』を本当に読んだのかとチト不審に思ってしまったのは、
『海道記』から19年後に鎌倉を訪れている『東関紀行』にも「由比の浦」(由比ヶ浜)が出てきて、
武田孝『笠間注釈叢刊16 東関紀行』(笠間書院,1993)の語釈に次の説明(原文には「湯井の浜」に
傍線あり)があったから(@_@;)

    ・・・『海道記』には、

      申[さる]の斜めに、湯井の浜に落ち着きぬ。暫く休みて、この所を見れば、
      数百艘の船、ともづなをくさりて、大津の浦に似たり。千万宇の宅[いへ]、
      軒を並べて、大淀の渡りに異ならず。

    とあって、その繁盛ぶりを、都に居たころに見た土地の光景と比べている。・・・

長崎健&外村南都子&岩佐美代子&稲田利徳&伊藤敬(校注・訳)『新編日本古典文学全集48 中世
日記紀行集』(小学館,1994)所収の長崎健(校注・訳)『海道記』(なお、「ともづな」を「とも縄
[なは]」[同書68頁]としている)から訳(同書67頁)と「くさりて」に付された頭注1(同書68頁)
を引く( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    /申の刻の終り頃に、湯井の浜に落ち着いた。しばらく休み、ここを見ると、
    数百艘の船が綱でつながれ、大津の浦の様子に似ている。・・・


    鎖のように互いにつなぎ合っているさま。

龐統の「連環の計」(^_^;) 『海道記』作者は由比ヶ浜で「数百艘の船が綱でつながれ」た光景を見て
由比ヶ浜は大津に似てると記したのであり、「数百艘の船が綱でつながれ」てるというのは実景で、
しかも、新幹線の車窓から一瞬だけ見えたようなものではなく、「湯井の浜に落ち着いた。しばらく
休み、ここを見ると」とあり、じっくり観察した上での描写なのだから信の置ける記述と評せるのに
(「数百」は誇張かも)、河野眞知郎が「大船は湾内に停泊し、小舟が浜に曳きあげられていたこと
と思われる」と推測すること自体がイミフ(@_@;) ただ、銀の猫に関しては小生の不明と読みの浅さ
が判って大量追記した(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-09-24 )m(__)m
タグ:古典 歴史
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

"お魚くわえたサザエさん"なんていうのもあるし(笑)。
「由比の浦」と見ると人によっては静岡の由比と間違えそう・・・
by tai-yama (2022-10-03 22:52) 

ナベちはる

「鮭にくわえられた熊」、ユニークですね。
検索したらAmazonで売っているのを見つけたので見てみたところ、ノーブランド品で意外とお値段がしていました(^^;)
by ナベちはる (2022-10-04 01:38) 

middrinn

お魚くわえたドラ猫をくわえたサザエさんも、
tai-yama様、検索したらありました(^_^;)
由井正雪の鎌倉出身説はなさそうです(^_^;)
by middrinn (2022-10-04 06:22) 

middrinn

広告とはいえ、「鮭をくわえた熊」をヤフーで検索すると、
ナベちはる様、「鮭にくわえられた熊」がトップに(^_^;)
こーゆーのはバッタもんがありそうなんですけどね(^_^;)
by middrinn (2022-10-04 07:26) 

df233285

これ読んでたら、北朝鮮からミサイルの本州発の飛び越えが
有った模様。kotori298184さん2012年5月25日のtripadvisor
サイトによると、「由比ガ浜は遠浅の海水浴場」だそう。
大型船は入港できないと、現代人感覚で河野眞知郎が
書いただけの疑いが、ミサイル逸れている間に派生しました。
by df233285 (2022-10-04 08:35) 

middrinn

当時の由比ヶ浜が現代のと同じ状態(遠浅)なのかは判りません(^_^;)
実朝が渡宋用に陳和卿に造らせた大型船は浮かびませんでしたが(^_^;)
Jアラートというシステム、今回はケータイが鳴りませんでした(^_^;)
by middrinn (2022-10-04 15:44) 

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