SSブログ

220924読んだ本

もしも女神さまから「あなたが探しているのは、金の猫ですか?銀の猫ですか?」と問われたならば、
小生は「本物の可愛い猫です」と答え・・ヘ(__ヘ)☆ヾ( ̄ヘ ̄; )お金がないんだから金の猫と答えろ!

【読んだ本】

河野眞知郎『中世都市 鎌倉 遺跡が語る武士の都』(講談社学術文庫,2005)所蔵本

本書の「第二章 武家屋敷を訪ねて」の「3 人びとの生活」に「ペットを飼う」という見出しの節
があって、9行ほど猫についての記述が(〃'∇'〃) ただ、気になる一文も含まれている(@_@;)

    ・・・頼朝は西行法師に「銀造[しろがねづくり]の猫」を与えているが、
    同じもの(?)が焼け残った平泉の倉からみつかったと『吾妻鏡』にみえる。
    ・・・

文末に注が付されているので巻末の注16を確認すると、『吾妻鏡』の何年何月何日条に書かれている
のか典拠が示されているのかと思いきや、出ていたのは次の記述だった(@_@;)

    西行法師はこの銀造猫を子どもらに与えてしまったことになっているが、
    じつは平泉までもっていったのだ、というストーリーを考えつかれたのは、
    歌人川田順氏であるという(佐古純一郎「銀の猫」、『全訳 吾妻鏡』五、
    月報5、新人物往来社、一九七七年)。

西行と源頼朝の会見は『吾妻鏡』の文治2年(1186年)8月15日条に、翌16日条に「二品[=頼朝]
銀作の猫を以て、贈物に宛てられる。上人[=西行]之を拝領しながら、門外において放遊の嬰児に
与ふと云々。」(例えば、久保田淳『旅と草庵の歌人 西行の世界』[日本放送出版協会新コンパクト
・シリーズ,1988]の読み下し文)とあり、「銀造猫を子どもらに与えてしまったこと」は『吾妻鏡』
に出ているのに、「同じもの(?)が焼け残った平泉の倉からみつかったと『吾妻鏡』にみえる」は
おかしくないか(@_@;) 「同じもの」ならば、その旨を『吾妻鏡』は記していたはずだろう(@_@;)

稲垣史生『考証 歴史奇談』(河出文庫,1987)の「西行の謎」から引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/歌人川田順氏は有力な史料に拠り、持仏堂の焼跡に「銀作りの猫」があった
    とする。西行がとちゅう鎌倉で、頼朝からもらった銀猫だというのだ。西行と義経が
    会った何よりの証拠だが、それはロマンチスト川田順の史料の読み違えであろう。
    銀猫はやはり鎌倉で、さりげなく路上の悪童にくれたに違いなく、・・・

「放遊の嬰児」「路上の悪童」とは、実は源義経・・ヘ(__ヘ)☆\(^^; 稲垣史生は同書で『吾妻鏡』の
文治2年(1186年)8月15日条及び16日条を引用しているのに、ここでは「有力な史料」としていて、
『吾妻鏡』とはしてないということは、やはり本書の「『吾妻鏡』にみえる」は怪しいかと(@_@;)

[追記221003]

五味文彦&本郷和人(編)『現代語訳 吾妻鏡4 奥州合戦』(吉川弘文館,2008)104~105頁の文治5年
(1189年)8月22日条の一部を引く(^_^;)

    二十二日、己酉。大雨。申の刻に(頼朝は)平泉の館に到着された。主(藤原泰衡)は
    すでに行方をくらませ、館はまた煙と化していた[←前21日条に「・・・泰衡は平泉の
    館を通り過ぎなお逃亡していた。・・・わずかに郎従ばかりを館の内に遣わし、高屋や
    宝蔵などに火を放った。・・・」と同書104頁に]。・・・ただし西南の角に一棟の蔵が
    あり、延焼の難を免れていた。(頼朝が)葛西三郎清重・小栗十郎重成らを遣わしてこれ
    を検分させたところ、沈[じん]・紫檀をはじめとする唐木の厨子が数脚あった。その
    中に納まっていたのは、・・・金造の鶴、銀造の猫、・・・などであった。・・・

御覧の通り、「銀造の猫」が「焼け残った平泉の倉からみつかったと『吾妻鏡』にみえる」としてた
本書の記述は正しかったので、〈「『吾妻鏡』にみえる」はおかしくないか〉や〈「『吾妻鏡』にみ
える」は怪しいかと〉としたのは小生の不明としてお詫びm(__)m ただ、上述の理由で頼朝から西行に
与えられたものと「同じもの」とは思わぬ(^_^;)「金造の鶴」もあるし、一品物とは思えない(^_^;)
実は量産品で北海道の木彫りの熊「鮭をくわえた熊」みたいな土産物・・ヘ(__ヘ)☆\(^^; 同書巻頭の
西田友広「本巻の政治情勢」も「・・・/さて、『吾妻鏡』は頼朝に滅ぼされた奥州藤原氏の栄華に
ついても伝えてくれている。泰衡が逃亡の際に火を放った平泉館には蔵が筆と延焼を免れていたが、
そこには唐木で作られた数脚の厨子が納められており、その中には奥州の特産である金を用いた装飾
品をはじめとし、犀[さい]角や象牙の笛、水牛の角など海外貿易によってもたらされた珍宝が数え
きれないほど納められていた(文治五年八月二十二日条)。・・・」としてて「銀造の猫」は「金」
じゃないけど前者に該当かと(^_^;) 斉藤利男『平泉 よみがえる中世都市』(岩波新書,1992)もこの
平泉の倉の収蔵品で「海の道」からもたらされたものを列挙するが「銀造の猫」は挙げてない(^_^;)
平泉名物と知ってたし平泉へ行く途中だったので西行は「んなもんいらねーよ」・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
なお、西田友広の解説も西行の「銀造の猫」には言及してないから、やはり「同じもの」とは考えて
ないかと(^_^;) 次に、稲垣史生・前掲書の上記の記述に対しても小生の読みが浅かったため誤読した
可能性が(^_^;) 河野眞知郎が「焼け残った平泉の倉から」と記してるのに、稲垣史生・前掲書の方は
「持仏堂の焼跡」となっていたのに気付かなかったわ(^_^;) 前掲『現代語訳 吾妻鏡4 奥州合戦』も
「銀造りの猫」が見付かったのは河野眞知郎が記す通り「蔵」で、また同書72頁の文治5年(1189年)
閏4月30日条には「・・・/義経は(衣河館の)持仏堂に入り、まず二十二歳の妻と四歳の娘を殺し、
次いで自殺したという。/・・・」とあって「持仏堂」ゆえ、川田順が依拠した「有力な史料」とは
『吾妻鏡』(前記文治5年(1189年)8月22日条)ではなくて、何か別の「史料」だったのかも(^_^;)
タグ:歴史
コメント(6) 
共通テーマ:

コメント 6

ナベちはる

自分だったら、女神さまから「あなたが探しているのは、金の猫ですか?銀の猫ですか?」と聞かれたら「普通の猫です」と回答をしていると思います(^^;)
by ナベちはる (2022-09-25 01:04) 

middrinn

猫は「普通」でも充分に可愛いですしね(^o^)丿
by middrinn (2022-09-25 06:03) 

df233285

校正者が、内容的なおかしさに気が付いて、「に見える。」
を「で論じられる」等に替えるべきだったと思う。遺跡調査
が専門の方であり、文筆では無く、発掘ではかなりの有力者。
なお平凡社の同一分野の書籍「よみがえる中世 武士の都鎌倉」
で、鎌倉市の図書館とは敷地内で並んだ、同市福祉センターの
正式名称を、民間の方なので、細かくは気にしていないため、
うっかりだったと思いますが、地元の河野眞知郎氏が自身の
執筆部で細部が違っていて、平凡社本の方で紹介の河野氏担当
の出土遺物の内容を追跡調査した際、役所とのやりとりの際
神経を余分に使った記憶が、当方には有ります。
by df233285 (2022-09-25 08:19) 

middrinn

偉~い方だったんですね( ̄◇ ̄;) 「『吾妻鏡』にみえる」の『吾妻鏡』とは、
「『全訳 吾妻鏡』五」のことならともかく(だとしても日付を挙げないのは
不審)、〈佐古純一郎「銀の猫」、『全訳 吾妻鏡』五、月報5〉のことなら
笑えます(^_^;) きちんと出典・典拠を示せぬ研究者など論外ですが(^_^;)
にしても文献の扱いが雑でも、考古学研究というのは成り立つのかな(^_^;)
by middrinn (2022-09-25 10:02) 

tai-yama

私なら「金箔の女性です」と答えるかな(笑)。もしくは、
「あなたでもいいです」とか。
奥州藤原氏と掛けるなら「金の猫」の方がいいような気も・・・・
by tai-yama (2022-09-25 22:53) 

middrinn

金の猫が中尊寺金色堂に鎮座してたりして(^_^;)
by middrinn (2022-09-26 10:02) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。