220425買った本&読んだ本
母親に代作してもらった上に男は53~57歳になって初めてラヴレターを出したことにヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
【買った本&読んだ本】
犬養廉(校注)『新潮日本古典集成 蜻蛉日記』(新潮社,1982)
「もったいない本舗 楽天市場店」で「良い」335円(送料無料)を20日に注文して20日に追跡不可能
ゆうメールで発送されたのに届いたのは25日(´ヘ`;) 函の有無がコンディション説明文に記されて
無く、函付きなのにそのままビニール封筒に入れてるし、よく見ると何ヵ所か(赤)鉛筆で線や印が
書き込まれてたけど、問題ナシオン主権(^_^;) この新潮日本古典集成はパラフィン紙だかグラシン紙
だか(新装版は表紙カヴァー)を外すと新品でも手にくっつく感じなので、古本だと手汗でベタベタ
してるのがメチャ嫌(+_+) このショップは古本を買うと卓上カレンダー(月別)と買取申込書を同封
してくれ、後者は裏側が紙カヴァー(大きい単行本サイズ)として使えるので、速攻でハサミとセロ
テープで包むのだが、前回の15日に注文し19日に届いたのに続いて今回も買取申込書(紙カヴァー)
が何故か同封されて無かった(-ω-、) 在庫を抱え過ぎて今は積極的に買取をしてないのかな(@_@;)
注文する時に初めて気付いたけど、本書は何故か図書館で一度も手に取ったことが無かった(´・_・`)
『蜻蛉日記』は注釈書を4冊所蔵し、とりわけ柿本奨『日本古典評釈・全注釈叢書 蜻蛉日記全注釈』
(角川書店,1966)上下巻を持ってるから、買う必要は無かった気もするけど、本書の頭注をパラパラ
見てると、例えば、「・・・を重視して、作者のもとに行けない嘆きを託した兼家の手紙と見る考え
(『全注釈』)もあるが、従えない。」などとあったりしたから、じっくり読み比べないとね(^_^;)
傅の殿、初めて女のがり[=女の許に]、やりたまふに、代はりて
[=道綱母が代作して]、
今日ぞとや つらく待ち見む わが恋は 始めもなきが こなたなるべし
今日こそは、今日こそはと、切ない気持でお返事を待ち受けることに
なりましょうか。私の恋は、今日に始まったものではなく、はてしもなく
遠い前世からのものなのに。
『蜻蛉日記』は「巻末歌集」が付いてて、その中の一首を本書の頭注&傍注の訳も一緒に引いたが、
「傅の殿」に付された本書の頭注には〈道綱。「傅」はお守り役。道綱は寛弘四年一月二十八日より
同八年六月十三日まで東宮傅に在任。〉と記されるだけで、これだと藤原道綱は53歳から57歳の間に
「初めて」女のもとに恋文を出して、しかも母親に和歌を代作してもらった、と誤解されそう(^_^;)
柿本奨『蜻蛉日記全注釈』下巻は〈・・・「傅の殿」はもちろんこの時より後の身分で記したもの。〉
と語釈した上で、〈道綱は初心のようである。元服した天禄元年八月の後、あまり年経ぬころのこと
であろうか。なお、「傅の殿」とあるからといって、この記事は道綱が東宮傅の職にいた時期の記述
とは必ずしもいえない。後々まで前官で称することがあり、かつ、道綱を「傅の殿」と呼ぶのは普及
した呼称だからである。〉と「余説」で行き届いた解説を行なっているオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) モチ
本書も巻末の「解説」や付録の「蜻蛉日記関連年表」をちゃんと見れば、藤原道綱が東宮傅に任ぜら
れる寛弘4年(1007年)以前の長徳元年(995年)に藤原道綱母は亡くなってたことは判るけど(^_^;)
・道綱母は息子の教育に失敗したのか、藤原道綱は「名字」しか書けず一字も読めないとされる(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-15
・もしかしたら藤原道綱の実の父親は藤原兼家ではなく下級貴族であることを告白・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-01-09
【買った本&読んだ本】
犬養廉(校注)『新潮日本古典集成 蜻蛉日記』(新潮社,1982)
「もったいない本舗 楽天市場店」で「良い」335円(送料無料)を20日に注文して20日に追跡不可能
ゆうメールで発送されたのに届いたのは25日(´ヘ`;) 函の有無がコンディション説明文に記されて
無く、函付きなのにそのままビニール封筒に入れてるし、よく見ると何ヵ所か(赤)鉛筆で線や印が
書き込まれてたけど、問題ナシオン主権(^_^;) この新潮日本古典集成はパラフィン紙だかグラシン紙
だか(新装版は表紙カヴァー)を外すと新品でも手にくっつく感じなので、古本だと手汗でベタベタ
してるのがメチャ嫌(+_+) このショップは古本を買うと卓上カレンダー(月別)と買取申込書を同封
してくれ、後者は裏側が紙カヴァー(大きい単行本サイズ)として使えるので、速攻でハサミとセロ
テープで包むのだが、前回の15日に注文し19日に届いたのに続いて今回も買取申込書(紙カヴァー)
が何故か同封されて無かった(-ω-、) 在庫を抱え過ぎて今は積極的に買取をしてないのかな(@_@;)
注文する時に初めて気付いたけど、本書は何故か図書館で一度も手に取ったことが無かった(´・_・`)
『蜻蛉日記』は注釈書を4冊所蔵し、とりわけ柿本奨『日本古典評釈・全注釈叢書 蜻蛉日記全注釈』
(角川書店,1966)上下巻を持ってるから、買う必要は無かった気もするけど、本書の頭注をパラパラ
見てると、例えば、「・・・を重視して、作者のもとに行けない嘆きを託した兼家の手紙と見る考え
(『全注釈』)もあるが、従えない。」などとあったりしたから、じっくり読み比べないとね(^_^;)
傅の殿、初めて女のがり[=女の許に]、やりたまふに、代はりて
[=道綱母が代作して]、
今日ぞとや つらく待ち見む わが恋は 始めもなきが こなたなるべし
今日こそは、今日こそはと、切ない気持でお返事を待ち受けることに
なりましょうか。私の恋は、今日に始まったものではなく、はてしもなく
遠い前世からのものなのに。
『蜻蛉日記』は「巻末歌集」が付いてて、その中の一首を本書の頭注&傍注の訳も一緒に引いたが、
「傅の殿」に付された本書の頭注には〈道綱。「傅」はお守り役。道綱は寛弘四年一月二十八日より
同八年六月十三日まで東宮傅に在任。〉と記されるだけで、これだと藤原道綱は53歳から57歳の間に
「初めて」女のもとに恋文を出して、しかも母親に和歌を代作してもらった、と誤解されそう(^_^;)
柿本奨『蜻蛉日記全注釈』下巻は〈・・・「傅の殿」はもちろんこの時より後の身分で記したもの。〉
と語釈した上で、〈道綱は初心のようである。元服した天禄元年八月の後、あまり年経ぬころのこと
であろうか。なお、「傅の殿」とあるからといって、この記事は道綱が東宮傅の職にいた時期の記述
とは必ずしもいえない。後々まで前官で称することがあり、かつ、道綱を「傅の殿」と呼ぶのは普及
した呼称だからである。〉と「余説」で行き届いた解説を行なっているオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) モチ
本書も巻末の「解説」や付録の「蜻蛉日記関連年表」をちゃんと見れば、藤原道綱が東宮傅に任ぜら
れる寛弘4年(1007年)以前の長徳元年(995年)に藤原道綱母は亡くなってたことは判るけど(^_^;)
・道綱母は息子の教育に失敗したのか、藤原道綱は「名字」しか書けず一字も読めないとされる(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-09-15
・もしかしたら藤原道綱の実の父親は藤原兼家ではなく下級貴族であることを告白・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-01-09
図書館で見かける、緑の本の事でしょう。年代的にきわどいので、
2~3年前サラ読みしましたが。将棋が日本に有るのかどうかに
ついての匂いがしなかったので、この日記は私も借りませんでした。
by df233285 (2022-04-25 22:04)
貰った相手は母親の方に恋をしたり・・・・禁断の恋(笑)。
by tai-yama (2022-04-26 00:00)
そういえばラブレター書いたことないな‥他人のラブレターをウッカリ読んでしまったことがあってあまりの気持ち悪さに書くという選択肢が消えたんだと思います
by ぽ村 (2022-04-26 00:41)
初めてのラブレターを自分で書くなら年齢は関係ないとしても、53~57歳で母親に代作してもらったものというのは衝撃ですね(◎_◎;)
by ナベちはる (2022-04-26 01:21)
新潮日本古典集成の本書には、和歌索引しか付いてませんけど、
長さん様、柿本奨・前掲書には更に語句索引と事項索引が、同
(校注)『蜻蛉日記』(角川文庫,1967)も語句索引が(^_^;)
by middrinn (2022-04-26 11:54)
『蜻蛉日記』の本文に出てくる、道綱が母に
代作してもらった和歌を送った相手の女性も、
tai-yama様、返歌を代作してもらっていて、
代作者同士でまさかの恋に落ちたり(^_^;)
by middrinn (2022-04-26 12:16)
俺ならもっと上手く書けるぜッ!と、
ぽムたん、7年後に書いたり(^_^;)
by middrinn (2022-04-26 12:25)
受け取った側に限らず、多分、多くの人が、
ナベちはる様、キモい!と思いそう(^_^;)
by middrinn (2022-04-26 12:34)