SSブログ

220414読んだ本

もっともらしいことを述べるコメンテーターがウケるんだろうね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

梶原正昭&大津雄一&野中哲照(校注・訳)『新編日本古典文学全集53 曾我物語』(小学館,2002)

三木紀人『日本周遊古典の旅』(新潮選書,1990)が『曾我物語』の叙述を例に挙げて「外の浜は日本
の極北を示す地として扱われて」いるなどというチョー頭の悪いことを述べていたので、拙ブログは
応地利明『絵地図の世界像』(岩波新書,1996)に引かれていた『曾我物語』の叙述を孫引きする形で
批判したけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-03-18 )、『曾我物語』の
両叙述を本書で一応確認することにした_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

「外の浜」は当該件よりはるか前、開巻早々の本書21頁に登場し、頭注2が次の説明(本書20頁)(^^)

    秋田県能代平野から青森県津軽半島を経て下北半島に至る一帯の海岸。特に
    津軽半島東岸の北浜を指す場合が多い。→四四八ページ地図。

なお、本書は多くの地図が適宜掲載されており、それを眺めているだけでも面白かったりする(^_^;)

懐島平権守[ふところじまのへいごんのかみ]景義(大庭景義)が伊豆の山の御所の佐殿(源頼朝)
と北の方(北条政子)のもとに参上し、藤九郎盛長(安達盛長)と同じ場所で寝ていた時の出来事が
当該件であり、本書119~120頁から現代語訳で引く(^^)

    ・・・/その晩に、[安達]盛長は目を覚まして、佐殿[頼朝]の御前に参って、
    「今夜、殿にとってめでたい御示現を蒙りました。殿が足柄山矢倉が岳に
    お出かけになると、伊保坊[=一品坊昌寛]は銀の徳利を抱き、実近[未詳]は
    御畳を敷き、盛綱[=小野成綱]は銀の銚子にお酒を入れてお勧め申しあげると、
    殿は三度お飲みになって後、箱根へ参上なさいました。殿は左の足で陸奥の
    外の浜を踏み、右の足では西国の鬼界が島を踏み、左右の袂に日と月とを入れ、
    小松三本を飾りとして南に向ってお歩きなさると、夢に見申しあげました」と
    申しあげると、佐殿は、お聞きになって、とても喜ばれて、・・・

後半の原文を前掲『日本周遊古典の旅』は引用してて、「外の浜」(本書120頁)に付された頭注1に
「当時、日本の東のはてとされていた。・・・」(本書120頁)とあるが、先日指摘したように、頭を
フツーに使えば、「日本の極北を示す地」ではなく〈日本の極東を示す地〉であると判るはず(^_^;)

この後、頼朝と政子もそれぞれ見た夢を語り、聞いた一同は感動も、『曾我物語』作者の評に続いて
〈女性ではあったけれども、堅い信仰心をお持ちであったので、すぐに御利益を蒙られたのは、また
となく尊いことである。だから、『平家物語』に『曾我物語』を添えて中国に渡したときも、中国の
人がひらいて見て、「日本は、小国であるけれども、このような賢い女性がいたのだ」と感心し合った
とかいうことである。〉という謎の叙述が本書121頁に(^_^;) 頭注11は「『曾我物語』の中で『曾我
物語』について言及するのは、この政子の夢見の話が、後に『曾我物語』に取り込まれたものであろう
ことをうかがわせる。」(本書121頁)とするが、変なの(^_^;) とまれ、前掲『絵地図の世界像』が
引用した件(モチ原文)は、その後の叙述に含まれていて、本書121~123頁から現代語訳で引く(^^)

    ・・・さて、懐島平権守景義が進み出て、「皆様の御夢想を承って、まことにめでたく
    思われます。殿や北の方様の夢についてあれこれ申すことは、御遠慮申しあげます。
    盛長の夢想については、景義が夢判断をいたしました。まず、殿が足柄山矢倉が岳に
    いらっしゃったと見申しあげましたのは、足柄明神第二の王子、矢矧大明神の御利益
    で恨み深い敵を討ち平らげて、御先祖の八幡[義家]殿の跡を継ぎ、東国を従わせ、
    西国を平定し、北国を後ろ盾とされ、南海を征服し、その内にお住いになられる
    お告げです。次に、酒を三度召し上がられましたのは、今の状態は、だいたいのところ、
    酒に酔っていらっしゃるような御気分です。ですから、遠ければ三年、近ければ三月の
    うちに、願いを叶え、この間の御心痛の酔いを醒まされるでしょう。左の足で外の浜を
    お踏みになられたのは、東方は残るところなく、[藤原]秀衡の館まで御支配になられ
    るとのことでしょう。右の足で鬼界が島をお踏みになられたのは、殿に攻められて、
    平家が都を落ち、四国・西国に逃げ下り、ついには平家の一族を滅ぼして、西方も
    すべて自由に御支配なさるとのことでしょう。左右の袂に日と月とを留めるというのは、
    帝や上皇の御後見とおなりになり、日本の大将軍とおなりになるとのことでしょう。
    小松三本を髪飾りとなさったのは、御子孫三代までは天下に繁栄されるであろうとの
    お告げです。八幡大菩薩・足柄大明神・富士浅間大菩薩・箱根と伊豆の二所権現・
    三島大明神の御守護は疑いがないとのお告げです」と申しあげると、佐殿は非常に
    お喜びになって、・・・

何だかなぁ~と思いつつ書き写した(^_^;) それにしても景義から「御子孫三代まで天下にはびこらせ
給ふべき御示現なり。」(本書122頁)と言われた頼朝、「松」は和歌では「千代[ちよ]」「千歳」
とともに詠まれるものなのに「御子孫三代〝までは〟天下に繁栄されるであろう」とは不吉なり!と
叱責しないとは(^_^;) この「御子孫三代まで」から、いわゆる結果論、後知恵の臭いプンプン(^_^;)

さて、さて、さ~て!本書の頭注欄には次の解説(本書118頁)が∑( ̄ロ ̄|||)ニャンじゃそりゃ!?

    盛長、頼朝の夢と景義の夢合せの話は、延慶本『平家物語』四、『源平盛衰記』一八、
    『源平闘諍録』一・上、あるいは幸若舞曲「夢あはせ」にもみられる。細部に違いは
    あるものの、大筋において大差はない。『平治物語』下には、頼朝が流される際に
    纐纈[こうけつ]源五盛康が夢合せをして頼朝の天下掌握を予言する話がある。
    王権には常に神話が必要である。この夢合せ説話は、まさに東国王権の草創神話である。

もっともらしいことを述べてるけど、「天下」を「掌握」し損ねた人物たちにも全くそっくりな内容
の「夢合せ[=夢解き]説話」が存在することを説明できない論だと気付けよオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
「天下掌握」に成功した者にも失敗した者にも共通して夢解き説話が生成・伝承されてるのは、その
成功や失敗が謎とされソレを解き明かしてくれるような説明に対する人々のニーズのためかと(^_^;)
頼朝が一介の流人から武家の棟梁となって「天下の草創」を成し遂げたというあり得ない奇跡に対し
皆が納得できるような説明が求められて生まれた夢解き説話(^_^;) 『古事談』や『宇治拾遺物語』に
載る西寺と東寺を跨いで立つ夢を見たので妻に話すと股裂きに遭うということでしょと夢解きされて
しまった伴善男、『大鏡』に出ている朱雀門の前で左右の足を西と東の大宮大路に広げて踏ん張って
北向きに内裏を抱きかかえて立つ夢を見て披露したら傍らにいた小賢しい女房からさぞ股が痛かった
ことでしょうと言われてしまった藤原師輔、ともにつまらぬ人間に話してしまったために吉夢でなく
なってしまったわけだけど、伴善男が大納言にまで立身出世しながらも応天門の変で失脚したこと、
藤原師輔が摂政・関白になるのは確実視されていたのに摂政・関白になる前に亡くなったこと、両者
を説明してくれる夢解き説話(^_^;) 惟喬親王が口ずさんだ「香炉峰の雪は、簾を掲げて見る」の件と
いい(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-04-10 )、本書は読みが浅い(^_^;)
タグ:歴史 説話 古典
コメント(8) 
共通テーマ:

コメント 8

ナベちはる

実際はそう思っていなくても、万人受けするコメントが一番安心でアレコレ言われないのだろうと思うとコメンテーターもどこか可哀そうに感じてきます(^^;
by ナベちはる (2022-04-15 01:28) 

middrinn

視聴者の多くが納得するような内容のコメを瞬時に
思い付くんだから、大したものですけどね(^_^;)
by middrinn (2022-04-15 05:16) 

df233285

半世紀前に、今の文科省から叩かれた”検定不合格日本史
三一書房、家永三郎、1974年”によると、その物語の
局面で、”「じゃあ、清和源氏将軍が続くように、弟義経が、
行く行くどんな失敗をしでかしても、放免だけはせずに
許してやり、4代目は子孫たちの間で将軍を決めさせよう」
と、怒るどころか言い放って、その通りにしていたとした
ら、北条執権政治時代は来なかったのではないか"と取れる
旨の教育を我々には試みていた。検定では不合格だったが、
「頼朝評価」で家永が、今の文部科学省の怒りを買ったという
話は余り聞かない。半世紀前の、今とは集中点ベクトルが
全然違う、判官びいきの時代には、源義経しか見ていなかった
という点で、教育界が今とは違う世界だったような気がする。

by df233285 (2022-04-15 15:38) 

middrinn

面白そうなので、読んでみたいですね_φ( ̄^ ̄ )メモメモ
家永三郎は教科書検定訴訟その他で左翼史家のイメージ
が定着してますけど、何時だったかフツーの歴史の本を
読んでたら、彼の説(モチ歴史学者としての研究業績)
がフツーに引かれてて、おぉ!?と思った記憶が(^_^;)
by middrinn (2022-04-15 16:38) 

yokomi

私も不思議な夢を見たら小賢しい女房殿に話してみましょう(^_^;)
 うーん、応天門かぁ....。あっ、最新刊はいつでしょうね(^_^)v 
by yokomi (2022-04-15 17:23) 

middrinn

念のため申し上げますが、「傍らにいた小賢しい女房」とは
師輔の家に仕える女性のことで、妻ではないですよ(^_^;)
by middrinn (2022-04-15 18:12) 

tai-yama

日本人は"三"と言う言葉が好きなので、三代にしたのかも。
足が三本あれば・・・・。あっ、真ん中の足があるか(笑)。

by tai-yama (2022-04-16 00:03) 

middrinn

もっともらしいコメントではないですね(^_^;)
tai-yama様のは足と同じくらい長いと(^_^;)
by middrinn (2022-04-16 06:04) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。