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220304読んだ本

講談社学術文庫版で『西行物語』を読んだつもりになってんじゃねーよ(ノ ̄皿 ̄)ノバーカ!┫:・’

【読んだ本】

小松茂美編『日本の絵巻19 西行物語絵巻』(中央公論社,1988)

桑原博史(全訳注)『西行物語』(講談社学術文庫,1981)巻末の「解説」が現存する『西行物語』の
テキストについて「・・・広本系の文明十二年本が取り入れている二一一首の和歌の中には、明らか
に増補された他人歌がある。略本系の正保三年版本(本書の底本)の取り入れている一二八首の和歌
は、だいたいは自然な形のようである。」と記しているのを、広本系の83首は全て「他人歌」と勝手
に思い込んでた(^_^;) だから「・・・話が多い広本系が本来的な形のようである・・・」というのも
「他人歌」を基にした「話」かと(^_^;) 清水克行『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナー
キーな世界』(新潮社,2021⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-02-01 )の
第12話「落書きのはなし 信仰のエクスタシー」に次の件(同書179~180頁)が( ̄◇ ̄;)エッ!?

    ・・・鎌倉~室町時代の絵巻物や参詣曼陀羅に描かれた有名な寺院や神社の風景には、
    多くのお参りする人々が描かれているが、実際、よく見ると、そこにも群衆に混じって
    落書きしている人が、ときおり見られる。たとえば前頁の図版は、鎌倉時代に描かれた
    『西行物語絵巻』だが、そこでは熊野の八上王子(和歌山県西牟婁郡上富田町)を参拝
    した歌人の西行法師(一一一八~九〇)が、ちゃっかり神社の玉垣に得意の和歌を書き
    記している。・・・

この例証にはチト疑問があるんだけど、それはさておき、この場面は講談社学術文庫の『西行物語』
には無い( ̄◇ ̄;) 近藤潤一(校注)『山家心中集』も入っている樋口芳麻呂ほか(校注)『新日本
古典文学大系46 中世和歌集 鎌倉篇』(岩波書店,1991)巻末の「地名索引」で「八上」を引けば、

      熊野へまいりしに、八上の若宮の花をもしろかりしかば、社にかきつけ侍し

    待ちきつる 八上の桜 さきにけり あらくをろすな 三栖の山かぜ

という西行の歌は簡単に見付かるし、同歌の詞書を素材に作られた話なのだろうと想像もつく(^_^;)
後藤重郎(校注)『新潮日本古典集成 山家集』(新潮社,1982→2015新装版)にも次の通り(^_^;)

      熊野へまゐりけるに、八上の王子の花面白かりければ、社に書きつけける

    待ち来つる 八上の桜 咲きにけり あらくおろすな みすの山風

久保田淳&吉野朋美(校注)『西行全歌集』(岩波文庫,2013)も『山家集』ので、次の通り(^_^;)

      熊野へ参りけるに、八上の皇子の花おもしろかりければ、社に書付けける

    待ち来つる 八上のさくら 咲きにけり 荒くおろすな 三栖の山風

講談社学術文庫版で『西行物語』を読んだつもりになっていたことを反省して、講談社学術文庫版に
載ってない上記の話を、本書『日本の絵巻19 西行物語絵巻』で確認すると、本書所収の萬野美術館本
『西行物語絵巻』の当該話の詞書は次のようになっていた(本書42頁)( ̄◇ ̄;)

    ・・・/さて、やがみの王子にとゞまりて、いがきのほとり/にさきたる
    花のことにおもしろくおぼえて、

      まちつくるやがみのさくらさきにけり/
      あらくおろすな峰の松風

                        きの国やがみの王子

本書42頁に次のような訳(?)があり、本書43頁掲載の絵には跪いて左手に硯を持ち右手に持った筆
で斎垣に直接書いている西行の姿(前掲『室町は今日もハードボイルド』の「図版」はこの部分図)
が描かれている(@_@;)

    ・・・/やがて、熊野路にさしかかり、八上王子にたどり着いた。熊野権現の分社
    九十九王子の一つである。小さな社ながら、瑞垣[みずがき]のほとりに桜の花が
    枝もたわわに咲き乱れている。あまりの美しさにみとれた西行は、〈待ちつくる
    八上の桜咲きにけり 荒く下すな峰の松風〉の一首を詠んだ。/

本書43頁には「西行、熊野詣でに向かう」の中にこの絵と詞書に関して次のような解説(?)(^_^;)

     桜咲く八上王子
     木立の中に包まれた中に、朱塗りの瀟洒な祠がみえる。紀伊路から熊野路にかけて、
     九十九の熊野権現の分社が祀られている。九十九王子[つくもおうじ]の名によって、
     平安朝以来、人々に親しまれてきた。熊野詣での人々は、熊野三山に到達するまで、
     道すがら、この九十九王子を巡拝しながら奉幣した。八上王子もその中の一つである。
     /折から、この王子に拝社をした西行は、境内の桜の風情に眼を慰めた。おお、こんな
     深山の中の山桜の美しさはまた、ひとしおというもの。と、しばし花にみとれた。
     笈[おい]の中から硯を取り出すと、墨をすった。やおら筆を取ると、頭に浮かんだ
     歌を書くべき場所を探した。いっそのこと、斎垣[いがき]の板に書きつけておこう。
     というので、墨黒々と筆を下ろした。歌はさきに記したとおりである。

ちなみに、〈・・・明応九年〈一五〇〇〉に海田采女佑[かいだうねめのすけ]源相保[すけやす]
の描いた「西行物語絵巻」を、江戸初期に詞書・烏丸光広、絵・俵屋宗達が模写した一本(六巻、
渡辺家蔵)・・・〉(本書1頁)という渡辺家本『西行物語絵巻』も本書は収録してて、当該話の詞書
(本書156頁)、本書85頁と84頁から解説の一部を引くけど、「祠の柱に書きつけ」ている絵は無く、
丘の桜の木の近くに座って桜を眺める西行の絵だけである(^_^;)

    〔第三十六段〕
    /さて、八上の王子に留まりて、/
    斎垣[いがき]の辺に咲きたる花の、/
    殊に面白かりければ、柱に/
    斯くぞ書きける。/

     待ち来つる八上
     の桜咲(き)に
           けり
     荒く下ろすな
       みすの山
          風


    /右手、八上王子の小高い丘から、西行は来し方を展望している。山野の桜が
    遠く近くに霞んでいる。かなたの山路には、熊野詣で帰りの旅人が下山してくる。
    行路を人々が埋め尽くした“蟻の熊野詣で”のたとえと異なり、いまは西行のほかに
    訪れる人とてない。/

    /ここでひと息入れた西行は、祠の瑞垣[みずがき]のほとりに咲く山桜の風情が、
    眼にとまった。「待ち来つる八上の桜咲きにけり 荒くおろすなみすの山風」 即座に
    1首を詠んで、祠の柱に書きつけた。いま、狭い境内の隅に、この歌を刻んだ小さな
    碑が立っている。/

かしら、かしら、お気付きかしら? 歌の第五句が、萬野美術館本『西行物語絵巻』は「三栖の山風」
ではなく「峰の松風」となっていることに(^_^;) 後藤重郎・前掲書の頭注も「みすの山風」を〈田辺
市の東北にある「三栖山」に「御簾」(「おろす」と縁語)を響かせる。〉と解説してるのに(^_^;)
本書1頁に「・・・/いま、詞書を藤原為家〈一一九八-一二七五〉、絵を土佐経隆(建長年間〈一二
四九-五六〉のころの人)の筆と伝える「西行物語絵巻」の残巻二巻が残っている(徳川美術館・
萬野美術館蔵)。・・・両巻ともに錯簡があり、しかも萬野美術館の一巻は失われた詞書を室町時代
のころに補写している。・・・」とあり、本書41頁には「西行、熊野詣でに向かう」という見出しの
後に「/詞書の書風が一変する。これはその書体からみて、どうしても室町時代のものである。いま
までの一群が十三世紀半ばの書体を示すものであれば、これは十五世紀半ばのものであろう。・・・」
とあるから、この「補写」をした際に生じたミス(←洒落)かな(^_^;) とまれ、本書は萬野美術館本
『西行物語絵巻』に記されている西行の歌の一部に誤りがあることを指摘していないヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
てゆーか、小松茂美は「・・・/この『西行物語』(二巻)は、『山家集』・『西行上人集』など、
西行の家集その他を資料としたもので、その詞書や歌から西行遍歴の跡をたどりながら、巧みに話を
展開している。ほかに、説話や伝説などの素材を採り入れて、物語としての潤色をも添えている。/
・・・」(本書133頁)などと本書巻末の「解説」に記しているところを見ると、『西行物語』は西行
の詠んだ歌を(例えば、恋の歌なのに「出家遁世の心境を吐露したもの」としたり)歌題や詠作時期
などを無視してデタラメに用いていることすら気付いてないのかもね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
タグ:和歌 古典 絵画
コメント(6) 
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コメント 6

ナベちはる

ミス・誤りの指摘がないものが数個だと「見落とした」可能性もありますが、多いとどうなのだろうと思ってしまいますね(;`・_・´)
by ナベちはる (2022-03-05 01:33) 

middrinn

おっしゃる通りでして、ここだけならまだしも、他の件を見ても、
本書は西行の歌を確認してないように見受けられました(^_^;)
by middrinn (2022-03-05 06:53) 

爛漫亭

 八上王子の横をよく車で通っていました。いつか寄って
見ようと思いながら、坂の途中なのでつい通り過ぎて
しまいます。八上の一つ前が三栖山王子です。1201年に
定家も来ています。
by 爛漫亭 (2022-03-05 09:41) 

middrinn

となると、西行が「荒く下ろすな 三栖の山風」
と詠んだのは、もっともなわけですね(〃'∇'〃)
西行が詠んだことを知って定家も詠んでるかも
しれませんねウキウキ♪o(^-^ o )(o ^-^)oワクワク♪
いつも情報を、ありがとうございますm(__)m
by middrinn (2022-03-05 10:29) 

tai-yama

「補写」した際に"ミスごした"とか言ってみたり(笑)。
西行の落書きなら良いお値段になりそう。
by tai-yama (2022-03-05 18:54) 

middrinn

( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 特製「補写」した際に"ミスごした"座布団1枚 ♪
by middrinn (2022-03-05 18:57) 

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