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220228読むのを止めた本

裏付けが無く、著者の思い込み・憶測に付き合うのは時間の無駄(ノ ̄皿 ̄)ノレキシカシッカク!┫:・’

【読むのを止めた本】

佐々木馨『執権時頼と廻国伝説』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー,1997)

全223頁のほとんどが書名と無関係、論証どころか憶測だらけで、読むの止めた(ノ ̄皿 ̄)ノ┫:・’

    時頼廻国伝説の謎と二つの疑問    1

    宗教から見た鎌倉時代

     鎌倉仏教論の軌跡         8

     神と仏が作る三つの思想空間    19

     鎌倉幕府の宗教世界        27

    時頼の二つの顔

     武将としての時頼         44

     仏教者としての時頼        66

    運命の対決 日蓮と時頼

     対決の前夜            96

     『立正安国論』の世界       108

     日蓮の弾圧の背景         123

    時頼を待つ東の国

     古代北方の「蝦夷」        132

     古代北方の仏教          144

     鎌倉幕府の北方経営        151

    東国への旅立ち

     東国寺院の中世的改宗       162

     廻国の時期と形態         178

    廻国は虚構か史実か

     廻国論争の足跡          188

     廻国を裏付ける二つの史料     194

    廻国の歴史的意義

     「禅宗主義」の東国蚕食      206

     時頼の廻国と二つの中世国家    213

    あとがき              219

    参考文献              223

高橋慎一朗(日本歴史学会編集)『北条時頼』(吉川弘文館人物叢書,2013新装版)は「はしがき」で
北条時頼にはイメージが二つあり、一つは幕府の中心人物・政治家、もう一つは出家後の仏教に深く
帰依した仏教者で、「・・・政治家と仏教者のイメージの交錯するところに、時頼が僧侶に姿を変えて
諸国をおしのびで回り、不当な扱いに苦しむ人々を救ったという伝説(いわゆる「時頼廻国伝説」)
が生まれるのである。」(6~7頁)とする(⌒~⌒) 仏教者としての時頼を、佐々木馨は本書で延々と
説くが、廻国の動機があったことを示せても廻国が実際に行なわれたことにはならぬC= (-。- ) フゥー
本書の202頁から引くエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

    ・・・/私たちは、以上のように、時頼の廻国の史実性を、「平政連の諫草」
    と嘉元四年の弘前長勝寺の梵鐘銘文を通して、少しく検討を加えた。/
    繰り返すまでもなく、時頼の廻国は、あくまでも人目をしのぶ「微行」である。
    そのため、どうしても、直接的な史料は残らない。これは、ある意味では、
    当然の結果である。/それにしても、火のない所に、煙は立たない。/私たちは、
    敢えて、その何がしかの「火と煙」を探し求めた。そして、その結果、時頼の廻国は、
    かなり史実性に富んだ、限りなく史実に近い営みであったことを知り得た。/
    時頼の廻国は、後世の「虚構」などではなく、史実そのものであった。私たちは、
    その「微行」の旅立ちを、正元元年(一二五九)、時頼、三十二歳のときに求めた。
    まさに、「中世の黄門」の発見である。/・・・

まさに陰謀だからこそ証拠は残さないわけで、陰謀は絶対にあるんだとか強弁しそうヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

高橋慎一朗は『北条時頼』226頁で次のように述べているが、同書巻末の「参考文献」で確認すると、
石井進の後者の論稿は1998年の『日本歴史』600号掲載とあるから(同書256頁)、佐々木馨の本書を
念頭に置いたものだろうオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    ・・・/このような廻国伝説が事実であったかどうかについては、明治以来
    賛否両論があり、近年も佐々木馨氏がこれを史実であるとする見解を発表
    している(『執権時頼と廻国伝説』)。しかし、石井進氏が述べるように、
    一つ一つの伝説は事実とは認めがたく、廻国伝説は御家人保護や公正な裁判
    の実施などの時頼の政策を象徴的に表現したものと見るべきであろう
    (「北条時頼廻国伝説の真偽」、「新たな北条時頼廻国伝説の提起に思う」)。
    /・・・

奥富敬之『吾妻鏡の謎』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー,2009)が『太平記』に載る時頼廻国伝説
を紹介してたので、ソレは『古今著聞集』に出ている源頼朝の説話と類似するので翻案ではないかと
指摘したが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-02-25 )、奥富敬之の同書の
時頼廻国伝説に関する見解を同書の188頁と190頁から順に引いておく〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・時頼の微行廻国というのも、時頼が使者を鎌倉中、次いで諸国に派遣したから
    派生したものだったのかもしれない。/これより先、すでに北条泰時が同じような
    こと[=巡検使の派遣]をしていたらしい。・・・

    ・・・/なお、異本の『太平記』巻三十五には、時頼の孫北条貞時も先例を追って
    微行廻国し、院の御気色を損じて蟄居していた久我内大臣を救ったとも記されている。
    これもまた貞時自身ではなく、貞時が派遣した巡察使だったかもしれない。/いずれ
    にしても泰時の頃には巡検使と呼ばれていたものが、時頼・貞時の代になると巡察使い
    とか廻国使と呼ばれるようになっていたらしい。・・・/とにかく時頼なり貞時なり
    本人が微行廻国したということの実否は、今となっては確認のしようがない。廻国使を
    派遣したということについては、泰時の巡検使を先例とみればあり得ないことでは
    なかったとも考えられる。/・・・

時頼廻国伝説の先行研究として本書も挙げていたけど、奥富敬之も本書に納得しなかったよう(^_^;)

佐々木馨は本書の194頁で〈時頼の廻国が史実に近い、ないしは史実であることを立証する史料とは、
何を隠そう、『鎌倉遺文』の「平政連[まさつら]の諫草[いさめぐさ]」(原漢文)の中に潜んで
いる。〉とする(@_@;) 「平政連の諫草」」とは徳治3年(1308)8月に「出雲介の父」とも呼ばれる
「筑前権守」の平政連による、時の権力者の長崎左衛門尉こと内管領の長崎高資に対しての諫言で、
その中で時頼の孫で九代執権の「貞時の事蹟」を「・・・/まさに禅閤(貞時)、都鄙の間、大事を
行じしめ、貴賤のうち、少諍もなすべからず、徳仁を兼ぬるは、あに民のための生にあらざらんや。
けだし、利国の道を専らにせり。/・・・」(本書195頁)と評価した件を、〈・・・/貞時が、都と
地方に「大事を行じしめ」、貴賤に争いごとのなきよう、仁政を行なったのを、どうして民のために
生まれたのではないと言えようか。貞時は、民のために生まれてきたのである。貞時は国のために
専念したのだ。〉と訳した上で(本書197頁)、本書198頁の記述∑( ̄ロ ̄|||)ニャンじゃそりゃ!?

    ・・・/貞時が、都と鄙に、「大事を行じしめ」たとは、結論的にいえば、
    貞時が秘かに、姿・形をやつして「微行」していく、まさに「廻国」のことを
    指している。/推測に推測を重ねていうなら、祖父の時頼のとき蒔かれた
    「微行」という名の「廻国」の種が、この孫の貞時に受け継がれ、ものの見事に
    開花・結実したことを、政連はそれが「微行」であるがゆえに、「大事」と
    婉曲的に表現したのではなかろうか。私にはそう思われてならない。/さらに
    もう一歩進めて言うなら、この「微行」ともいうべき「廻国」の営みは、
    貞時の北条得宗家にとって、時頼以来、一貫して秘すべき伝統としての「大事」
    であった。/時頼に始まったこの秘すべき「微行」は、時頼の死後、約四十年を
    経た今も、孫の貞時の世に、得宗家ないしは幕府の「大事」として、半ば公然の
    秘事として、継承されていたのである。/・・・

「大事」=廻国・微行とする根拠を示さずに、「推測に推測を重ねていう」のは憶測C= (-。- ) フゥー
そもそも廻国が「事蹟」であるなら、「秘すべき」理由など無く、アピるだろオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    ・・・/もう一歩進めていえば、孫の貞時は、祖父時頼の「微行」という「大事」を
    偲びながら、嘉元四年[1306年]に、[陸奥国津軽の]護国寺の梵鐘を鋳造し、
    自らも得宗家の伝統である「微行」により、津軽まで足を伸ばしたのではなかろうか。
    /なぜなら、貞時自身も、祖父時頼の「微行」を先例に、廻国していたことが、
    『太平記』巻第三十五の/後ノ最勝寺貞時モ、追先蹤又修行シ給/うという一文
    によって、史料的に確認できるからである。/・・・

この本書201頁の記述(返り点は略)を受けて、〈私たちは、以上のように、時頼の廻国の史実性を、
「平政連の諫草」と嘉元四年の弘前長勝寺の梵鐘銘文を通して、少しく検討を加えた。〉と続くが、
貞時から時頼にすり替わっている( ̄◇ ̄;) もしかしてもしかすると、貞時は時頼の「先蹤」に廻国
したと『太平記』にある以上、貞時の廻国が立証されたと思い込んでいる佐々木馨は、時頼の廻国も
立証された、と言いたいのかもヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 現代の歴史学研究者とは思えぬ非実証性だな(@_@;)

「あとがき」でも「時頼の廻国伝道は、限りなく史実に近い。いな、史実そのものである。」(本書
219頁)となってて、「廻国伝説」ではなく「廻国伝道」( ̄◇ ̄;) 奥州の寺院が天台宗から臨済禅へ
の改宗を正当化=言い訳するために寺伝で北条時頼の名を勝手に借りただけかもしれないのに(^_^;)
とまれ、本書の書名である『執権時頼と廻国伝説』と全く関係が無く、騙すんじゃねーよヾ(`◇´)ノ
タグ:歴史
コメント(8) 
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コメント 8

tai-yama

貞時の執権就任時は元寇の直後だし、晩年は徳政令を出してしまう
ぐらいまずい状況だったし・・・廻国なんかしたら間違いなく
クーデター(もしくは暗殺)。
by tai-yama (2022-03-01 00:06) 

ナベちはる

>全223頁のほとんどが書名と無関係、論証どころか憶測だらけ
なんと…
これでは、下手したら詐欺にもなりかねないですね((+_+))
by ナベちはる (2022-03-01 01:26) 

middrinn

しかも、「院の御気色を損じて蟄居
していた久我内大臣を救った」とか、
tai-yama様、(噴飯ものな)内容の
真偽を検討すらしてませんし(^_^;)
by middrinn (2022-03-01 06:06) 

middrinn

書名詐欺な上に、主題の論じ方が、
ナベちはる様、歴史家失格(^_^;)
by middrinn (2022-03-01 06:14) 

df233285

昨今に関してはコロナが蔓延ったんで。そもそも
廻国自体が、すっかり悪しき政策になりましたね。
by df233285 (2022-03-01 09:14) 

middrinn

足利義満や義教の「遊覧」のような大人数ではなく、
「微行」なので「密」は避けられてるかも(^_^;)
by middrinn (2022-03-01 09:33) 

yokomi

題名は出版社主導だったのかも(^_^;) まあ早急にタイムマシンと透明人間化ワクチンの開発製造に文科省の予算を投じましょう(^_^)v
by yokomi (2022-03-01 10:43) 

middrinn

出版社の依頼による書き下ろしのようです(@_@;)
んな下らないことに予算を投じるのは愚行です(-"-)
by middrinn (2022-03-01 11:49) 

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