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220107読んだ本

学際的な超一流の研究者はタコツボ専門バカの平凡な研究者とは違うのだよオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
期待して披いた本が役に立たない代物と判って腹を立てるというのもチト大人気ないけどね(^_^;)

【読んだ本】

黒板伸夫&森田悌(編)『訳注日本史料 日本後紀』(集英社,2003)

日本古代史の泰斗である坂本太郎の名著『史書を読む』(中公文庫,1987→3版1992)は「『後紀』の
人物伝は長所と共に必ず短所を挙げ、批評は辛辣をきわめている。」、「日本後紀に横溢する批判的
精神は、この[藤原]緒嗣の豪毅な精神の現れと私は推測する。」と『日本後紀』を顕彰してたので
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-10-27 )、試しに森田悌(全現代語訳)
『日本後紀(上)』(講談社学術文庫,2006)を披くと勅撰国史なのに太皇太后の密通という「民間の
噂」も載せてた(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-02-14 )ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
行賀の月旦(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-02-20 )なんか泣けたし(;_;)
この上巻で気になったのは延暦16年冬10月庚申(8日)の条で訳文は次の通り(上巻157頁)(@_@;)

    啄木鳥が前殿へ入った。明日、天皇は交野に行幸する予定であったが、
    この不審事のため、とり止めた。

「啄木鳥が前殿へ入った」ことが、どうして「不審」なのか、気になるのは小生だけですかね(^_^;)

しかし、同書は「全訳注」ではなく「全現代語訳」ゆえ注釈が付いてない(ノ ̄皿 ̄)ノツカエネー!┫:・

ただ、森田悌(全現代語訳)『日本後紀(下)』(講談社学術文庫,2007)巻末の「あとがき」の冒頭
に次の記述(同書387頁)が(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-02-26 )(^^)

    /本書は、著者が先に黒板伸夫先生[←永井路子の夫]と集英社から刊行した
    『訳注日本史料日本後紀』に続く著作で、同書で行った訓読・注釈を踏まえ、
    現代語訳を付したものである。集英社本の訓読および注釈により『日本後紀』
    の理解が深まることを意図したが、一通りの意味をとるにしても初心者ないし
    一般の読書人には必ずしも読解が容易でないことが予想されるので、現代語訳
    を刊行することにしたのである。尤も少数の語釈を除き注釈を付すことを
    行っていないので、表面的な意味は判っても解読が十分にできなかったり、
    歴史的理解から始めて詳細を知ろうとする読者は、集英社版『日本後紀』に
    当たって欲しいと思う。/・・・

「集英社本」には「注釈」が施されている由、件の延暦16年冬10月庚申(8日)の条を本書で探すと、
120頁に校訂原文が、そして、121頁に訓読文「〇冬十月庚申、啄木鳥有り、前殿に入る。明日、車駕
将[まさ]に交野に幸せんとす。斯[これ]に縁[よ]りて止む。」が載っていて、「啄木鳥」には
注が付されていたキタ━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━!!!! キタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!!!
んで、頭注欄を見たら、次のように記されていた(本書121頁)∑( ̄ロ ̄|||)ニャンじゃそりゃ!?

         啄木鳥 テラツツキともいう。新撰字鏡では寺豆支とする。

鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百鬼』(1779年刊)の妖怪「寺つつき」か(゚ロ゚;) 冗談はさておき、
民俗学的説明とか期待してたが、この人たちは興味・関心が無かったみたい(-ω-、) 問題意識が無く
視野が狭いから所詮は平凡な研究者・・ヘ(__ヘ)☆\(^^; まだ「バカチン歴史家」が終わってないのに
「バカチン国文学者」というカテゴリーも作っておくべきだったと後悔させてくれてる源顕兼(編)
伊東玉美(校訂・訳)『古事談 上』(ちくま学芸文庫,2021)ですら次の指摘C= (-。- ) フゥー

    /見馴れぬ鳥、それも大型の鳥がやって来ることが不吉だと思う心性が当時あり、
    後徳大寺実定が邸の母屋に縄をかけてあるのを西行が嫌ったという著名な逸話
    (『徒然草』一〇他)の背景にもそれがある。・・・

間違ってると思うけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-30 )、問題
意識は感じられるわな〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ 啄木鳥も「大型の鳥」とは思えないけどね(^_^;)
タグ:歴史
コメント(6) 

コメント 6

tai-yama

サギぐらい大型の鳥がやってきたなら確かに不吉かも・・・・
しかも、サギだけに騙される可能性もあるし(笑)。
by tai-yama (2022-01-07 23:23) 

ナベちはる

「全訳注」ではなく「全現代語訳」…現代語訳でも訳注は付けてほしいですね((+_+))
by ナベちはる (2022-01-08 01:58) 

middrinn

「絶対に覗かないで下さいね」と言うから鶴の恩返しかと思ったら、
tai-yama様、部屋の金品を物色してて鶴でなくサギだった(^_^;)
by middrinn (2022-01-08 07:25) 

middrinn

現代語訳でまさに「表面的な意味は判っても
解読が十分にできなかったり」するわけで、
ナベちはる様、訳注は必要ですよね(^_^;)
by middrinn (2022-01-08 07:42) 

df233285

第1勘ですが。女犯禁の仏教寺の戒律をツツく鳥の別名で
すから。このケースは「不審」ではなくて不純等と加筆し、
交野へ行くことに関し、18禁系の解釈をすべきかもしれ
ないと私見します。
by df233285 (2022-01-08 08:39) 

middrinn

ナルホド!( ̄◇ ̄;) ただ、行幸先が「交野」で、目崎徳衛『王朝のみやび』
(吉川弘文館歴史文化セレクション,2007)に桓武天皇が遊猟を盛んに行ない、
その場所として「交野」も挙げられ、「鷹狩の適地」とされています(@_@;)
同書は桓武天皇が「百済王氏は朕の外戚なり」として「母方の和氏の本宗なる
この渡来の王族を尊重した」とありますが、百済王氏の「一族は淀川のほとり
の交野を本拠として富強をほこった。」とも(@_@;) 桓武天皇の「非日本的
傾向」の傍証の一つとして、同書は「この鷹狩りは百済王氏に伝わった武術で
ある。」とし、「交野」は「鷹狩り」が目的だったと思われるのです(@_@;)
でも、貴見が当たっていれば、この「交野」行幸は遊興目的と推定可能に(^^)
by middrinn (2022-01-08 09:02) 

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