220106昨日買った本&読んだ本【バカチン】
文庫化とは単行本のサイズが縮小されただけで内容は同じ、とは限らず、劣化した本も( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
内容が同一なら定価も安く小さくて軽いから収蔵や持ち運びに便利な文庫版をチョイスだけど(@_@;)
【昨日買った本&読んだ本(バカチン)】
小町谷照彦&倉田実(校注)『拾遺和歌集』(岩波文庫,2021)
新刊の新品1848円を先月23日に1663円前払いして取り寄せを頼み昨日入荷したのを受け取った(^_^;)
小町谷照彦(校注)『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(岩波書店,1990)「・・・に基づき、本文
や注、人名索引などを倉田実が改編して文庫化した。」と本書の「凡例」にあるが、改変かと(^_^;)
なお、「新体系版の他出文献一覧・所収歌合歌一覧・所収屛風歌等一覧・地名索引は、容量の関係で
割愛し、人名索引のみ、倉田が改訂・整理のうえ収載した。」とも本書の「凡例」にはある(´・_・`)
「改編」というよりも改変であることを示すために、『拾遺和歌集』入集歌の中でも秀歌中の秀歌で
後代への影響も大きい壬生忠岑による巻頭歌を例に、新体系版と本書から順に引く(^_^;)
平定文が家歌合に詠み侍ける
春立つといふ許[ばかり]にや三[み]吉野の山もかすみて今朝は見ゆらん
立春になったというだけで、まだ雪に覆われているはずの吉野山も、霞んで今朝は
見えるのだろうか。抄一。延喜五年(九〇五)四月二十八日、平定文歌合歌。
〇春立つ 立春。霞は、立春を表象する景物。万葉集二十・大伴家持「月よめば
いまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか」。〇許に ただ…だけで。
〇三吉野の山 吉野山。大和。雪を景物とする。雪から霞へと、冬から春への季節の
転換を示し、立春の歌によく用いられる。古今・春上「春霞立てるやいづこみ吉野の
吉野の山に雪は降りつつ」。▽藤原公任の和歌九品に、上品上に置かれた秀歌。
立春の霞は万葉集から見られるが、拾遺集で明確な類型となる。以下四首、立春・
新年の霞の主題。すべて山にかかる霞。
平定文が家歌合に詠み侍ける
春立つといふ許[ばかり]にやみ吉野の山もかすみて今朝は見ゆらん
立春になったというだけで、雪深い吉野山も、霞んで今朝は見えるのだろうか。抄一。
延喜五年(九〇五)四月二十八日、平定文歌合歌。〇春立つ 立春。二十四節気の
一つで、年初の節気。ここから春が始まる。〇許に ただ…だけで。〇み吉野の山
吉野山。大和国。雪が景物。吉野山の景物が冬の雪から春の霞に転じる。「み」は
美称の接頭語。〇かすみて 立春の霞は万葉集から見られるが、拾遺集で立春を
表象する景物として明確な類型となる。「春の来る道のしるべはみ吉野の山にたなびく
霞なりけり」(能宣集)。〇見ゆらん 古京の奈良から吉野山を眺めるという設定。
▽藤原公任の和歌九品に、上品上に置かれた秀歌。
細かく手を入れてるけど、その必要あったのかね(@_@;) 文庫化で「容量の関係で割愛」しなければ
ならないのに、「大和」を「大和国」と一字書き足す必要あるのか(^_^;) どうも新体系版への敬意が
感じられず、小町谷照彦は亡くなったから文庫版は俺の物だとばかりにやりたい放題で自己顕示欲の
ようなものを感じてしまうのだが(^_^;) イミフなのが、「拾遺集で立春を表象する景物として明確な
類型となる。」として大中臣能宣の吉野山の霞を道案内に春が到来するという歌を引いた点(@_@;)
『拾遺和歌集』の成立は「長徳三年[997年]七月五日から寛弘四年[1007年]正月二十八日以前」と
本書の「解説」にあり、この大中臣能宣の歌は保坂都『大中臣家の歌人群』(武蔵野書院,1972)には
寛和2年(986年)6月10日の「寛和二年内裏歌合」で「霞」という歌題で詠まれたとあるので(能宣は
本書の「人名索引」に「正暦2年(991)8月没」)、『拾遺和歌集』成立前に詠まれた歌を「拾遺集で
・・・明確な類型となる」例として挙げるのは不適切かと(@_@;) もしかして『拾遺和歌集』成立前
には「霞」が「立春を表象する景物」として「明確」には詠まれていなかった一例として能宣の歌を
挙げたのかしら(@_@;) 上述の歌意には充分に詠み込まれていると小生なんかは思うけどね(@_@;)
なお、本書の「解説」に「『後撰集』の撰者、大中臣能宣の家集・・・」とあるが、工藤重矩(校注)
『和泉古典叢書3 後撰和歌集』(和泉書院,1992)の「解題」に〈『後撰集』の撰者はいわゆる梨壺の
五人─大中臣能宣・清原元輔・紀時文・坂上望城(茂樹)・源順の五人であるとされている。しかし、
「撰者」ということを厳密に言えば、この五人は「撰者」ではない。『順集』に「めしおかれたる」
とあるように、「召人(寄人)」として撰和歌所に候したのである。〉とあるけどねC= (-。- ) フゥー
「容量の関係」だろうけど、この新日本古典文学大系の文庫化では注釈が削られている場合もあり、
久保田淳&平田喜信(校注)『後拾遺和歌集』(岩波文庫,2019)なんか久保田淳&平田喜信(校注)
『新日本古典文学大系8 後拾遺和歌集』(岩波書店,1994)の脚注の「参考事項」が削られまくってて
使えない代物になったことは具体例を何度か指摘しているが、本書も同様に劣化しているね(@_@;)
例えば、恵慶法師の「浅茅原主なき宿の桜花心やすくや風に散るらん」の「浅茅原」についての注釈
を新体系版と本書から順に引く(@_@;)
浅茅は、万葉集では若く美しい女性にもよそえられる風情ある景物であったが、
平安時代中期頃になると、蓬や葎などと共に荒廃した邸宅の景物となり、
「浅茅生(原)」「蓬生」「八重葎」などの歌語として用いられるようになった。
後拾遺・秋上・道命「故里は浅茅が原と荒れ果てて夜すがら虫の音をのみぞ鳴く」。
浅茅は、平安時代中期頃には、蓬や葎などと共に荒廃した邸宅の景物として使用された。
「故里は浅茅が原と荒れ果てて夜すがら虫の音をのみぞ鳴く」(後拾遺・秋上・道命)。
「万葉集では若く美しい女性にもよそえられる風情ある景物であった」云々を削った倉田実の判断は
チト疑問で、「山高み夕日かくれぬ浅茅原後見むために標結はましを」(人麿)の「浅茅原」の本書
の注釈の「平安時代では、蓬や葎と共に荒廃を表す景物になる。この歌は万葉集の歌なので、美意識
の対象として、思慕する女性の表彰になっている。」の後段が理解しにくくなった気がする(@_@;)
倉田実が新たな校注者として加わったから、アップデートもされて新体系版のミスが訂正されている
ことを期待したけど、右大将道綱母の「嘆つゝ独寝る夜のあくる間はいかに久しき物とかは知る」の
詞書の「門を遅く開けければ」を、新体系版では「門を遅く開けたところ」と間違えて解していたが
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-04-27 )、本書もまた「門をすぐに開け
なかったので」と解していた(ノ_-;)トホホ… 「遅く~」は〈ある事態が実現するはずの時刻になっても
実現しない〉意だから、「門を遅く開けければ」は「門を開けなかったところ」と解すべきであり、
倉田実も読んどけ!山口佳紀『伊勢物語を読み解く 表現分析に基づく新解釈の試み』(三省堂,2018
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-04-28 )をヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
小町谷照彦による和歌の訳は、すっきりしていて頭にもすっと入る感じなので、小町谷照彦(訳注)
『古今和歌集』(ちくま学芸文庫,2010)とともに新体系版も重宝してたけど、中にはハズレもあり、
例えば、紀貫之「梅が枝に降りかゝりてぞ白雪の花のたよりに折らるべらなる」の訳を、新体系版と
本書から順に引く(^_^;)
梅の枝に降りかかっているので、この白雪は、花を折るついでに、一緒に
折り取られてしまいそうだ。
梅の枝に降りかかっているので、この白雪は、花の縁[ゆかり]と見られて、
枝は折り取られてしまいそうだ。
『拾遺抄』のは「白雪も」で、竹鼻績『拾遺抄注釈』(笠間書院,2014)の訳がすっきりv( ̄∇ ̄)ニヤッ
白雪も梅が枝に降り掛かっていることで、梅の花らしく見えて、
枝が折られるのであろう。
高い金を払ったんだし、良くなった点も挙げておくと、本書巻末の「人名索引」(「作者名索引」と
「詞書等人名索引」を統合)だと、橘忠幹の項を新体系版と本書から順に引く(⌒~⌒)
忠幹[ただもと] 橘.生没年未詳.父は古今集作者の長門守長盛.従五位下駿河守.
拾遺集・続古今集に各1首入集. 470[←歌番号]
忠幹[ただもと] 橘.生年未詳.天暦9年(955)没.長門守長盛男.駿河介の時,
賊に殺害された.勅撰入集は拾遺集・続古今集に各1首.
470/470[←後者は詞書に出てくる場合で、斜字で表記]
竹鼻績・前掲書によると、どうやら「従五位下駿河守」の典拠は『尊卑分脈』のようだけどね(^_^;)
本書の「解説」も、小町谷照彦の新体系版に増補とかではなく、小町谷執筆のは無くなって倉田実が
全て執筆してて、その点もリスペクトに欠ける気がするが、屛風歌に関して面白い指摘があった(^_^;)
内容が同一なら定価も安く小さくて軽いから収蔵や持ち運びに便利な文庫版をチョイスだけど(@_@;)
【昨日買った本&読んだ本(バカチン)】
小町谷照彦&倉田実(校注)『拾遺和歌集』(岩波文庫,2021)
新刊の新品1848円を先月23日に1663円前払いして取り寄せを頼み昨日入荷したのを受け取った(^_^;)
小町谷照彦(校注)『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(岩波書店,1990)「・・・に基づき、本文
や注、人名索引などを倉田実が改編して文庫化した。」と本書の「凡例」にあるが、改変かと(^_^;)
なお、「新体系版の他出文献一覧・所収歌合歌一覧・所収屛風歌等一覧・地名索引は、容量の関係で
割愛し、人名索引のみ、倉田が改訂・整理のうえ収載した。」とも本書の「凡例」にはある(´・_・`)
「改編」というよりも改変であることを示すために、『拾遺和歌集』入集歌の中でも秀歌中の秀歌で
後代への影響も大きい壬生忠岑による巻頭歌を例に、新体系版と本書から順に引く(^_^;)
平定文が家歌合に詠み侍ける
春立つといふ許[ばかり]にや三[み]吉野の山もかすみて今朝は見ゆらん
立春になったというだけで、まだ雪に覆われているはずの吉野山も、霞んで今朝は
見えるのだろうか。抄一。延喜五年(九〇五)四月二十八日、平定文歌合歌。
〇春立つ 立春。霞は、立春を表象する景物。万葉集二十・大伴家持「月よめば
いまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか」。〇許に ただ…だけで。
〇三吉野の山 吉野山。大和。雪を景物とする。雪から霞へと、冬から春への季節の
転換を示し、立春の歌によく用いられる。古今・春上「春霞立てるやいづこみ吉野の
吉野の山に雪は降りつつ」。▽藤原公任の和歌九品に、上品上に置かれた秀歌。
立春の霞は万葉集から見られるが、拾遺集で明確な類型となる。以下四首、立春・
新年の霞の主題。すべて山にかかる霞。
平定文が家歌合に詠み侍ける
春立つといふ許[ばかり]にやみ吉野の山もかすみて今朝は見ゆらん
立春になったというだけで、雪深い吉野山も、霞んで今朝は見えるのだろうか。抄一。
延喜五年(九〇五)四月二十八日、平定文歌合歌。〇春立つ 立春。二十四節気の
一つで、年初の節気。ここから春が始まる。〇許に ただ…だけで。〇み吉野の山
吉野山。大和国。雪が景物。吉野山の景物が冬の雪から春の霞に転じる。「み」は
美称の接頭語。〇かすみて 立春の霞は万葉集から見られるが、拾遺集で立春を
表象する景物として明確な類型となる。「春の来る道のしるべはみ吉野の山にたなびく
霞なりけり」(能宣集)。〇見ゆらん 古京の奈良から吉野山を眺めるという設定。
▽藤原公任の和歌九品に、上品上に置かれた秀歌。
細かく手を入れてるけど、その必要あったのかね(@_@;) 文庫化で「容量の関係で割愛」しなければ
ならないのに、「大和」を「大和国」と一字書き足す必要あるのか(^_^;) どうも新体系版への敬意が
感じられず、小町谷照彦は亡くなったから文庫版は俺の物だとばかりにやりたい放題で自己顕示欲の
ようなものを感じてしまうのだが(^_^;) イミフなのが、「拾遺集で立春を表象する景物として明確な
類型となる。」として大中臣能宣の吉野山の霞を道案内に春が到来するという歌を引いた点(@_@;)
『拾遺和歌集』の成立は「長徳三年[997年]七月五日から寛弘四年[1007年]正月二十八日以前」と
本書の「解説」にあり、この大中臣能宣の歌は保坂都『大中臣家の歌人群』(武蔵野書院,1972)には
寛和2年(986年)6月10日の「寛和二年内裏歌合」で「霞」という歌題で詠まれたとあるので(能宣は
本書の「人名索引」に「正暦2年(991)8月没」)、『拾遺和歌集』成立前に詠まれた歌を「拾遺集で
・・・明確な類型となる」例として挙げるのは不適切かと(@_@;) もしかして『拾遺和歌集』成立前
には「霞」が「立春を表象する景物」として「明確」には詠まれていなかった一例として能宣の歌を
挙げたのかしら(@_@;) 上述の歌意には充分に詠み込まれていると小生なんかは思うけどね(@_@;)
なお、本書の「解説」に「『後撰集』の撰者、大中臣能宣の家集・・・」とあるが、工藤重矩(校注)
『和泉古典叢書3 後撰和歌集』(和泉書院,1992)の「解題」に〈『後撰集』の撰者はいわゆる梨壺の
五人─大中臣能宣・清原元輔・紀時文・坂上望城(茂樹)・源順の五人であるとされている。しかし、
「撰者」ということを厳密に言えば、この五人は「撰者」ではない。『順集』に「めしおかれたる」
とあるように、「召人(寄人)」として撰和歌所に候したのである。〉とあるけどねC= (-。- ) フゥー
「容量の関係」だろうけど、この新日本古典文学大系の文庫化では注釈が削られている場合もあり、
久保田淳&平田喜信(校注)『後拾遺和歌集』(岩波文庫,2019)なんか久保田淳&平田喜信(校注)
『新日本古典文学大系8 後拾遺和歌集』(岩波書店,1994)の脚注の「参考事項」が削られまくってて
使えない代物になったことは具体例を何度か指摘しているが、本書も同様に劣化しているね(@_@;)
例えば、恵慶法師の「浅茅原主なき宿の桜花心やすくや風に散るらん」の「浅茅原」についての注釈
を新体系版と本書から順に引く(@_@;)
浅茅は、万葉集では若く美しい女性にもよそえられる風情ある景物であったが、
平安時代中期頃になると、蓬や葎などと共に荒廃した邸宅の景物となり、
「浅茅生(原)」「蓬生」「八重葎」などの歌語として用いられるようになった。
後拾遺・秋上・道命「故里は浅茅が原と荒れ果てて夜すがら虫の音をのみぞ鳴く」。
浅茅は、平安時代中期頃には、蓬や葎などと共に荒廃した邸宅の景物として使用された。
「故里は浅茅が原と荒れ果てて夜すがら虫の音をのみぞ鳴く」(後拾遺・秋上・道命)。
「万葉集では若く美しい女性にもよそえられる風情ある景物であった」云々を削った倉田実の判断は
チト疑問で、「山高み夕日かくれぬ浅茅原後見むために標結はましを」(人麿)の「浅茅原」の本書
の注釈の「平安時代では、蓬や葎と共に荒廃を表す景物になる。この歌は万葉集の歌なので、美意識
の対象として、思慕する女性の表彰になっている。」の後段が理解しにくくなった気がする(@_@;)
倉田実が新たな校注者として加わったから、アップデートもされて新体系版のミスが訂正されている
ことを期待したけど、右大将道綱母の「嘆つゝ独寝る夜のあくる間はいかに久しき物とかは知る」の
詞書の「門を遅く開けければ」を、新体系版では「門を遅く開けたところ」と間違えて解していたが
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-04-27 )、本書もまた「門をすぐに開け
なかったので」と解していた(ノ_-;)トホホ… 「遅く~」は〈ある事態が実現するはずの時刻になっても
実現しない〉意だから、「門を遅く開けければ」は「門を開けなかったところ」と解すべきであり、
倉田実も読んどけ!山口佳紀『伊勢物語を読み解く 表現分析に基づく新解釈の試み』(三省堂,2018
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-04-28 )をヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
小町谷照彦による和歌の訳は、すっきりしていて頭にもすっと入る感じなので、小町谷照彦(訳注)
『古今和歌集』(ちくま学芸文庫,2010)とともに新体系版も重宝してたけど、中にはハズレもあり、
例えば、紀貫之「梅が枝に降りかゝりてぞ白雪の花のたよりに折らるべらなる」の訳を、新体系版と
本書から順に引く(^_^;)
梅の枝に降りかかっているので、この白雪は、花を折るついでに、一緒に
折り取られてしまいそうだ。
梅の枝に降りかかっているので、この白雪は、花の縁[ゆかり]と見られて、
枝は折り取られてしまいそうだ。
『拾遺抄』のは「白雪も」で、竹鼻績『拾遺抄注釈』(笠間書院,2014)の訳がすっきりv( ̄∇ ̄)ニヤッ
白雪も梅が枝に降り掛かっていることで、梅の花らしく見えて、
枝が折られるのであろう。
高い金を払ったんだし、良くなった点も挙げておくと、本書巻末の「人名索引」(「作者名索引」と
「詞書等人名索引」を統合)だと、橘忠幹の項を新体系版と本書から順に引く(⌒~⌒)
忠幹[ただもと] 橘.生没年未詳.父は古今集作者の長門守長盛.従五位下駿河守.
拾遺集・続古今集に各1首入集. 470[←歌番号]
忠幹[ただもと] 橘.生年未詳.天暦9年(955)没.長門守長盛男.駿河介の時,
賊に殺害された.勅撰入集は拾遺集・続古今集に各1首.
470/470[←後者は詞書に出てくる場合で、斜字で表記]
竹鼻績・前掲書によると、どうやら「従五位下駿河守」の典拠は『尊卑分脈』のようだけどね(^_^;)
本書の「解説」も、小町谷照彦の新体系版に増補とかではなく、小町谷執筆のは無くなって倉田実が
全て執筆してて、その点もリスペクトに欠ける気がするが、屛風歌に関して面白い指摘があった(^_^;)
タグ:和歌
文庫版=コストダウンだったり(笑)。
本の容量を減らすには文字の削減かもしくは文字をさらに小さく
するとか・・・
by tai-yama (2022-01-07 00:10)
文庫版だとサイズが縮小されてオリジナルよりも多少は読み易くなるのかもしれませんが、だからといって内容を削っていいことにはならないですよね。
by ナベちはる (2022-01-07 01:42)
単行本より文庫本の方が在庫管理の点ではコストダウンですかね(@_@;)
tai-yama様、文字を更に小さくするのは高齢化社会に優しくない(^_^;)
by middrinn (2022-01-07 06:20)
内容が単行本と異なるのなら、文庫本ではなく、
ナベちはる様、文庫版になりますよね(^_^;)
by middrinn (2022-01-07 06:32)
繊細感覚の国民の棲む国として指よりの我が国日本では。
日本国著作権法に関して実務者は、権利者の頭数範囲に
神経を使うのが実務上しんどいくらいに心得の条ですから。
この文庫本編集者、危ない橋ですね。「一部の遺族著作権
者の原始的権利をないがしろにしたら、知的財産権の係争
の源」は法務部定跡格言。この某出版会社の法務担当者
知らないんですかね。私も別の分野で出版社マークしよっと。
by df233285 (2022-01-07 08:05)
明らかな間違いを正すなどの「補訂」なら解かりますけど、
文庫化に伴い分量を圧縮するため文章を刈り込むとしても、
改変する必要があるとは思えない件が多いような(^_^;)
たしかに、小町谷照彦の著作権継承者はどう思ってるのか、
気になりますね(^_^;) あの世でどう思ってるかも(^_^;)
by middrinn (2022-01-07 08:39)