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211111読んだ本

読書の厄介なところは、参考書が無く教科書だけで自習する如き場合である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
自分の趣味から外れたジャンルの本は、読む際に参考・参照すべき文献が蔵書に無いからね(@_@;)
というわけで、今日は思い付いたことをダラダラと書き散らしただけで〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

水谷千秋『女たちの壬申の乱』(文春新書,2021)

読了(^o^)丿 キャットファイト、女同士の戦いを期待しそうな書名だが、ソレは一部(一昨日の返信
コメ)で、「女性に焦点を当てた壬申の乱」「古代最大の内乱といわれるこの戦争における女たちの
歴史である」と本書5頁(^_^;) ただ、読んでいて違和感があって、そもそも本書はテーマがそれぞれ
異なる既発表の論文を集めて纏めたものであると「おわりに」に(^_^;) それでも、直木孝次郎の説を
重んじてるし、水谷千秋の推論もおおむね(←あくまで「おおむね」)順当に思われたので、大昔に
読了も内容を憶えてない『謎の大王 継体天皇』(文春新書,2001)や『女帝と譲位の古代史』(文春
新書,2003)、読んだ気もする『謎の豪族 蘇我氏』(文春新書,2006)、その他の水谷千秋の著作も
(再び)読んでみようかなぁと思ったりもした(^^) 本書は『日本書紀』の記述や『万葉集』の歌を
引用する際に訳も並べてあるも、注釈書を持ってないため吟味しながらの精読は出来なかったから、
あくまで暫定的評価だけど(^_^;) 一応、犬養孝の『万葉の旅(上)大和』(現代教養文庫,1964)、
『万葉の旅(中)近畿・東海・東国』(現代教養文庫,1964)、『万葉の人びと』(新潮文庫,1981)、
『万葉のいぶき』(新潮文庫,1983)を以って本書が引く『万葉集』の歌はチェック(⌒~⌒) 本書は
『万葉集』は新編日本古典文学全集や近年の注釈書及び研究書を用いてて(ただ、「古代史に造詣の
深い作家田辺聖子氏・・・」[本書118頁]とやらの文章も何度も引いて支持してたな)、そのお蔭で
犬養孝による解釈の現在における位置を自分なりに把握することも出来たかな(^_^;) 和歌に関しては
超デタラメな記述だらけの今谷明『歴史の道を歩く』(岩波新書,1996)を読んだ際にも犬養孝の前掲
『万葉の人びと』の「第十五回 柿本人麻呂(一)──安騎野の冬──」を試しに参照したらメチャ
読ませる叙述で面白く、今回も読む度に感心したけど、本書の記述から窺い知れる現在の学説状況に
照らすと〝従来の〟説だったりするし、何よりも犬養孝の『万葉集』愛がモーレツ過ぎて、額田王の
例の歌に対する高評とか万葉バカかも(^_^;) 本書の吉野から美濃へと向かう大海人皇子たちの記述を
読んでいて、言及されている地名を本書16頁「壬申の乱戦局図」で確認しようにも全く出てなくて、
前掲『歴史の道を歩く』に掲載されてた「大海人皇子の吉野脱出行路」の方がまだマシだった(^_^;)
「奇説」の存在も知り得た(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-01 )(^^)

    はじめに

    第一章 乱の経緯

     動乱の近江遷都/天智天皇の崩御/大海人皇子の決断/徹夜の逃避行/不破到達/
     近江朝廷の狼狽/大海人と大伴氏の密約か/父と子の会話/大伴連吹負の飛鳥制圧/
     大和での苦戦/大伴吹負の敗戦と挽回/大和での戦いの意義/主力軍の進発/
     近江方の内紛/瀬田橋での最後の決戦/大友皇子の最期/大友皇子終焉の地「山前」とは
     /近江方重臣の処罰/

    第二章 三人の天皇──天智・天武・持統

     天智天皇と信長/天武天皇と秀吉/持統天皇と家康/古代と戦国、三英傑の比較/
     皇極(斉明)天皇/天智・天武兄弟の生まれた年/皇極天皇の即位/
     中大兄の許されない愛?/兄弟恋愛説は信じられるか/斉明天皇陵の謎/
     孝徳天皇と間人皇后/斉明の重祚/中大兄と仏教/鎌足の死/大友皇子の太政大臣就任/
     『懐風藻』の大友皇子伝/兄弟の確執/大海人と鎌足の関係/鎌足の憂鬱/

    第三章 天智と大海人皇子の最後の会話

     『日本書紀』の二つの記述/なぜ記述が重複するのか/「虎に翼を着けて放す」/
     『日本書紀』の記述への疑問/二人の会話は史実なのか?/実際の会話の内幕/
     
    第四章 大海人皇子をめぐる女たち

     聖地・吉野への隠遁/大海人皇子の御製/時無くそ 雪は落りける/失意の大海人皇子/
     吉野到着/大海人皇子の妃と子女たち/吉野に随行した妃と子ども/
     天武に愛された忍壁皇子/持統に疎まれた忍壁皇子/なぜ持統に嫌われたのか/
     天智の皇后・倭姫/天智の九人の后妃たちと皇子女/蘇我倉山田石川麻呂の娘、蘇我造媛
     /造媛は持統の母ではない/

    第五章 天智を悼む女たちの挽歌──倭姫皇后と額田王

     万葉歌人・額田王/あかねさす 紫草野行き/額田王と中大兄・大海人の関係/
     宴席の座興説/人妻故に 我恋ひめやも/大海人の挑発か/額田王の人物像/
     壬申の乱の国際的背景/大友皇子と五人の重臣/皇后倭姫の祈り/
     天智を悼む宮廷女性の挽歌/衣ならば 脱ぐ時もなく/人はよし 思ひやむとも/
     天智天皇の埋葬/額田王の天智陵を歌った歌/天智天皇陵はいつ造られたか/
     大津宮を逃れた女性たち/額田王の大津宮との決別/額田王の担った使命/

    第六章 大津宮の滅亡と消えた后妃たち

     大海人皇子が最初に与えた作戦/矛盾する『日本書紀』の記述/計画性論争/
     十市皇女の内通伝承/近江方の内通・寝返り/大津宮の焼亡/大津宮は焼けなかった?
     /倭姫皇后の最期は/蘇我遠智娘と姪娘の消えた足どり/十市皇女の急死/
     『日本書紀』における后妃の死亡記事/『延喜式』にみえる皇后の陵墓/
     『延喜式』にみえる天皇生母の陵墓/倭姫皇后・遠智娘・姪娘の最期は/
     夫に殉じる女性たち/大友皇子のほんとうの最期/崇福寺と近江大津宮/
     
    第七章 女たちの「戦後」──和解と祈りの歌

     新政権の誕生/「新たに天下を平らげ、初めて即位す」/遺された女性たち/
     天智系皇族の行く末/吉野盟約とは/天智系皇族との和解・宥和/持統の非情/
     春の湖畔を旅する/柿本人麻呂の近江荒都歌/『万葉集』と持統天皇/巻第二の成立/
     『万葉集』と『日本書紀』/『万葉集』と壬申の乱の記憶/なぜ史実を隠したか/
     穂積皇子の「志賀山寺」派遣/額田王最後の歌/持統の最期/

    おわりに

    参考文献

メチャ細かいことなんだけど、本書97頁には〈[大海人皇子らが]近江を出たのは、二日後の十九日
であった。左大臣蘇賀赤兄臣・右大臣中臣金連・大納言蘇賀果安臣らが「菟道」(現在の京都府宇治
市)まで送った。その中の「或」る人が「虎に翼を着けて放てり」と言ったと「天武紀」は記す。〉
とあるけど、「その中の」は余計ではないかと(@_@;) また本書230~232頁から引く(⌒~⌒)

    ・・・[『万葉集』]巻第一の五十三番歌まで[ちなみに、「巻第一には八十四の歌
    が収められている・・・」と本書228頁にあり、54~84番は「あとから増補された部分」
    (本書229頁)の由]と巻第二とは、もともと一連の計画の下に編纂が進められたもので、
    まず持統のもとで前者が成り、続いてこれを継いだ元明のもとで後者が成った。これが
    いわゆる「持統万葉」であり、「元明万葉」であった。このように伊藤博氏[『万葉集の
    構造と成立』上下(1974年)]は考えた。これには多くの万葉学者と同様、私も全面的に
    賛成する。/この編纂作業において柿本人麻呂と額田王とが重要な役割を果たしたことも
    大方の一致する見方であろう。・・・/・・・/この歌集は、先に指摘したように、
    「~天皇の代」と、その作られた時代順に配列されていた。それはある意味、「歌で
    綴った各御代の歴史」でもある。『古事記』や『日本書紀』とは異なる観点から見た、
    これもひとつの歴史の書なのである。それも持統、元明という女帝たちによって作られた
    ものであった。/そういう観点から「持統万葉」・「元明万葉」の記載態度を
    『日本書紀』と比較してみたとき、そこに大きな隔たりがあることを、かつて伊藤博氏
    が明らかにしている。/・・・

へぇ~!って感じ( ̄◇ ̄;) 「大きな隔たり」として本書232頁は「ひとつは『日本書紀』と異なり、
『万葉集』の特に巻第一と巻第二には、政治を諷刺するような歌は一つも掲載されていないことで
ある。・・・/ふたつめは、『万葉集』には、政治的に失脚した人、謀反の罪で殺された人々の歌が
収められている点である。」とする(⌒~⌒) ただ、本書231頁に「こうした編纂方針は、当然持統が
立てたものであろう。助手的立場にあった人麻呂や額田王の勧めがあったのかもしれない。」とし、
本書236頁でも〈その[史書の編纂を進める]代わりに持統天皇は、「持統万葉」の編纂を企図した。
そこでは謀反人の汚名を着た人もそうでない人とともに歌を掲載され、天智朝の歌々も収められた。
敵味方は関係ないのである。逆に、時勢を諷するような政治性のある歌は採られなかった。政争から
は超然とした歌集を編纂しようとした持統の思いが、そこに現れている。〉とするけど、直木孝次郎
『日本の歴史2 古代国家の成立』(中公文庫,1973)だって「どうも『懐風藻』の編者は政治上不遇で
あった人に好意を寄せているようである。」と評してるように持統天皇に限らないことでは(@_@;)

本書の気になる点については既に論じた(⌒~⌒) 一つ目は額田王の晩年の歌に詠まれた「霍公鳥」を
中国の「ある王が権力を宰相に譲ったけれども、のちにこのことを後悔し、もう一度王位に就きたい
と願い、その死後、魂がホトトギスに生まれ変わって鳴いたという伝え」を踏まえたものと解釈する
ことへの疑問である(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-07 )(⌒~⌒)
爛漫亭様のコメントにもある通り、それでは政治的な歌となるし、しかも、上記「伝え」に即すと、
額田王は天智天皇系の復権を願っていて、それは持統天皇への大逆とされかねないヒィィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
故頼朝の時代を懐かしんで今の世は危なっかしいと結城朝光が発言したのを謀叛心のある証拠である
と梶原景時が将軍頼家に告げ口したとされる『吾妻鏡』の記事を連想させ、大海人皇子(天武天皇)
の子(十市皇女)も産んだのに額田王の没年の記載が『日本書紀』に無いのはこの歌を冷酷無慈悲な
持統天皇に知られて殺されてしまったからではないかなどと妄想までしちゃったり((;゚Д゚)ヒィィィィィ!
冗談はさておき、二つ目は天智と大海人との三角関係説の根拠の一つとされた額田王の歌に対する評
=「みやび」への疑問(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-09 )(⌒~⌒)
『万葉集』研究者は正岡子規に倣った万葉バカで、『万葉集』以外の歌には詳しくないのかな(^_^;)
犬養孝の前掲『万葉のいぶき』は同歌をまるで日本のことば・文芸の精華のように高評も、北山茂夫
『万葉群像』(岩波新書,1980⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-11-08 )に
「『万葉集』の歌にはじめてふれ」、この「一首がなぜか深く記憶にのこっております。うわべだけ
のことですが、その意味がすっきりわかったからでしょう。中学三年のころのことです。」とあり、
然もありなん(^_^;) 八代集の歌に較べると児戯の類で、だから勅撰歌人にもなれ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
タグ:歴史 和歌
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爛漫亭

 数ヶ月かかって、丸谷才一『新々百人一首』を
読みましたが、丸谷流の含蓄に富んだ本で飽きる
ことがありませんでした。機会があれば御一読下さい。

by 爛漫亭 (2021-11-11 22:56) 

tai-yama

「政治的に失脚した人、謀反の罪で殺された人々の歌」の中に
額田王も・・・・。撰者のつもりが何時の間にか万葉集の血と肉に(怖)。
by tai-yama (2021-11-11 23:27) 

ナベちはる

教科書だけでの自習では厳しいところもあるので、出来るなら参考書もあったほうがいいですよね。
by ナベちはる (2021-11-12 01:34) 

middrinn

数日前にブックオフで単行本を見かけましたが、
爛漫亭様、凄く分厚かったですね((;゚Д゚)ヒィィィ!
by middrinn (2021-11-12 16:47) 

middrinn

『額田王殺人事件』といったミステリーを、
tai-yama様がお書きになられたら(^o^)丿
by middrinn (2021-11-12 16:51) 

middrinn

参考書とかが無くても教科書だけで足りる、というのは、
ナベちはる様、教師が教えてこそなんでしょうね(^_^;)
by middrinn (2021-11-12 16:56) 

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