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211107読んだ本

読書の厄介なところは、気になる件があって読了に時間がかかることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

水谷千秋『女たちの壬申の乱』(文春新書,2021)

本書を読んでてチト気になる件があったので、本書240~242頁から引用〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/歌わなくなって久しい額田王に、まだ二十代だった若い弓削皇子が歌を
    贈った。持統天皇の吉野行幸に供奉したときに、そこでの感慨を歌にし、額田王に
    贈ったのだった。

       吉野に幸す時に、弓削皇子、額田王に贈り与ふる歌一首

      古[いにしへ]に 恋ふる鳥かも ゆづる葉の 御井の上より 鳴き渡り行く

       (昔が 恋しくて鳴いている鳥でしょうか ゆずり葉の 御井の上を
        鳴きながら飛んでいますよ)

    ・・・/
    額田王は返歌を送った。

       額田王の和[こた]へ奉る歌一首〔倭京より進る〕

      古に 恋ふらむ鳥は ほととぎす けだしや鳴きし わが念[おも]へるごと

       (昔を 恋しく思う鳥は ほととぎすですね きっと私と同じ気持で
        鳴いたのでしょう)

    皇子がご覧になった「古に恋ふる鳥」とは、ほととぎすでしょうと王は言う。
    この鳥には中国古典では特別な意味がもたれていた。四世紀後半に成立した
    『華陽国志』という漢籍に、ある王が権力を宰相に譲ったけれども、のちに
    このことを後悔し、もう一度王位に就きたいと願い、その死後、魂がホトトギス
    に生まれ変わって鳴いたという伝えがある。のちにこの物語は『後漢書』や
    『太平御覧』にも引用され、よく知られた話だったらしい。/若い弓削皇子に
    この知識があったかどうかはわからない。それでも額田王は皇子を癒し慰める
    思いでこのように返した。そして「けだしや鳴きし わが念へるごと」と、
    自分もまた「古」を「恋ふ」ていることを明かした。今の世とは隔たりを
    感じていたのである。彼女が「恋ふる」「古へ[ママ]」とはいつ頃のこと
    なのか。素朴な弓削皇子はきっと父天武の御世と受け取ったかもしれぬ。
    多くの注釈も同様だ。しかし王の真意は判然とはしない。直木孝次郎氏は
    それを天智朝という。彼女が一番輝いていた時代だからである。/・・・

先ず書き方が良くない(^_^;) 『太平御覧』は中国の宋の時代に成立した類書(≒百科事典)で977年
編纂開始ゆえ、持統天皇の時代(690年~697年)に弓削皇子(699年没)は見られるはずがない(^_^;)
『後漢書』は既に日本に入っていたようだが(内藤湖南『日本文化史研究(上)』[講談社学術文庫,
1976]所収の「飛鳥朝のシナ文化輸入について」)、wikiの「華陽国志」の項に「・・・『後漢書』
の章懐注・・・で頻繁に引かれている。」とあり、wikiの「李賢(唐)」(章懐太子)の項に「幼い
頃より学問に通じ、儀鳳元年(676年)には学者たちとともに『後漢書』の注釈を完成させた。」と
あるので、この歌が詠まれた時点で日本に入っていたかどうかはビミョーではないかと愚考(@_@;)
水谷千秋は「『華陽国志』・・・に、ある王が・・・、その死後、魂がホトトギスに生まれ変わって
鳴いたという伝えがある」と紹介してるけど、植木久行『唐詩歳時記』(講談社学術文庫,1995)でも
『華陽国志』は次のように言及されてて、その内容を本書と異にする点も気になる(@_@;)

    ・・・/杜鵑・子規には、古くから杜宇化鳥[とうかちょう]説話が伝えられている。
    たとえば、左思の「蜀都賦」の旧注に引く『蜀記』には、/・・・/とある。蜀の望帝
    杜宇は死後、子規に化したという。この化鳥説話に従えば、杜鵑は望帝のなれの果て
    であり、その姿は落魄したみすぼらしいものと意識されざるをえない。これは、「古来、
    倭俗専ら杜鵑を愛す、愛悪、中華と異なる」(『雍州府志』巻八)といわれるように、
    日本的な可憐な美しさではなく、凋落した哀れな鳥としてのイメージである。/これに
    対して、杜鵑は望帝杜宇の魂が化したのではなく、望帝が西山に隠棲しようとした時、
    たまたま啼いていた鳥にすぎないとする説もある。この説は、東晋の常璩撰『華陽国志』
    巻三(蜀志)などに記されるが、・・・

小生が何より気になったのは、この歌の「ほととぎす」が「中国古典」の「特別な意味」を踏まえた
ものとする本書の解釈(@_@;) とはいえ、『万葉集』は注釈書すら持ってないので単なる素人の疑問
だけど(^_^;) 植木久行『唐詩歳時記』(講談社学術文庫,1995)からの上記引用でも解るように中国
におけるほととぎすのイメージは良くない由(^_^;) ナント「血を吐きながら鳴きつづける」「啼血の
イメージ」のある「不吉な鳴き声」とされてて、日本の和歌での「〝初音〟〝初声〟に対する熾烈な
憧憬は、中国の影響下に生まれたのではなく、万葉人によって育てられた繊細な心情と評すべきで
あろう。」と同書は指摘(^_^;) 別名「しでのたをさ」を死出とし冥界から来た鳥という暗いイメージ
(西村亨『王朝びとの四季』[講談社学術文庫,1979]、片桐洋一『歌枕 歌ことば辞典 増訂版』
[笠間書院,1999])は例外(^_^;) 「中国の詩の中に杜鵑や子規が詠まれるようになったのは意外に
遅く、・・・初唐以前の人々にあっては、杜鵑・子規は関心の対象ではなく、また詩的感興をそそる
鳥でもなかったわけである。この意外な実態は、わが国の上古の漢詩人たちに、予想外の大きな影響
をあたえている。王朝詩の集大成を志向した市河寛斎編『日本詩紀』の中に、杜鵑・子規の字が、
わずか二例しか見えないからである。これは日本最古の歌集『万葉集』の中に、すでに百五十首近く、
ほととぎすが詠まれているのと、著しく対照である。」と植木久行は指摘しているし、漢詩人ですら
詩に詠まないのに、万葉人の額田王が「中国の古典」の「特別な意味」を用いてほととぎすを和歌に
詠んだとは思えない(@_@;) 「中国の古典」の『万葉集』への影響を全否定するつもりは勿論なく、
単なる素人の疑問ね(^_^;) 最後になるが、『万葉集』の注釈書が無いから、情ないことに苑子タンの
『私の万葉集』(集英社文庫,1997)なんかで確認してみたところ、この額田王の歌の「ほととぎす」
は「霍公鳥[ほととぎす]」と表記されてたけど、『唐詩歳時記』は次の説も紹介していた(@_@;)

    ・・・青木正児「子規と郭公」によれば、『万葉集』中の霍公鳥・保登等芸須
    [ほととぎす]は、今日いうホトトギスのことではなく、じつはカッコウのこと
    ではないかとする・・・

[追記211108]

手元の北山茂夫『万葉群像』(岩波新書,1980)にもこの歌は出てて「霍公鳥」と表記されてた(^_^;)

[追記211112]

「思ひ出づるときはの山の時鳥韓紅のふり出でてぞ鳴く」(古今集)は吐血して鳴くと解する説も(^^)
タグ:古典 中国 和歌
コメント(10) 
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コメント 10

tai-yama

『華陽国志』の記載がトホホギスとか言ってみたり(笑)。
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」なので額田王は殺されない
で済んだのかも(笑)。
by tai-yama (2021-11-07 22:56) 

ナベちはる

気になる部分は、スッキリまで調べたくなりますね。
それでスッキリしたと思ったら時間が経っていた…恐ろしいです(^^;
by ナベちはる (2021-11-08 01:20) 

middrinn

( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 特製トホホギス座布団1枚 ♪
tai-yama様、たしかに、この話は、トホホ・・・(^_^;)
by middrinn (2021-11-08 06:36) 

middrinn

気になる件が、次から次へと出てくると、
ナベちはる様、調査地獄に((;゚Д゚)ヒィィィ!
by middrinn (2021-11-08 06:37) 

df233285

話の内容が、秦王朝にとらえられて、古蜀の王がホトトギスに
なる怪奇話なので本文緒記事とかなり違いますが。たぶん漢王朝
期から、この手の伝説話が日本へ自然伝来する疑いがあるようです。
将棋駒の大大将棋の老鼠の成り駒名の古(蜀)時鳥(こじちょう。
蜀は省略し、古い書体で書く事により、時と鳥を合体させ1文字
にしてしまう。)として、民間レベルでも古くから知られて
いますよ。「何が書いてあるのか分からない謎の駒名」として、
現在では著名ですが。
by df233285 (2021-11-08 08:03) 

middrinn

それは興味深いですね( ̄◇ ̄;) 植木久行『唐詩歳時記』に「杜鵑は、
子規・杜宇・蜀魄とも記され、長江(揚子江)の中流から上流地域に
多く生息する鳥であり、いわゆるホトトギスのこととされる。」云々
と記されてるのを見ても巴蜀と関係性が深いことが判ります(^_^;)
by middrinn (2021-11-08 08:34) 

爛漫亭

 鳥がホトトギスだと言えば、先帝の魂が譲位しな
ければよかったと、昔を恋しがっていて、わたしも
同じ気持ちということになり、至って政治的な歌で
すね。
by 爛漫亭 (2021-11-08 10:45) 

middrinn

そーなんですよ(^o^)丿 この件を読んだ時、そーゆー政治的な解釈を
していると思って驚いたのですが、上記引用の結論部分では、はっきり
そうとは書いてないのでモヤモヤしてます(^_^;) この件のある節は
「彼女自身吐露しているように天武・持統朝は王にとって決していい
時代ではなかった。しかし不満をことさら吐くこともせず、ほとんど
沈黙のまま彼女は晩年の日を過ごした。・・・倭姫皇后から託された
天智の挽歌群を持統に奉呈し、この眼で見た天智の最期や殯の様子を
伝えたことで、その責務は果たした思いだったのかもしれない。あと
は思い残すこともなかったのではないだろうか。」(本書243頁)と
〆られてますし(^_^;) でも、この歌で大逆とはされなかったですし、
またネット上を検索すると、この歌を「中国古典」の「特別な意味」に
結びつけて解釈する説を批判している専門家と思しき方のブログがあり、
この贈答歌の解釈でもなかなか面白い説を呈示しておられました(^^)
by middrinn (2021-11-08 11:22) 

yokomi

ブログの厄介なところは、気になる件があって読了に時間がかかることであ~る(>_<) まっ、漫画もだし...(^_^;)
by yokomi (2021-11-09 00:19) 

middrinn

気になる件が出てくるのは、知性の働きですよ(^o^)丿
by middrinn (2021-11-09 08:19) 

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