211109読んだ本
読書の厄介なところは、「けんかをやめて」を歌って内乱を防がぬ女である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
「私のために争わないで」とは女性が一度は言ってみたい台詞だったりしてオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
【読んだ本】
水谷千秋『女たちの壬申の乱』(文春新書,2021)
壬申の乱は額田王をめぐる天智天皇と大海人皇子の争いが原因という説(「最初にそう述べたのは、
江戸時代の代表的な国学者伴信友『長等の山嵐』で、以来長く通説とされてきた。」と本書131頁)が
あり、大海人皇子の妻となり十市皇女を産んだと『日本書紀』にある額田王が、後に天智天皇の后妃
になったと考えられたのは『万葉集』の歌が根拠として、当該歌の一つが本書131~132頁に(@_@;)
・・・/ひとつは、巻第四の四百八十八番の歌。
額田王、近江天皇を思ひて作る歌一首
君待つと 我が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし 秋の風吹く
(額田王が、天智天皇をお慕いして作った歌一首
君のお出ましを待って 私が恋い慕っておりますと 我が家の戸のすだれを
動かして 秋の風が吹いております)
しかし、「近年は、この[三角関係]説を支持する研究者はほとんどいなくなったが、それはこれら
の歌の解釈について、学界の趨勢が大きく変化したからでもある。」(本書131頁)として、本書135
~136頁には次のように記されている(@_@;)
・・・/まず一首目の「君待つと 我が恋ひ居れば……」の歌は、近年では本当に
額田王の詠んだ歌かどうか、怪しむ声が多い。後の人が彼女に仮託して創作した歌
ではないかというのである。これは、「王朝閨怨の情緒にも似たみやびな歌風は
万葉集、それもその初期の物とはとうてい思えない」(伊藤博)という歌の趣き
からの根拠である。また、額田王の歌は多く巻第一と第二──いわゆる「持統万葉」
・「元明万葉」──に収載されているのに、この歌が収められているのは巻第四で、
この巻は時期的に少し降る天平十五、十六年(七四三、七四四年)ころにまとめ
られたと言われているのも、仮託説の根拠である。/・・・
『万葉集』のこと全く知らないし注釈書も無いから、真作かどうかの当否の判断が出来ぬ(ノ_-;)トホホ…
手元の犬養孝『万葉のいぶき』(新潮文庫,1983)は、この歌を取り上げて、江戸時代の解釈を二つも
紹介して解説してるけど、額田王の真作であることを一寸たりとも疑ってないような口振り(@_@;)
しかし、この歌が「王朝閨怨の情緒にも似たみやびな歌風」かよ!∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですとぉ!?
そこで、よみ人しらずの歌を藤本一恵『後拾遺和歌集全釈 上巻』(風間書房,1993)の訳で(@_@;)
土御門右大臣の家に哥合し侍りけるに秋風を読める
をぎの葉に 吹きすぎてゆく あき風の またたが里を おどろかすらん
土御門右大臣の家で哥合しました時に、秋風を詠んだ歌
荻の葉に吹きすぎてゆく(ものさみしい)秋風は、(私の心をはっと感じさせるが)
また、誰の里に吹いて人をおどろかすのであろうかなあ。
〈歌語「……におどろく」は、漢詩に多くみられる表現であるが、この歌は、これを他動詞に用いて
いる。「おどろく」の初出は、『古今集』秋上の巻頭歌で、藤原敏行の、/秋来ぬと 目にはさやかに
見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる/である。これは初秋のさわやかな風の音に、秋の到来を
はっと感じた歌である。受身の「おどろかれ」を「おどろかす」にかえたところに工夫がみられる。
・・・〉という同書の指摘もチト興味深いけど、この訳では読みが少々浅いように思われる(@_@;)
犬養廉&平野由紀子&いさら会『笠間注釈叢刊18 後拾遺和歌集新釈 上巻』(笠間書院,1996)だと、
次のような訳にキタ━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━!!!! キタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!!!
土御門右大臣の家に歌合しはべりけるにあきかぜをよめる
をぎのはに ふきすぎてゆく あきかぜの またたがさとを おどろかすらん
土御門右大臣の家に歌合をしました時に秋風を詠んだ歌
萩の葉に秋風が吹きすぎてゆき(わたしがそうだったように)
まただれかの家の萩の葉をそよがせ(待つ人のおとづれかと)
はっとさせるのだろうか。
お解りかな( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚ 「をぎのはに」について、「萩の葉をそよがせる風の音は、恋人が訪れて
きた物音かと人に期待させる。」と注釈C= (-。- ) フゥー 『後拾遺和歌集』の秋の巻に入ってるけど、
前後の歌の内容からも、こーゆー恋人の訪れを暗示する解釈が良いかとヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
延喜御時御屛風に
萩の葉の そよぐ音こそ 秋風の 人に知らるゝ 始なりけれ
萩の葉が風になびき、そよそよと音を立てる音こそ、
秋風が人に気付かれる最初のことであった。
小町谷照彦(校注)『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(岩波書店,1990)の訳だが、この紀貫之の
歌ではモチ「秋風を萩の葉音で感じとる」ことが詠まれてるだけ(⌒~⌒) でも、小町谷照彦は脚注で
次のように指摘v( ̄∇ ̄)ニヤッ
萩は、葦や薄に似た水辺の植物。秋風にそよぐ景物として万葉集から詠まれ、
平安時代中期になると、葉音が人の訪れと解され、待つ恋の景物ともなった。
・・・
『後撰和歌集』には「いとどしく物思ふ宿の萩の葉に秋と告げつる風のわびしさ」(よみ人知らず)
なる歌があり、「人から厭きられた」ことを告げるようなケースもあったりするけど(^_^;) とまれ、
秋風にそよぐ「萩の葉」の音で恋人の訪れを表現することこそ「みやび」であり、「我が屋戸の簾」
だなんて直截あからさま過ぎて「みやび」とは思えないのは小生だけか〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
「私のために争わないで」とは女性が一度は言ってみたい台詞だったりしてオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
【読んだ本】
水谷千秋『女たちの壬申の乱』(文春新書,2021)
壬申の乱は額田王をめぐる天智天皇と大海人皇子の争いが原因という説(「最初にそう述べたのは、
江戸時代の代表的な国学者伴信友『長等の山嵐』で、以来長く通説とされてきた。」と本書131頁)が
あり、大海人皇子の妻となり十市皇女を産んだと『日本書紀』にある額田王が、後に天智天皇の后妃
になったと考えられたのは『万葉集』の歌が根拠として、当該歌の一つが本書131~132頁に(@_@;)
・・・/ひとつは、巻第四の四百八十八番の歌。
額田王、近江天皇を思ひて作る歌一首
君待つと 我が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし 秋の風吹く
(額田王が、天智天皇をお慕いして作った歌一首
君のお出ましを待って 私が恋い慕っておりますと 我が家の戸のすだれを
動かして 秋の風が吹いております)
しかし、「近年は、この[三角関係]説を支持する研究者はほとんどいなくなったが、それはこれら
の歌の解釈について、学界の趨勢が大きく変化したからでもある。」(本書131頁)として、本書135
~136頁には次のように記されている(@_@;)
・・・/まず一首目の「君待つと 我が恋ひ居れば……」の歌は、近年では本当に
額田王の詠んだ歌かどうか、怪しむ声が多い。後の人が彼女に仮託して創作した歌
ではないかというのである。これは、「王朝閨怨の情緒にも似たみやびな歌風は
万葉集、それもその初期の物とはとうてい思えない」(伊藤博)という歌の趣き
からの根拠である。また、額田王の歌は多く巻第一と第二──いわゆる「持統万葉」
・「元明万葉」──に収載されているのに、この歌が収められているのは巻第四で、
この巻は時期的に少し降る天平十五、十六年(七四三、七四四年)ころにまとめ
られたと言われているのも、仮託説の根拠である。/・・・
『万葉集』のこと全く知らないし注釈書も無いから、真作かどうかの当否の判断が出来ぬ(ノ_-;)トホホ…
手元の犬養孝『万葉のいぶき』(新潮文庫,1983)は、この歌を取り上げて、江戸時代の解釈を二つも
紹介して解説してるけど、額田王の真作であることを一寸たりとも疑ってないような口振り(@_@;)
しかし、この歌が「王朝閨怨の情緒にも似たみやびな歌風」かよ!∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですとぉ!?
そこで、よみ人しらずの歌を藤本一恵『後拾遺和歌集全釈 上巻』(風間書房,1993)の訳で(@_@;)
土御門右大臣の家に哥合し侍りけるに秋風を読める
をぎの葉に 吹きすぎてゆく あき風の またたが里を おどろかすらん
土御門右大臣の家で哥合しました時に、秋風を詠んだ歌
荻の葉に吹きすぎてゆく(ものさみしい)秋風は、(私の心をはっと感じさせるが)
また、誰の里に吹いて人をおどろかすのであろうかなあ。
〈歌語「……におどろく」は、漢詩に多くみられる表現であるが、この歌は、これを他動詞に用いて
いる。「おどろく」の初出は、『古今集』秋上の巻頭歌で、藤原敏行の、/秋来ぬと 目にはさやかに
見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる/である。これは初秋のさわやかな風の音に、秋の到来を
はっと感じた歌である。受身の「おどろかれ」を「おどろかす」にかえたところに工夫がみられる。
・・・〉という同書の指摘もチト興味深いけど、この訳では読みが少々浅いように思われる(@_@;)
犬養廉&平野由紀子&いさら会『笠間注釈叢刊18 後拾遺和歌集新釈 上巻』(笠間書院,1996)だと、
次のような訳にキタ━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━!!!! キタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!!!
土御門右大臣の家に歌合しはべりけるにあきかぜをよめる
をぎのはに ふきすぎてゆく あきかぜの またたがさとを おどろかすらん
土御門右大臣の家に歌合をしました時に秋風を詠んだ歌
萩の葉に秋風が吹きすぎてゆき(わたしがそうだったように)
まただれかの家の萩の葉をそよがせ(待つ人のおとづれかと)
はっとさせるのだろうか。
お解りかな( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚ 「をぎのはに」について、「萩の葉をそよがせる風の音は、恋人が訪れて
きた物音かと人に期待させる。」と注釈C= (-。- ) フゥー 『後拾遺和歌集』の秋の巻に入ってるけど、
前後の歌の内容からも、こーゆー恋人の訪れを暗示する解釈が良いかとヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
延喜御時御屛風に
萩の葉の そよぐ音こそ 秋風の 人に知らるゝ 始なりけれ
萩の葉が風になびき、そよそよと音を立てる音こそ、
秋風が人に気付かれる最初のことであった。
小町谷照彦(校注)『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(岩波書店,1990)の訳だが、この紀貫之の
歌ではモチ「秋風を萩の葉音で感じとる」ことが詠まれてるだけ(⌒~⌒) でも、小町谷照彦は脚注で
次のように指摘v( ̄∇ ̄)ニヤッ
萩は、葦や薄に似た水辺の植物。秋風にそよぐ景物として万葉集から詠まれ、
平安時代中期になると、葉音が人の訪れと解され、待つ恋の景物ともなった。
・・・
『後撰和歌集』には「いとどしく物思ふ宿の萩の葉に秋と告げつる風のわびしさ」(よみ人知らず)
なる歌があり、「人から厭きられた」ことを告げるようなケースもあったりするけど(^_^;) とまれ、
秋風にそよぐ「萩の葉」の音で恋人の訪れを表現することこそ「みやび」であり、「我が屋戸の簾」
だなんて直截あからさま過ぎて「みやび」とは思えないのは小生だけか〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
「持統万葉」に額田王の歌が・・・持統天皇としては旦那の愛人
額田王はアリだったのかー! 「萩の葉に秋風が吹きすぎて」今の
時代の解釈なら"萩"を"はげ"と詠んで恋人はハゲだったーとか(笑)。
by tai-yama (2021-11-09 22:28)
「私のために争わないで」という言葉、ドラマ以外で一度聞いてみたいという気持ちが少しあります(笑)
by ナベちはる (2021-11-10 01:04)
忍壁皇子は天武に愛されたけど、持統に疎まれて不遇だったのは、
tai-yama様、本書によると忍壁の母に対する持統の嫉妬(^_^;)
by middrinn (2021-11-10 06:21)
ただ、直接この台詞を言われたくは、
ナベちはる様、ないですよね(^_^;)
by middrinn (2021-11-10 06:22)
この古代の三角関係は学生時代、なかなか萌えました。
でも額田王は古代のスーパー兵器『言霊』を操る巫女だったから
争われただけで恋愛は抜き!と言う説もどっかで読みました。
それだとやっぱ少し寂しい気がします・・・
by Cazz (2021-11-10 11:33)
>「私のために争わないで」
男としては若干殺意の方向が変わるセリフですよねーw
まさか、自分に気をそらすことでケンカを止める高等テクニック?!
by ぽ村 (2021-11-10 13:35)
そーゆー説まであったんですか( ̄◇ ̄;) ピュアなのより、
Cazz様、生生しくドロドロした方が萌えますよね(^_^;)
by middrinn (2021-11-10 18:27)
女が実は二股かけてたことが判って冷めた男2人が、
ぽムタン、手を組んで彼女を・・・((;゚Д゚)ヒィィィ!
by middrinn (2021-11-10 18:34)