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210808読んだ本

読書の厄介なところは、本の神様が導いてくれるも疑問が残ることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
積極的に調べたりする気は更更なくて、A・デュマ(新庄嘉章訳)『モンテ=クリスト伯 5』(講談社
文庫,1975)の「待て、そして希望を持て!」の精神で本の神様に全てお任せオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

【読んだ本】

藤原克己『菅原道真 詩人の運命』(ウェッジ選書,2002)所蔵本

    ・・・/[長保3年(1001年)8月]十二日、殿上で侍臣たちの私的な酒宴があり、
    酩酊するもの多く、なかでも左源亜相(相は将の誤り)はしたたかに酔いつぶれて
    いる。左源亜将は左中将源経房のことであろう。行成も日が暮れてから右中弁源道方
    と共に退出したが、「月に乗じて帰り畢[おわ]んぬ」とある『権記』の筆致には、
    不安な世相にふさわしくなく、どこか浮き浮きとした気分が漂っているような気がする。
    /二十三日から二十五日にかけて除目が行われたが、行成は参議に任ぜられた。
    「年三十、蔵人頭七年、大弁四年」と『権記』[長保3年(1001年)8月25日条]は記すが、
    満で数えても六年の蔵人頭の激務は省みて感慨深いものであったと思う。参議任官は
    藤原公任二十七、同斉信三十、源俊賢三十七、藤原実資は三十三であり、彼の家柄から
    みて、妥当なところであろう。なお行成の昇任に伴って蔵人頭になったのは左中将経房
    であり、思えば十二日の心浮いた小宴は、これらの人事の前祝だったかもしれない。/
    ・・・

黒板伸夫(日本歴史学会編集)『藤原行成』(吉川弘文館人物叢書,1994新装版)130頁の叙述だが、
この「月に乗じて」(なお、国際日本文化研究センターの「摂関期古記録データベース」の訓読文は
「月に乗りて」とし、倉本一宏[全現代語訳]『藤原行成「権記」(中)』[講談社学術文庫,2012]
122頁は「月に乗って」と訳)という表現に萌え、漢詩文に典拠がありそうゆえ知りたいと書いたら、
爛漫亭様から御教示を頂き(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-16 )、
「月に乗る」をネット検索すると、『精選版 日本国語大辞典』に「月の興にのる。月のおもしろさに
感興をもよおす。また、月の明かりを頼りとする。」と説明されていることが判ったのだウラー!(^o^)丿
その後、『吾妻鏡』にも、源実朝夫妻が花見をし和歌会の後に「月に乗じて還御」したという記述が
出てくることも知った(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-24 )(⌒~⌒)
『精選版 日本国語大辞典』の「月に乗る」の説明は、A=「月の興にのる。月のおもしろさに感興を
もよおす。」、B=「月の明かりを頼りとする。」の二つに分けられるが、藤原行成の『権記』には
上記の長保3年(1001年)8月12日条以外には「月に乗」という表現が見当たらず、同時代の同じ貴族
である藤原実資の日記『小右記』では「月に乗」という表現が、AとBのどちらの意味で用いられて
いるかを調べたりもした(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-07-08 )(^_^;)

元々「月に乗じて」という表現は漢詩文に典拠がありそうなので知りたかったわけだが、偶々読んで
いた本書に次の記述があったヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪

    ・・・/ここで、当時の道真の心境がもっともよくうかがわれるように思われる詩を、
    一篇だけ読んでおきたいと思います。題は「北堂の文選竟宴[きょうえん]に、各おの
    句を詠ずるに、『月に乗じて潺湲[せんえん]を弄ぶ』を得たり」(『菅家文草』巻六)。
    『日本紀略』寛平八年十月十九日条に「文章博士紀長谷雄、文選を講じ了[おわん]ぬ」
    とあって、この詩の詠まれた年月日を知ることができます。北堂は大学寮文章道の講堂。
    当時、宮中や大学などで講書が終了すると、宴を開いて、その講書に用いられたテキスト
    の中から選ばれた句を題に、詩を詠む習いでした。それを竟宴と言います。各自の詠む
    句題は籤を引いて決めたのですが、この時道真は、「月に乗じて潺湲を弄ぶ」という題を
    引き当てたのでした。この句は、謝霊運(三八五~四三三)の「華子崗[かしこう]に
    入る。是れ麻源[まげん]の第三谷[だいさんこく]」(『文選』巻二十六)という詩の
    中の句で、「月に乗じて」は、月下に、月明に乗じて、の意。「潺湲」は渓流のさらさら
    と流れるさま。/・・・

藤原行成は『文選』の謝霊運の詩か『菅家文草』の道真の詩を典拠に「月に乗じて」と表現かな(^^)
本書は「月下に、月明に乗じて、の意」とするから、B=「月の明かりを頼りとする。」か(@_@;)

川口久雄(校注)『日本古典文学大系72 菅家文草 菅家後集』(岩波書店,1966)447頁の頭注3もまた

    五言古詩のうちの秀逸の句はどれか、それは謝霊運の「乗月弄潺湲」の句だ。
    「乗月弄潺湲」の句は、月の光をもっけの幸いにさそわれて、さらさらと流れる
    (神仙のすんだという)山谷の水声を楽しむの意。

と記しているので、これもまたB=「月の明かりを頼りとする。」の意味のように思われる(@_@;)

内田泉之助&網祐次『新釈漢文大系15 文選(詩篇)下』(明治書院,1964)438~439頁の「入華子岡
是麻源第三谷(華子崗に入る、是れ麻源の第三谷なり)」を確認も、語釈には「月に乗じて」は無い
ので、白文は省略して訓み下し文と通釈の全文を引くけど、一部の漢字は改めるとともに一部は語釈
から補筆した___φ( ̄^ ̄ )メモメモ 題意は〈謝霊運の山居の図によれば、「商山の四皓のひとりである
ところの甪里[ろくり]先生」の弟子なる華子期がこの山頂にいたと言い伝えられ、それで華子崗と
いう。そこの風景をみて所感をのべたのである。〉と同書438頁にはある(^^)

    南州には實に炎德あり、桂樹は寒山を凌ぐ。
    銅陵は碧澗に映じ、石磴に紅泉瀉ぐ。
    既に隱淪の客を枉げ、亦肥遯の賢を棲ましむ。
    險逕は測度する無く、天路は術阡に非ず。
    遂に羣峰の首に登れば、邈として雲烟に升るが若し。
    羽人は髣髴を絶ち、丹丘は徒に空筌となる。
    圖牒は復た摩滅し、碑版をば誰か聞き傳へん。
    百世の後を瓣ずる莫し、安んぞ千載の前を知らん。
    且つ獨往の意を申べ、月に乘じて潺湲を弄す。
    恆に俄頃の用に充つ、豈古今の為に然せんや。

    南方の地は暖かで山の桂の木は冬の寒さにも凋[しぼ]むことなく青い。
    谷をゆけば銅山は碧の谷川に映じ、石磴の坂には紅色の水がそそぐ。
    ここにはかって隱淪[=「世俗から隠れ沈む。」]の人が来たし、また肥遯[=「世を
    のがれかくれる意。肥は飛。隱淪と肥遯とは、独住の意をふくむ。」]の人も棲んだ。
    山道は険しくてその高さを測りしることができず、天にのぼる路(の如くで、それ)は
    常なみの道ではない。
    (かくて)ついに群山中の最も高い華子崗に登ると、はるか雲まにのぼった思いがする。
    今ここでは仙人華子期の姿はそれとも見えず、ただ丹丘にはその跡が残り、魚のいない
    筌[=「やな。魚を捕える竹製の器。」]と同様であるばかり。
    仙人の図牒はもはやなくなり、碑版[=「金や石に刻みこんだ文字。ここでは、図牒と
    ともに仙家の記録。]も聞き伝えるものがない。
    百代の後の事はわかるものではないし、千年前の事などもどうしてわかろうか。
    それで吾は独住の心を伸ばそうとて、月下にさらさらと流れる水の音をきいて楽しむ。
    かくて暫しの間、眼前の光景に心を楽しませることを常に思うのであって、古今にわたる
    長久の事のために来たわけではない。
    
「月下に」という訳はB=「月の明かりを頼りとする。」(@_@;) 「月」=視覚と「水の音」=聴覚
からなる「光景」を「楽しむ」と解してA=「月の興にのる。月のおもしろさに感興をもよおす。」
と愚考も、藤原克己、川口久雄、内田泉之助&網祐次という専門家が揃ってBと解している(@_@;)
元々Aに小生は魅かれて興味を持ったんだけど、このAはどこから来たのかな(@_@;) と思ったら、
滝川幸司『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』(中公新書,2019)190~191頁はAのようだ(@_@;)

    ・・・/一〇月一九日、大学寮北堂で行われていた、文章博士紀長谷雄に
    よる『文選』の講書が終わった。恒例の竟宴(講書終了を祝う宴)が行われ、
    道真も出席して詩を詠んだ(「北堂文選竟宴…」文草・巻六)。竟宴には
    講書に参加した者が出席する。つまり道真も講書に参加していたことになる。
    /竟宴では、講書したテキストから抜き出された一句を題として詩を詠む。
    道真は、「月のおもしろさに乗じて潺湲[せんかん]〔さわやかな音をたてる水〕
    を弄[たの]しむ」という句が当たり、一六句の古調詩を詠んだ。/・・・/
    ・・・道真の「乗月弄潺湲」は、同じく謝霊運「華子崗に入る。是れは麻源の
    第三谷である」(同巻二六)のなかの句である。/・・・
タグ:古典 中国
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コメント 8

爛漫亭

 やっと漢詩文に出会いましたね。気になる
ことはいつまでもトゲのように残りますね。
ただ、評釈も辞書も他人に「便乗」している
ことが多いので要注意ですね。
by 爛漫亭 (2021-08-08 23:07) 

tai-yama

ウクライナの新体操チームも月に乗じて・・・
誰もが買わない様な古本を買っているから本の神様がネタを
くれているのかも。
by tai-yama (2021-08-08 23:46) 

ナベちはる

導いてくれても全部は教えてくれないのは、「細かい部分はちゃんと自分で勉強しなさい」という本の神様の教えなのかもしれないですね。
by ナベちはる (2021-08-09 00:42) 

middrinn

たしかに、先行訳・研究に「乗じて」いるだけの可能性が(^_^;)
爛漫亭様、偏せず広く読むことが大切なのかもしれませんね(^^)
by middrinn (2021-08-09 05:54) 

middrinn

誰もが買わない様な古本・・・前に、
tai-yama様、ヤフオクで競札して、
何とかゲット出来たことが(^_^;)
『今鏡』全三冊ですけどね(^_^;)
by middrinn (2021-08-09 06:05) 

middrinn

たしかに、怠け者にならないようにとの、
ナベちはる様、本の神様のご配慮(^_^;)
by middrinn (2021-08-09 06:07) 

そら

カワセミの神様はいないのかしらん(^^;
by そら (2021-08-09 07:55) 

middrinn

カワセミさんに対する信心や愛がまだ足り
ないということかもしれませんよ(^_^;)
by middrinn (2021-08-09 08:18) 

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