SSブログ

210729読んだ本

読書の厄介なところは、世間知らずな姫君というだけで萌え萌えなことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)

【読んだ本】

永井晋『源頼政と木曽義仲 勝者になれなかった源氏』(中公新書,2015)

読了(^o^)丿 「・・・この二人[源頼政&木曽義仲]を通して、当時の複雑な政治的背景を読み解く
のが本書の試みである。」と「はしがき」にある通り(本書ⅰ頁)、鳥羽院政(保元の乱の前)から
義仲敗死までをコンパクトに纏めた通史としても面白く読めたし、何よりも勉強になった本書(^^)v
通俗的な源平合戦史にどれだけ染まってしまってたか、よぉーく判った(^_^;) 絶対に買うよ(^o^)丿

源頼朝の母は藤原季範女だが、「季範は鳥羽院の殿上人として宮廷社会で活躍した中流貴族で、晩年
になって熱田大宮司家を継承した。」(本書13頁)んだ( ̄◇ ̄;) 元々そうなのかと思ってた(^_^;)
「この季範を仲立ちとして、源義朝は鳥羽院に仕える武家の立場を鮮明にしてい」き(本書13頁)、
本書14頁に次の指摘が( ̄◇ ̄;)

    ・・・/大蔵合戦は、相模国や房総半島の諸国から武蔵国への進出をうかがう
    鳥羽院政派の武者源義平と、上野国から武蔵国へと勢力を南に伸ばす摂関家の
    武者源義賢[←藤原頼長と男色関係にあった]が、武蔵国比企郡大蔵の地で
    衝突したことになる。表向きは河内源氏の私闘であるが、実質的には鳥羽院と
    摂関家の家長藤原忠実の代理戦争という性格を持っている。/・・・

まさに「河内源氏の私闘」で、悪源太義平というキャラが引き起こした事件かと思い込んでた(^_^;)
頼政は平治の乱で恩賞を貰えなかったと思ってたら、乱後の処理で「・・・藤原信頼の主導した時期
であっても、平治の乱で罪を問われなかった人々に対する人事は有効とされた。源頼政に与えられた
知行国伊豆も、有効と認定されている。平治の乱で頼政に対する恩賞がなかったのではなく、[敗者
である]藤原信頼が政権を主導した時の除目を有効と承認することが、恩賞の代わりなのである。」
(本書39頁)とあった(^_^;) とりわけ本書132頁が指摘する常陸の状況は全く知らんかった( ̄◇ ̄;)

    ・・・この[志田義広が義仲に合流しようとしたら頼朝支持の小山一族から襲撃された]
    合戦の後、志田義広は上洛したが、義広に同調した常陸国の豪族は源頼朝に属して地元に
    残る道を選んだ。後の話になるが、この時の遺恨とその後の守護八田氏による大掾氏弾圧
    によって、常陸国の御家人と鎌倉幕府との関係は冷めたままになった。そのため、源頼朝
    が常陸国守護に任命した八田氏(小田氏)は、常陸国府に守護所を置くことがついにでき
    なかった。大掾氏や佐竹氏といった常陸国の有力御家人は、鎌倉幕府に指示されれば従った
    ものの、常陸国衙をよりどころとして守護には対抗した。その結果、常陸国は鎌倉幕府に
    敵対しないものの、積極的に協力もしない曖昧な状態の地域となる。/・・・

他にも、延暦寺対平氏の対立の構図を作ろうと画策する後白河に対してソレを見抜いた平清盛が頼政
も起用することで頼政が武家源氏の代表に仕立て上げられたことや、嗷訴が目的だったのに誰も予想
してなかった合戦へと発展してしまった以仁王挙兵までの経過その他、面白いし勉強になる(⌒~⌒)

「終章 残された人々」の「木曽姫君」という見出しの話(本書189~190頁)は好きだなぁ(〃'∇'〃)

    /木曽義仲の滅亡から一年がたった元暦二年(一一八五)三月、木曽義仲の妹で
    宮菊とよばれる女が上洛した。・・・/宮菊は、木曽義仲の上洛に関係せず、所領
    に在国していたのであろう。夫となった人物は明らかでないが、上野国か信濃国の
    有力豪族で、その縁者に守られて田舎で静かに暮らしていたと思われる。義仲滅亡後に
    北条政子が猶子に迎えたとされるから、鎌倉幕府は義仲とその縁者の供養を託する
    人物として宮菊を考えていたのであろう。宮菊には、生きていくのに困らない財産を
    本宅安堵として保障していたと考えられる。/宮菊が上洛した目的を『吾妻鏡』は
    記さないが、素直に解釈すれば、兄の供養と考えてよいだろう。都に入った宮菊は、
    そこで思わぬ事態に遭遇する。宮菊のもとに所領回復を願う人々が集まり、敗訴した
    訴訟の文書を提出したり、現実には不知行となっている所領を寄進したのだ。宮菊は
    何が起こっているのかわからないまま、この申し出を受け入れてしまった。/この
    報せを聞いた源頼朝もまた、驚いた。宮菊を「物狂いの女房」と呼んで鎌倉に呼び戻し、
    美濃国遠山庄の中に一村を与え、そこで静かに暮らすよう指示した。宮菊に関する
    記事は、これのみである。頼朝は、宮菊に悪意のないことを認めている。彼女は頼朝も
    あきれるほどの世間知らずであったがゆえに、大きな騒動を起こしたにもかかわらず、
    謀反の嫌疑をかけられることもなく、不問に付した。宮菊のその後は、わからない。/
    
ちょっとした短篇小説、説話みたいな話(〃'∇'〃) てゆーか、誰か歴史小説にしてないのかな(^_^;)

本書を読んでてチト気になった点もモチあり、本書155頁の次の記述とか〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/八月六日には、安徳天皇の後継問題に関する議論が始まっていた。安徳天皇
    の都落ちは、天皇と三種の神器が共に都から消える異常事態である。践祚の儀では、
    三種の神器を譲り渡す剣璽渡御が行われる。剣璽渡御を行わずに践祚したのは、
    継体天皇(五〇七年即位)まで先例がないという。調査を命じられた朝廷の事務官も
    よく調べたものたが、六百八十年前の先例を持ち出してきて、この間は正当な手続きで
    譲位が行われていたとするのであるから、朝廷が想像を絶する異常事態に陥っていた
    のは明らかである。・・・

花山天皇が出家・退位させられた事件について、橘健二&加藤静子(校注・訳)『新編日本古典文学
全集34 大鏡』(小学館,1996)45頁の頭注欄は「神璽宝剣が渡ったことは、譲位の手続きがほぼ終了
したことを意味する。本来なら剣璽渡御という晴れの盛儀として記録が残るが、『践祚部類抄』にも
花山帝譲位の欄は空白。」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-02-11 )と
指摘されてたけど、花山天皇の場合も「正当な手続きで譲位が行われていたと」されたのか(@_@;)

本書が利用した資料に関しては「はしがき」で記されてる(本書ⅶ頁)〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/本書では、『平家物語』諸本のなかでも、内容が詳細な読み本系の諸本から
    多くの説話を採用している。読み本系のなかでも、鎌倉時代に書写したことを伝える
    奥書を持つ延慶本と、木曽義仲とともに戦った北陸道諸国の武家の説話を多く収録する
    長門本の二本を中心に据えている。/また、京都で情報を集めている公家や寺院の資料
    も典拠として重視している。・・・日記には、現在進行形の情報が逐次書き込まれている
    ため、魅力ある情報源になるのだ。/一方、鎌倉時代に編纂された歴史書『吾妻鏡』は、
    それほど重視していない。頼政と義仲に関係する情報が少なく、義仲についての記述も
    滅ぼした側の頼朝周辺から集めたものが中心となっているからだ。そのような事情から、
    本書は『平家物語』の延慶本・長門本および公家の日記を資料の中核に据えて叙述を
    行っていく。/

『平家物語』に関連するけど、本書5~6頁の次の記述なども、へぇ~!と思いながら読んだ( ̄◇ ̄;)

    ・・・頼政の弟奉政[ともまさ]は、美濃国池田郡(岐阜県不破郡関ヶ原町周辺)
    郡司の紀氏に養子として入った。頼政の家は、系譜からたどれば摂津源氏に属するが、
    美濃国に勢力を持つことから宮廷社会では美濃源氏と認識されることもあった。
    一般的にもよく知られる語り物系の覚一本『平家物語』は、頼政と大江御厨(大阪府
    大阪市)の領主渡辺党との主従関係を強調する。同じ『平家物語』でも、書物として
    扱う読み本系と琵琶法師などが朗読する語り物系では、受容する階層の違いによって
    物語の構成や叙述の強弱に違いがあることは承知しておく必要がある。本書では、
    仲正・頼政父子の時代に美濃国への勢力拡大が進み、美濃源氏とも認識されるように
    なっていた点だけ押さえておこう。/・・・

頼政と言えば摂津源氏だけど、美濃源氏とも認識されていたというのは驚きだけど、気になるのは、
この『平家物語』の語り物系と読み本系の違いの話で、もうちょっと掘り下げて欲しいなぁ(@_@;)
頼政と渡辺党との主従関係が有名なのは語り物系の覚一本『平家物語』が普及してるからとしても、
どうして語り物系が頼政と渡辺党(摂津も?)との結びつきを「強調」したのかを知りたい(@_@;)

『平家物語』の読み本系と語り物系の違いは、本書178~179頁にも次のように指摘___φ( ̄^ ̄ )メモメモ

    ・・・興味深いのは、読み本系の『平家物語』は[義仲が]松殿姫君との別れに逡巡
    する場面が詳しく、語り物系の『平家物語』は[妻の]巴との別れが詳しいことである。
    愛する女性から離れることのできない生身の義仲と、最期の場面で妻を落した義仲の
    人物造型の違いがある。文字で読む読者と耳で聞く聴衆の違いが、義仲と生死を共にした
    人々のことを語り継ごうとする読み本系と、義仲の滅びの美学を貫こうとする語り物系の
    発展の方向の違いとなって表れている。/・・・

本書が『平家物語』を「「資料の中核に据えて叙述を行ってい」ることに関連して、〈頼政の家が、
内裏を警固する大内守護を代々の職としたことは間違いないが、宿直[とのい]を務める日々に満足
していなかったことは、「従三位頼政卿集」に収められた次の歌から読み取れる。〉(本書95頁)
として頼政の「人しれぬ大内山のやま守は木かくれてのみ月をみるかな」の歌(と返歌[本書が引用
している詞書の「丹後の内侍」は「丹波内侍」の誤記・誤植では?])を引いた上で、本書94頁は、

    ・・・/源頼政が、辞世の句[ママ]「埋木[うもれぎ]の 花さく事も 無[なか]
    りしに みのなるはてぞ 哀[かなし]かりける」で自らの生涯を埋木と表現したことは、
    『平家物語』によって知られる。大内守護の仕事は、御所の宿直が中心である。朝廷の
    官人として表舞台に出る機会の少なかった頼政の心を、二重の意味で詠み込んでいる
    ことが推測できよう。天皇を直衛する立場から、保元・平治の乱では御所に留まって
    後詰めに回り、最後の合戦となる宇治合戦でも以仁王を逃がすために追討使を足止めする
    戦闘に徹しなければならなかった。/頼政は、平氏の人々に次ぐ武家の待遇を受けながらも、
    合戦では第二陣や後衛などに回され、華やかな合戦絵巻の舞台に立つ機会は少なかった。
    武人としての頼政の心は、満たされていなかったのであろう。安元三年(一一七七)の
    延暦寺の嗷訴[ごうそ]に対する対応のように、頼政は老獪な駆け引きのできる武人で
    ある。しかし、主導権を握った合戦を、一度もしたことがなかった。埋木は、重代の職
    である大内守護と、武人としては二番手の扱いを受けた悔しさの二重の意味をかけた
    辞世である。/・・・

と読み解いて「頼政の心」を明らかにしえたようにも見えるが、そもそも、この頼政の辞世の歌は、
上宇都ゆりほ『コレクション日本歌人選047 源平の武将歌人』(笠間書院,2012)によると、

    ・・・覚一本『平家物語』巻四「宮御最期」に引用されるが、『平家物語』作者の創作
    と思われる。/・・・

タグ:列伝 歴史 和歌
コメント(6) 
共通テーマ:

コメント 6

tai-yama

語り物系でも分派があって、読み物系でも分派があって、全部を
網羅した平家物語が出たら面白そう。書くのは大変そうだけど・・・
宮菊は今の時代ならアイドルになれたかも。アイドルうんこしない
みたいな。
by tai-yama (2021-07-29 23:06) 

ナベちはる

世間知らずな姫君…「ファストフード」や「コンビニ」にも感動してくれそうというイメージがあります(笑)
by ナベちはる (2021-07-30 01:09) 

middrinn

今の時代なら、ただちに、SNSの餌食に、
tai-yama様、なってしまいそう(^_^;)
by middrinn (2021-07-30 05:08) 

middrinn

それありそうですね(^_^;) 昔の東急ハンズとか、
ナベちはる様、100円ショップもそうかも(^_^;)
by middrinn (2021-07-30 05:10) 

yokomi

我が家にも世間知らずな姫君が居ります(^_^)v 眠りから目覚めるような、白馬にまたがった貴公子いやアニメキャラクターみたいな男子が居ないかなぁ...(^_^;)
by yokomi (2021-07-30 13:41) 

middrinn

宮菊みたいな萌えるエピソードが無いと(^_^;)
by middrinn (2021-07-30 13:45) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。