210321読んだ本
読書の厄介なところは、学術的な伝記でも贔屓目に描かれていることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
18日の朝日朝刊の担当記者の順位予想で昨季2位の千葉ロッテを4位にしてた坂名信行ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
【読んだ本】
土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』(中公文庫,1973初版→2004改版)所蔵本
さて、さて、さ~て!土田直鎮は本書において藤原行成のことを次のように評してたヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
・・・/この行成は儀式にも通じ、詩文和歌にもすぐれ、やはり当時第一級の教養人で
あったが、なんといってもかれの本領は書道の達人という点にあり、・・・
藤原行成が「和歌にもすぐれ」ていただと∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!? 歴史物語の『大鏡』にある
藤原行成評を橘健二&加藤静子(校注・訳)『新編日本古典文学全集34 大鏡』(小学館,1996)188~
189頁の現代語訳で引くオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
・・・/この大納言殿(行成)は、万事ことごとく備[ママ]っていらっしゃい
ましたが、和歌のほうは少し劣っていらっしゃったでしょうか。ある時、殿上で
歌論義[ママ]をしようということになり、歌道に熱心な人々が、どう問答したら
よいかなどと、歌の学問以外のことはない有様でしたが、この大納言殿は、
ものもおっしゃいませんでしたので、どうしたことかと、何某殿が、「難波津に
咲くやこの花冬ごもり、この歌いかに」と歌論義[うたろぎ]式に問われたところ、
しばらくの間ものもおっしゃらず、ひどく考えこんでいらっしゃるようなそぶりを
した後で、「よくわかりません」とお答えになったので、人々は笑って、論義をする
張合いがなくなってしまったことでした。/・・・
「難波津に」は「・・・『古今集』仮名序に手習いの最初に書く歌[の上句]とあるように、誰もが
知っている歌[の上句]。・・・」(同書188頁頭注6)なのに「よくわかりません」かよ( ̄◇ ̄;)
「『王朝の貴族』において、歴史物語を史料として使って記述した部分が、やたらと目立つのである」
と倉本一宏は批判してるけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-20 )、
ここでは土田直鎮は『大鏡』という歴史物語を「使って」いない(⌒~⌒)ニヤニヤ となると、『大鏡』の
「和歌のほうは少し劣っていらっしゃった」との評を退けて「和歌にもすぐれ」ていたと評したのは
土田直鎮に眼識が有ったから・・(._+ )☆ヾ( ̄ヘ ̄; )んなわけねーだろ!中宮定子に仕える女房も、
「行成様なんて、妙にとっつきにくい方だわ。他の方みたいに、歌をうたって
賑[ママ]かすなんてこともしないし、面白くない」
と評してたと『枕草子』(萩谷朴『枕草子解環 一』[同朋舎出版,1981]の訳)にあり、清少納言に、
「ああいう贈り物には『いい加減に歌でも詠んでおよこしになったか』と思ったのに、
見事に言ってのけたものですね。女の人で、ちょっとばかり『我れ[ママ]こそは』
と自信のある人は、歌人ぶるものですよ。そうでないのがずっと、つきあいやすい
ですね。私なんかに、歌を詠みかけるような人は、かえって見当違いというもの
でしょうよ」
と藤原行成は語っており(萩谷朴『枕草子解環 三』[同朋舎出版,1982]の訳)、同段の〔論説〕で
萩谷朴は次のような指摘をしているv( ̄∇ ̄)ニヤッ
・・・[その日記]『権記』によって調査した結果では、行成が詩会・歌会・歌合等の
文芸の催しに参加することは人後に落ちぬ頻繁なものがあったが、詩作はともかくとして、
和歌の実作を多く残していない点では、本段に、詠歌恐怖症を自称していることも
首肯されよう。/・・・
本書において土田直鎮は調べもしないで八代集に1首も選ばれてない公卿のことを「当代一流の歌人」
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-04-27 )などとテキトーに書いてた(-"-)
和歌を軽んじており、無教養で日本文化に疎いくせに平安時代の歴史を語るんじゃねーよヾ(`◇´)ノ
黒板伸夫(日本歴史学会編集)『藤原行成』(吉川弘文館人物叢書,1994新装版)267頁も引く(^_^;)
・・・/和歌の才については、行成はこの道に不得手であったと伝えられているが、
その作は『権記』長保二年(一〇〇〇)十二月十九日条にみえる成房に送ったものや、
『枕草子』の清少納言との贈答のほか、『後拾遺和歌集』・『新勅撰和歌集』・
『続古今和歌集』・『玉葉和歌集』・『風雅和歌集』・『新千載和歌集』・
『新拾遺和歌集』など後世の勅撰和歌集に載せられている。和歌の催しにも
かなり出席しており、不得手とはいっても、まず当時の一般的水準であったので
あろう。/・・・
藤原行成が「和歌の催しにもかなり出席」していた事実は、萩谷朴も認識してるけどね(⌒~⌒)ニヤニヤ
さも多くの勅撰集入集歌があるかの如く「後世の勅撰和歌集に載せられている」と列挙してるけど、
前掲『新編日本古典文学全集34 大鏡』188頁頭注4にもあるように「・・・『後拾遺集』以下の勅撰集
に九首入集している・・・」だけで、しかも、八代集は『後拾遺和歌集』入集の1首だけじゃん(^_^;)
倉本一宏(全現代語訳)『藤原行成「権記」(上)』(講談社学術文庫,2011)を見ると、長保元年
(999年)9月12日に藤原道長の遊覧にお供して同行者が和歌を何首も詠んだはずなのに「滝の音の」
という秀歌だけ記録してるし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-05-03 )、
長保元年(999年)12月14日条には「・・・東院に参った。先日、借りた『拾遺抄』を返却し奉った。
・・・」(同書285頁)とあったりもするけどね(@_@;) ただ、倉本一宏(全現代語訳)『藤原行成
「権記」(中)』(講談社学術文庫,2012)106頁の長保3年(1001年)5月28日条に故人の遺嘱により
『古万葉集』を書いて送ったことがあるので、この『拾遺抄』も単に書写しただけなのかも(@_@;)
・「古今集に次ぐ勅撰和歌集である拾遺集」だとぉ!土田直鎮も無教養ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-03-26
・土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』は『紫式部日記』を誤読してるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-04
・土田直鎮は『江談抄』を誤読あるいは恣意的に利用しているじゃんヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-10
[追記210330]
なお、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(下)』(講談社学術文庫,2009)の寛仁
2年(1018年)10月22日条にも「次に大后[藤原彰子]への御贈物は、筝の御琴と侍従中納言[行成]
の書いた『古今和歌集』二帙[ちつ]であった。」とある(^^) 黒板伸夫(日本歴史学会編集)『藤原
行成』(吉川弘文館人物叢書,1994新装版)219頁は「この日の彰子からの送[ママ]りもののうちに
行成書の『古今和歌集』二帙があり、彼の書がいかに珍重されていたかが分る。」としてる(@_@;)
18日の朝日朝刊の担当記者の順位予想で昨季2位の千葉ロッテを4位にしてた坂名信行ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
【読んだ本】
土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』(中公文庫,1973初版→2004改版)所蔵本
さて、さて、さ~て!土田直鎮は本書において藤原行成のことを次のように評してたヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
・・・/この行成は儀式にも通じ、詩文和歌にもすぐれ、やはり当時第一級の教養人で
あったが、なんといってもかれの本領は書道の達人という点にあり、・・・
藤原行成が「和歌にもすぐれ」ていただと∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!? 歴史物語の『大鏡』にある
藤原行成評を橘健二&加藤静子(校注・訳)『新編日本古典文学全集34 大鏡』(小学館,1996)188~
189頁の現代語訳で引くオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
・・・/この大納言殿(行成)は、万事ことごとく備[ママ]っていらっしゃい
ましたが、和歌のほうは少し劣っていらっしゃったでしょうか。ある時、殿上で
歌論義[ママ]をしようということになり、歌道に熱心な人々が、どう問答したら
よいかなどと、歌の学問以外のことはない有様でしたが、この大納言殿は、
ものもおっしゃいませんでしたので、どうしたことかと、何某殿が、「難波津に
咲くやこの花冬ごもり、この歌いかに」と歌論義[うたろぎ]式に問われたところ、
しばらくの間ものもおっしゃらず、ひどく考えこんでいらっしゃるようなそぶりを
した後で、「よくわかりません」とお答えになったので、人々は笑って、論義をする
張合いがなくなってしまったことでした。/・・・
「難波津に」は「・・・『古今集』仮名序に手習いの最初に書く歌[の上句]とあるように、誰もが
知っている歌[の上句]。・・・」(同書188頁頭注6)なのに「よくわかりません」かよ( ̄◇ ̄;)
「『王朝の貴族』において、歴史物語を史料として使って記述した部分が、やたらと目立つのである」
と倉本一宏は批判してるけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-20 )、
ここでは土田直鎮は『大鏡』という歴史物語を「使って」いない(⌒~⌒)ニヤニヤ となると、『大鏡』の
「和歌のほうは少し劣っていらっしゃった」との評を退けて「和歌にもすぐれ」ていたと評したのは
土田直鎮に眼識が有ったから・・(._+ )☆ヾ( ̄ヘ ̄; )んなわけねーだろ!中宮定子に仕える女房も、
「行成様なんて、妙にとっつきにくい方だわ。他の方みたいに、歌をうたって
賑[ママ]かすなんてこともしないし、面白くない」
と評してたと『枕草子』(萩谷朴『枕草子解環 一』[同朋舎出版,1981]の訳)にあり、清少納言に、
「ああいう贈り物には『いい加減に歌でも詠んでおよこしになったか』と思ったのに、
見事に言ってのけたものですね。女の人で、ちょっとばかり『我れ[ママ]こそは』
と自信のある人は、歌人ぶるものですよ。そうでないのがずっと、つきあいやすい
ですね。私なんかに、歌を詠みかけるような人は、かえって見当違いというもの
でしょうよ」
と藤原行成は語っており(萩谷朴『枕草子解環 三』[同朋舎出版,1982]の訳)、同段の〔論説〕で
萩谷朴は次のような指摘をしているv( ̄∇ ̄)ニヤッ
・・・[その日記]『権記』によって調査した結果では、行成が詩会・歌会・歌合等の
文芸の催しに参加することは人後に落ちぬ頻繁なものがあったが、詩作はともかくとして、
和歌の実作を多く残していない点では、本段に、詠歌恐怖症を自称していることも
首肯されよう。/・・・
本書において土田直鎮は調べもしないで八代集に1首も選ばれてない公卿のことを「当代一流の歌人」
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-04-27 )などとテキトーに書いてた(-"-)
和歌を軽んじており、無教養で日本文化に疎いくせに平安時代の歴史を語るんじゃねーよヾ(`◇´)ノ
黒板伸夫(日本歴史学会編集)『藤原行成』(吉川弘文館人物叢書,1994新装版)267頁も引く(^_^;)
・・・/和歌の才については、行成はこの道に不得手であったと伝えられているが、
その作は『権記』長保二年(一〇〇〇)十二月十九日条にみえる成房に送ったものや、
『枕草子』の清少納言との贈答のほか、『後拾遺和歌集』・『新勅撰和歌集』・
『続古今和歌集』・『玉葉和歌集』・『風雅和歌集』・『新千載和歌集』・
『新拾遺和歌集』など後世の勅撰和歌集に載せられている。和歌の催しにも
かなり出席しており、不得手とはいっても、まず当時の一般的水準であったので
あろう。/・・・
藤原行成が「和歌の催しにもかなり出席」していた事実は、萩谷朴も認識してるけどね(⌒~⌒)ニヤニヤ
さも多くの勅撰集入集歌があるかの如く「後世の勅撰和歌集に載せられている」と列挙してるけど、
前掲『新編日本古典文学全集34 大鏡』188頁頭注4にもあるように「・・・『後拾遺集』以下の勅撰集
に九首入集している・・・」だけで、しかも、八代集は『後拾遺和歌集』入集の1首だけじゃん(^_^;)
倉本一宏(全現代語訳)『藤原行成「権記」(上)』(講談社学術文庫,2011)を見ると、長保元年
(999年)9月12日に藤原道長の遊覧にお供して同行者が和歌を何首も詠んだはずなのに「滝の音の」
という秀歌だけ記録してるし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-05-03 )、
長保元年(999年)12月14日条には「・・・東院に参った。先日、借りた『拾遺抄』を返却し奉った。
・・・」(同書285頁)とあったりもするけどね(@_@;) ただ、倉本一宏(全現代語訳)『藤原行成
「権記」(中)』(講談社学術文庫,2012)106頁の長保3年(1001年)5月28日条に故人の遺嘱により
『古万葉集』を書いて送ったことがあるので、この『拾遺抄』も単に書写しただけなのかも(@_@;)
・「古今集に次ぐ勅撰和歌集である拾遺集」だとぉ!土田直鎮も無教養ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-03-26
・土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』は『紫式部日記』を誤読してるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-04
・土田直鎮は『江談抄』を誤読あるいは恣意的に利用しているじゃんヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-10
[追記210330]
なお、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(下)』(講談社学術文庫,2009)の寛仁
2年(1018年)10月22日条にも「次に大后[藤原彰子]への御贈物は、筝の御琴と侍従中納言[行成]
の書いた『古今和歌集』二帙[ちつ]であった。」とある(^^) 黒板伸夫(日本歴史学会編集)『藤原
行成』(吉川弘文館人物叢書,1994新装版)219頁は「この日の彰子からの送[ママ]りもののうちに
行成書の『古今和歌集』二帙があり、彼の書がいかに珍重されていたかが分る。」としてる(@_@;)
ロッテが4位と言うことはオリックスは・・・・(定位置か?)。
行成さんは和歌が嫌いだったのではなく、実は、歌人ぶる女房が嫌い
だったのでは?と思ったり。
by tai-yama (2021-03-21 23:47)
学術的な伝記であれば、ひいき目に書いてはいけないですよね(^^;
それによって与える影響はどれだけになるかと考えるのが恐ろしいです。
by ナベちはる (2021-03-22 01:02)
オリ担当記者の予想はまだですが(今日の朝刊かな?)、
tai-yama様、日ハム担当記者が6位(日ハムが5位)に
した以外は、どの記者も5位に予想してますよ(^o^)丿
by middrinn (2021-03-22 05:02)
ですよねぇ(^_^;) ただ、その人物に興味関心があるから、
ナベちはる様、伝記を書いてるわけで、思い入れが(^_^;)
by middrinn (2021-03-22 05:03)
オリはその上を行きましょう!
by そら (2021-03-22 06:39)
贔屓目かもしれませんが、Aクラスには入れるかと(^_^;)
by middrinn (2021-03-22 06:50)
藤原行成って。ひょっとすると現代で言うと、特許の明細書を
書く、特許事務所の書類作成技術担当のような人物なのでは
ないのか。そこは『どちらにも取れるような、短い文を書いて、
後で味わいを楽しむ』ような明細書本文を書いては、
≪絶対にいけない≫と言われている業界だと私は思うんだが。
by df233285 (2021-03-22 09:00)
和歌表現は一つの言葉に複数の意味を持たせる場合がありますが、
能吏だった藤原行成は、そーゆー表現が苦手だったのかも(^_^;)
by middrinn (2021-03-22 09:27)