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210310読んだ本【バカチン】

読書の厄介なところは、確定申告が雑事として後回しになることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
会場はコロナ対策で入場には整理券が必要となったけど、その整理券を貰うために長蛇の列(@_@;)

【読んだ本(バカチン)】

土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』(中公文庫,1973初版→2004改版)所蔵本

「三蹟」として小野道風、藤原佐理、藤原行成が一般に挙げられるが、平安時代後期(院政期)には
能書家として兼明親王、藤原佐理、藤原行成の3人がセットで語られていたことを、一昨日に書いた
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-08 )〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

この3人の関係は、書道を究めようとお互いに切磋琢磨するような美しいものではなく、後藤昭雄&
池上洵一&山根對助(校注)『新日本古典文学大系32 江談抄 中外抄 富家語』(岩波書店,1997)
所収の山根對助&後藤昭雄(校注)『江談抄』(大江匡房の言談を藤原実兼[=信西の父]が筆録)
第三に載っている言談によれば、かなりドロドロした関係のようだ∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?

先ず『江談抄』第三の三四条「佐理の生霊行成を悩ます事」を同書から引くが(同書85~86頁)、
[ ]内は(振り仮名を除き)同書85~86頁の脚注によって補ったもの〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    「前奥州[=前陸奥守の橘為仲?]云はく、「佐理卿、平生の時[=元気であった時]、
    行成卿、某所の額を書きて進[たてまつ]るべき由、勅命を蒙[かうぶ]る。先達[←
    佐理は行成より28歳年長]の候ふ由を奏せられず、書きて進らんとする間、佐理の生霊
    来たりて、行成を悩ませり。数日に及びて痛[はなは]だ悩めり」と云々。予[われ]、
    主殿頭[藤原]公経に謁[あ]ひし次[ついで]に、この事を語る。公経答へて云はく、
    「佐理存生の間[←佐理は長徳4年(998年)没]、按察大納言[=行成]、いまだかつて
    一度も額を書かれざりしか」」と云々。

藤原佐理という人物はチト困ったチャンで問題を起こしたりもしてるから、この前陸奥守(橘為仲の
ことではないかと同書85頁脚注26)から大江匡房が聞いた話にあるように、藤原佐理が生霊となって
若い藤原行成の晴れ舞台(同書85頁の脚注30にも「額の字を書くことは書家にとってはなはだ名誉な
ことであった。佐理が正四位下、従三位に叙せられたのは、ともに殿門の額を書いた功に依る。」と
ある)を妨害したというのは、そのイメージに適合しているような気もするんだけどね(^_^;)

さて、さて、さ~て!名著とされる土田直鎮の本書が、この話を使ってたのには吃驚ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    ・・・[藤原行成が]天皇をはじめ公卿たちから書を頼まれることは始終記録に
    見えているし、内裏や諸寺の額を書いたことも数多く知られている。/もっとも、
    同じく一条天皇朝の人であった[藤原]佐理は、かれ[=藤原行成]より三十歳
    ばかりも年長の先輩で、同じく名筆をうたわれていたから、行成がある時勅命を
    受けて額を書こうとしたとき、佐理の生霊があらわれてかれを悩ましたとか、
    それからかれは佐理の生前にはいっさい額は書かなかったとかいう話もあるけれども、
    佐理は早く九九八年(長徳四)に死んだから、その後はもっぱら行成の独り舞台で、
    かれの書いたものはお祝いの時の贈物にも用いられた。・・・

「それから」で続けていることから、土田直鎮は、大江匡房が紹介する藤原公経の言談についても、
藤原行成は藤原佐理の生霊に悩まされたので佐理が生きている間は額を書くことが出来なかった、と
解してたようだ(@_@;) しかし、ソレは明らかに『江談抄』の誤読であって、そもそも藤原佐理が
健在な間は藤原行成が額の字を依頼されることなど無かったというのが藤原公経の含意かと(@_@;)

なぜなら、『江談抄』第三には三四条「佐理の生霊行成を悩ます事」の次に三五条「小蔵親王の生霊
佐理を煩はす事」があるからで、その三五条を同書86頁から次に引くけど、[ ]内は(振り仮名を
除いて)同書86頁の脚注から補ったものであるよ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    「前中書王[=兼明親王]隠遁せし間、佐理、度々[たびたび]勅宣に依り、止むごと
    なき勅書などを書かる[=清書する]。しかる間、小蔵親王[=兼明親王]の生霊に依り、
    常にもつて煩らひ給ふ。これ奥州[=橘為仲?]の僻事[ひがごと=間違い]なり」と
    云々。

「僻事」とは「間違い。34条の奥州の話が誤解だというのである。34条と35条とが前田本では一続き
になっている。これが本来の形であろう。35条は公経の言談の続きとなる。」と脚注9(同書86頁)
にあるので、三四条の藤原佐理が生霊となり藤原行成を悩ませたという話は「僻事」(間違い)で、
兼明親王の生霊が藤原佐理を煩わせたのが本当の話だと藤原公経は述べたということ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

なのに、「僻事」=間違いとして否定されている三四条の話を土田直鎮は採用し紹介してるわけで、
三五条の藤原公経の言談こそ間違いで三四条の「前奥州」の話は本当であるとする根拠があるのなら
ともかく、土田直鎮は『江談抄』を誤読あるいは恣意的に利用してるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
生霊の話を史実の如く歴史書で取り上げることより、史料の読解や扱い方の方が深刻な問題(@_@;)

・「古今集に次ぐ勅撰和歌集である拾遺集」だとぉ!土田直鎮も無教養ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-03-26

・土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』は『紫式部日記』を誤読してるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-04
タグ:歴史 書道
コメント(10) 

コメント 10

tai-yama

前奥州のセイで被害者が加害者に。しかも1000年以上後で・・・
「森田知事が賛成と言ってましたよ」並みの大ウソと言う。
前奥州=小池・・・・・だったり(笑)。
by tai-yama (2021-03-11 00:12) 

ナベちはる

コロナ対策のはずが出来るのは長蛇の列…よく考えたらこれも密ですよね((+_+))
by ナベちはる (2021-03-11 01:20) 

ネオ・アッキー

middrinnさんおはようございます。
平安時代には「三筆」とか「三蹟」と呼ばれている、能書家がいたようですね。
書の有名な人物は、その後、現れなかったのでしょうか・・・?
(小野道風は別格として)
by ネオ・アッキー (2021-03-11 05:28) 

middrinn

たしかに(^_^;) でも、藤原佐理は、
tai-yama様、問題児だったのので、
然もありなんと思われそう(^_^;)
by middrinn (2021-03-11 06:04) 

middrinn

会場内の密は無くなったんですけど、
ナベちはる様、難しいですね(^_^;)
by middrinn (2021-03-11 06:05) 

middrinn

平安時代後期(院政期)の関白藤原忠通は、
ネオ・アッキー様、書にもメチャ優れてて、
不仲の父忠実すら感嘆させたと説話が(^^)
by middrinn (2021-03-11 06:06) 

そら

確定申告、どちらにしても長い列、密にならなきゃいいけど・・・。
by そら (2021-03-11 06:41) 

middrinn

列が屋外だった点は良かったですね(^_^;)
by middrinn (2021-03-11 07:03) 

yokomi

確申はネットや郵送でも出来るとか(^_^)v
by yokomi (2021-03-12 01:57) 

middrinn

小生は出来ないので(-ω-、)
by middrinn (2021-03-12 06:20) 

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