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201201読んだ本

貼るカイロ、数えたら2021年4月までのが100個もあったので今日から使い始めるo(-`д´- o)ツカイキルヨ!!

【読んだ本】

安良岡康作(訳注)『現代語訳対照 徒然草』(旺文社文庫,1971)所蔵本

今日もか!と呆れられそう(^_^;)ヾ(-_-;)安心してください、読んでませんよ!ヾ( ̄ヘ ̄; )安村か!
某ブログ主が全国の名所の説明板の文章をわざわざ筆写も、読まずに的外れコメする輩が続出(゚ロ゚;)
その一人は画像の説明板の文章を読んでないのがバレたことを恥をかかされたと逆恨みし(先方から
訊ねられたので小生は画像の説明板の文章をよく見るようにとレスしただけなのに)、以来、小生の
コメに執拗に絡んでくるんだけど、あの感じだと、実社会では、あおり運転とかしてそうだな(^_^;)
とまれ、『徒然草』の第173段を本書の現代語訳で引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    /小野小町の事蹟は、ひどくはっきりしない。年とって衰弱している様子は、
    「玉造」という書物に見えている。この書物は、三善清行が書いているという説が
    あるけれども、高野山の弘法大師の御著作の目録の中に入っている。その弘法大師は、
    承和の初年におなくなりになっている。小野小町が若くてたいへん美しかったことは、
    弘法大師のなくなられた後のことであろうか。やはりはっきりしないことだ。/

小野小町は老いて落魄したと記す『玉造小町壮衰書』は弘法大師の著作とされるが、弘法大師は承和
2年=835年に亡くなっており、小野小町が若くて美しかった頃はソレよりも後の時代で、まして晩年
は・・・と兼好法師が呈した疑問はもっともだけど、本段の本書の補注124は理解に苦しむ(@_@;)

    ・・・もう一つ推測されることは、兼好が『古今集』の注釈に接したことが、[本段
    執筆の]機縁となったのではないかと思われることである。『顕昭古今和歌注』
    (内閣文庫蔵本)には、『古今集』の仮名序の注の中で、『玉造小町壮衰書』に
    言及しており、「小野小町、承和比[コロ]ノ人カ」と書いている。藤原清輔の
    『袋草子』にも、小野小町に言及しており、北畠親房の『古今集序註』にも説明がある。
    以上の資料からみて、本段は、兼好が『古今集』の注釈、あるいは、それについての
    古来の通説について疑問に感じたことを率直に書いてみたものとする方が、・・・
    よいように思われる。こうして本段は『古今集』の研究史、もしくは注釈史上の一問題
    についての、彼の所見であることが確認できるのである。/

兼好法師が本段に記した上述の「所見」がソレ以前に誰も気付かなかった創見かのように読めるし、
兼好法師が「疑問に感じた」「『古今集』の注釈、あるいは、それについての古来の通説」の中に
「藤原清輔の『袋草子』」も含まれているように読める書き方じゃん∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?

歌道の六条藤家の碩学・藤原清輔は歌学書『袋草紙』において「諸集人名不審」という一節を設けて
『万葉集』から『後拾遺和歌集』までの撰集に見える人名への疑問点を列挙し、『古今和歌集』では
小野小町を挙げており、藤岡忠美(校注)『新日本古典文学大系29 袋草紙』(岩波書店,1995)から
当該件を引く(^o^)丿

    小野小町 衰形伝[=『玉造小町子壮衰書』]の如きは、その姓玉造氏なり。
         小野はもしくは住む所の名か。ただしある人云はく、件の伝は
         弘法大師等の作る所なり。小野は貞観[859年~877年]比[ごろ]
         の人なり。かの衰形は他人か。

最後の一文の同書の脚注は「壮衰書の主人公の小町とは別人だろうの意。」オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

『玉造小町子壮衰書』が弘法大師作だとするなら小野小町とは時代的に合わないことに気付いたのは
兼好法師が初めてじゃないわけオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ! 本書補注は読者をミスリードしそう(@_@;)

ところで、拙ブログの〈チンタラ伊勢物語〉で、冷泉家流の『伊勢物語』解釈を〈お笑い伊勢物語〉
として取り上げて面白がってきたけど、片桐洋一『新装版 小野小町追跡 「小町集」による小町説話
の研究』(笠間書院,1975→1993改訂新版→2015新装版)にも出てきて、大爆笑させられた(⌒~⌒)

    ・・・/「冷泉家伊勢物語抄」は、・・・注意すべきは、・・・小町と弘法大師の
    年齢計算から「玉造小町子壮衰書」の弘法大師作説に疑問を出し、仁海僧正作という
    別説を示しながらも、結局は、弘法大師は未来をも予見出来る権者[ごんじゃ]
    であるゆえに、小町の運命もあらかじめ予見してこれを書いておいたのだという、
    とてつもない結論に終ってしまっていることである。/・・・
タグ:和歌 古典
コメント(8) 
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コメント 8

ニッキー

明日はとても寒いそうなので、早速貼るカイロが役立ちますねぇ( ^ω^ )
あれ?そういえばうちも確か貼るカイロが大量にあったような・・・
3月くらいからかみさんの会社が時短始めて
4月から休業してたから今年はあまり使わなかったんですよねぇ(*_*)
コロナのせいで外出もほとんどしなかったから、余ってる人も多いかも(ー ー;)
by ニッキー (2020-12-01 21:10) 

middrinn

言われてみれば、たしかに、貼るカイロは主として外出時に使い、
在宅時は暖房があるから、貼るカイロは使わないですよね(^_^;)
by middrinn (2020-12-01 21:15) 

tai-yama

弘法大師は高野山で今も生きていると。山形の即身仏様の説明を
受けた時、高野山で毎日木の芽を食べていると言っていました。
仮に859-877年の人なら18歳っ!これで衰形とするなら、今
現代生きている女性は、皆衰形なり(笑)。
by tai-yama (2020-12-01 22:39) 

ナベちはる

これから寒くなっていきますが、しばらくは貼るカイロでポカポカと出来そうですね!
by ナベちはる (2020-12-02 01:49) 

middrinn

弘法大師が今も生きているとしても、片桐洋一・前掲書が、
tai-yama様、その全文を紹介して、指摘しているように、
『玉造小町子壮衰書』は表題にしか「小町」は登場しない
ので、そもそも小野小町とは無関係ではないかと(^_^;)
by middrinn (2020-12-02 06:20) 

middrinn

今日なんか日中も一月上旬の寒さと、
ナベちはる様、予報されているので、
貼るカイロが大活躍ですよ(^o^)丿
by middrinn (2020-12-02 06:21) 

そら

弘法大師は書物も書いていたんですか!!
確か西新井大師を建立したのも弘法大師だったと記憶しています。
そういう人いますね、ウチのブログでも上から目線でコメント入れたひとがいましたが、私がその上からコメントを返したらそれ以来来なくなりました(^^;
by そら (2020-12-02 06:44) 

middrinn

弘法大師は偉大ゆえ、後世の人々から、
何でもやったことにされてしまうので、
中には怪しいのもあるようです(^_^;)
拙ブログにも上から目線で書き込む人
が現れることありますが、マウントを
取りたいのかもしれませんね(^_^;)
by middrinn (2020-12-02 11:18) 

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