支那事変の終わりも見えぬまま米英と開戦して泥沼化したのに和平より戦争継続を唱える大臣かよ(゚ロ゚;)
政府方針に反対しそうな研究者は任命されないらしいから「専門家」とやらは曲学阿政の徒かな(@_@;)
全てのタグが表示されるよう小生にとって役に立たぬタグを昨日から3つも削除したのに出ない(´・_・`)
【読んだ本】
山下道代『伊勢集の風景』(臨川書店臨川選書,2003)所蔵本
山下道代の『王朝歌人 伊勢』(筑摩書房,1990)のチト刺激的な記述を先日紹介したヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
・・・今日、小野小町なら知っているが、伊勢なんて知らない、という人は
少なくないだろう。百人一首の女流で考えてみても、たとえば和泉式部や紫式部、
清少納言らに比べて、伊勢の知名度は格段に低い。これらの人々は、伊勢の前では、
いわば素人の歌よみにすぎなかったのに。/・・・
返信コメにちょこっと書いたが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-22 )、
伊勢タンが専門歌人であることに比べれば、彼女らは「素人の歌よみ」にすぎぬ、との意かと(^_^;)
山下道代は本書の「つらつえ」の項の冒頭で次のように述べているし〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
/屛風歌というのは、屛風に使われた歌のことである。そのころの屛風には
絵が描かれ、画面の中に色紙形[しきしがた]といって四角な空白部分が
設けられていた。歌はそこに書くのである。つまり屛風は、絵と和歌で
デザインされた室内調度であった。そこに使われる歌は、もちろん絵と
関連づけて詠まれる。こうした屛風歌の詠作は、多くの場合名ある歌よみに
依頼されるものであった。ということは、屛風歌を詠むような歌よみは、
いわば専門歌人として世に認められていたということ。この時代では
[紀]貫之がその第一人者であったが、伊勢もまた、それに劣らぬ
すぐれた屛風歌作者である。/・・・
おそらく屛風歌に加え、長寿を祝う算賀歌、歌会・歌合への参加等も専門歌人のメルクマールかと(^^)
さて、先日も指摘したように、「和泉式部・・・は、・・・いわば素人の歌よみにすぎなかった」と
山下道代が断じている点はおかしいね(@_@;) 近藤みゆき(訳注)『和泉式部日記 現代語訳付き』
(角川ソフィア文庫,2003)巻末「解説」の「七 作者とその人生」から引くC= (-。- ) フゥー
・・・歌人としての和泉がまとまった事跡を残す最初の時期がこの長保期であった。
長保三年(一〇〇一)、「権中納言斉信家屛風」に和歌を召され、・・・/・・・/
・・・道長の歌人・和泉に対する評価は高く、寛仁二年(一〇一八)、道長の嫡男頼通の
「大饗屛風」では、女性としてはただ一人、和歌作者に選ばれ、晴の席を飾った。・・・
後者については取り上げたが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-13 )、
更に清水文雄(校注)『和泉式部集・和泉式部続集』(岩波文庫,1983)の脚注によると、少なくとも
正集の歌番号187から198も屛風歌とされているので、和泉式部も専門歌人の範疇と思われる(@_@;)
・和歌の割り当てを忘れてたのに気付いた醍醐帝、伊勢タンに御指名キタ━━━━(゚д゚;)━━━━!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-02-07
・伊勢タンは「花を映す鏡となる澄んだ水面」を、紀友則は「水に映った菊の美しさ」を詠んでいる(^^)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-04
・伊勢タンがチト可哀想だよ(´;ω;`)ウッ… これからは、もう少し心を込めて伊勢タンと呼ぶよ(;_;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-05
・記念に東大受験して「△△参上!」と机に落書きしてくるアホと伊勢タンを同類視するなヾ(`◇´)ノ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-09
・伊勢タンが後世の歌人から如何に尊敬されていたかという逸話と牛車の乗車降車の作法について(^^)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-11
・nice!やコメしても無反応なブログ主の如く伊勢タンはお高くとまってるわねオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-29
政府方針に反対しそうな研究者は任命されないらしいから「専門家」とやらは曲学阿政の徒かな(@_@;)
全てのタグが表示されるよう小生にとって役に立たぬタグを昨日から3つも削除したのに出ない(´・_・`)
【読んだ本】
山下道代『伊勢集の風景』(臨川書店臨川選書,2003)所蔵本
山下道代の『王朝歌人 伊勢』(筑摩書房,1990)のチト刺激的な記述を先日紹介したヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
・・・今日、小野小町なら知っているが、伊勢なんて知らない、という人は
少なくないだろう。百人一首の女流で考えてみても、たとえば和泉式部や紫式部、
清少納言らに比べて、伊勢の知名度は格段に低い。これらの人々は、伊勢の前では、
いわば素人の歌よみにすぎなかったのに。/・・・
返信コメにちょこっと書いたが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-22 )、
伊勢タンが専門歌人であることに比べれば、彼女らは「素人の歌よみ」にすぎぬ、との意かと(^_^;)
山下道代は本書の「つらつえ」の項の冒頭で次のように述べているし〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
/屛風歌というのは、屛風に使われた歌のことである。そのころの屛風には
絵が描かれ、画面の中に色紙形[しきしがた]といって四角な空白部分が
設けられていた。歌はそこに書くのである。つまり屛風は、絵と和歌で
デザインされた室内調度であった。そこに使われる歌は、もちろん絵と
関連づけて詠まれる。こうした屛風歌の詠作は、多くの場合名ある歌よみに
依頼されるものであった。ということは、屛風歌を詠むような歌よみは、
いわば専門歌人として世に認められていたということ。この時代では
[紀]貫之がその第一人者であったが、伊勢もまた、それに劣らぬ
すぐれた屛風歌作者である。/・・・
おそらく屛風歌に加え、長寿を祝う算賀歌、歌会・歌合への参加等も専門歌人のメルクマールかと(^^)
さて、先日も指摘したように、「和泉式部・・・は、・・・いわば素人の歌よみにすぎなかった」と
山下道代が断じている点はおかしいね(@_@;) 近藤みゆき(訳注)『和泉式部日記 現代語訳付き』
(角川ソフィア文庫,2003)巻末「解説」の「七 作者とその人生」から引くC= (-。- ) フゥー
・・・歌人としての和泉がまとまった事跡を残す最初の時期がこの長保期であった。
長保三年(一〇〇一)、「権中納言斉信家屛風」に和歌を召され、・・・/・・・/
・・・道長の歌人・和泉に対する評価は高く、寛仁二年(一〇一八)、道長の嫡男頼通の
「大饗屛風」では、女性としてはただ一人、和歌作者に選ばれ、晴の席を飾った。・・・
後者については取り上げたが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-13 )、
更に清水文雄(校注)『和泉式部集・和泉式部続集』(岩波文庫,1983)の脚注によると、少なくとも
正集の歌番号187から198も屛風歌とされているので、和泉式部も専門歌人の範疇と思われる(@_@;)
・和歌の割り当てを忘れてたのに気付いた醍醐帝、伊勢タンに御指名キタ━━━━(゚д゚;)━━━━!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-02-07
・伊勢タンは「花を映す鏡となる澄んだ水面」を、紀友則は「水に映った菊の美しさ」を詠んでいる(^^)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-04
・伊勢タンがチト可哀想だよ(´;ω;`)ウッ… これからは、もう少し心を込めて伊勢タンと呼ぶよ(;_;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-05
・記念に東大受験して「△△参上!」と机に落書きしてくるアホと伊勢タンを同類視するなヾ(`◇´)ノ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-09
・伊勢タンが後世の歌人から如何に尊敬されていたかという逸話と牛車の乗車降車の作法について(^^)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-11
・nice!やコメしても無反応なブログ主の如く伊勢タンはお高くとまってるわねオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-29