190609読んだ本
ペットの犬を大統領候補、自分は副大統領候補として立候補を届け出て、ソ連との交渉では吠えまくる
と公約した人、結婚の記念に立候補した人などなど日本では報道されないけど、米国の大統領選挙では
二大政党以外からの泡沫候補が沢山いると、古森義久のレポート「米大統領選二百人のホーマツ候補」
で読んだ記憶あるも、掲載誌(文藝春秋1985年1月号)が書庫で見付からず、確認できなかったm(__)m
今日は雨の時間が長く寒かった(..) 今朝はまだ暗い4時前に目が覚めたけど、寒かったからかも(+_+)
【読んだ本】
中島輝賢『コレクション日本歌人選023 伊勢』(笠間書院,2011)
いい歳した研究者が小学生レヴェルの発想をしてて恥かしくないのかねぇ○ o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
別るれど あひも思はぬ 百敷を 見ざらんことの 何か悲しき
身ひとつに あらぬばかりぞ おしなべて 行きかへりても などか見ざらん
この伊勢タンとウダダの歌を秋山虔『王朝の歌人5 伊勢』(集英社,1985)は次のように解説してた(^^)
・・・/また[伊勢タンの]「別るれど」の歌は、いよいよ去らねばならぬ宮中が
名残惜しくてならないが、宮中のほうでは私につれないばかり、もうここには
もどってくることもなかろうに、どうしてこんなに悲しいのか、の意。・・・
独詠として書きつけたものだが、もとより[ウダダ]帝の目にとまることを
期待したのである。はたして帝がごらんになり、伊勢の歌のかたわらに
「身ひとつに」の歌を書きそえたというわけである。帝はこのわたしひとりとは
かぎらないのだから、宮中を去ってもまた立ちもどって、変わりなく新しい帝に
仕えればよいではないか、の意。/・・・/いったい、伊勢が弘徽殿の壁に歌を
書きつけたというのも、そのようなかたちでしか宇多への思いを訴えるすべがなかった
ということだろう。[醍醐帝への]御代がわりという公の大事の当事者である帝
からすれば、伊勢はあまりに遠く隔たった存在であり、伊勢の心はともかく、
たまたま帝のお手がついた女房という程度にすぎなかったというべきなのだろうか。
もとより多くの后妃に囲繞された宇多にとっては、伊勢が皇子を産んだ女性
であるからといって、一対一の男女関係ではまったくありうるはずもないのだ
といえよう。/・・・
ウダダの「目にとまることを期待し」て、伊勢タンが「弘徽殿の壁に歌を書きつけた」ことは、両歌が
入った勅撰集『後撰和歌集』の注釈書(片桐洋一[校注]『新日本古典文学大系6 後撰和歌集』[岩波
書店,1990])の脚注にも同旨の指摘があるので引いておく(^^)
宇多天皇の女御温子のいた弘徽殿が退位直後、暫くの間の御座所となったようである。
伊勢はあらかじめそれを知っていて、退位の日に帝が御覧になるように壁に歌を書いて
退出したのであろう。・・・
ところが、本書の同歌の「鑑賞」(43頁)を読んでたら、吃驚仰天だよ∑( ̄ロ ̄|||)にゃんですと!?
・・・壁に書きつけるという行為は、記念に残したいという強い気持ちの表れであり、
現在でも同様の行為が行われる。卒業した学校や旅行先の名所に、名前などを
書きつける行為が頭に浮かぶ。/・・・
まるで「旅行先の名所に、名前などを書きつける行為」を容認するかのような書き方なのはともかく、
ウダダの「目にとまることを期待し」「弘徽殿の壁に歌を書きつけ」て「宇多への思いを訴え」った
のではなくて、伊勢タンの「記念に残したいという強い気持ちの表れ」だとヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ かつて
誰でも受験できた時代に、18歳になった記念にと、東京大学を受験して「△△参上!」と机に落書き
してくるアホどもと、伊勢タンを同類視するんじゃねーよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
土佐守の任期が終わる数ヶ月前に可愛がってた我が子が病死した紀貫之が、土佐国から去る際に国府の
「館の柱」に「都へと思ふ心のわびしきは帰らぬ人のあればなりけり」という歌を書きつけて帰京した
話が『今昔物語集』等にあるが、コレも「記念に残したいという強い気持ちの表れ」かよヾ(`◇´)ノ
ちなみに、阪倉篤義&本田義憲&川端善明(校注)『新潮日本古典集成 今昔物語集 本朝世俗部一』
(新潮社,1978)の「附録」に「柱に書き残す歌のこと」という項目があり、『俊頼髄脳』『平家物語』
『東鑑』『承久記』『源氏物語』の諸例、更に柱ではなく「木立や岩や障子などに書き残された」例も
『大和物語』『伊勢物語』『撰集抄』から紹介しているけど、まさかコレらも「記念に残したいという
強い気持ちの表れ」と中島輝賢は解したりして((;゚Д゚)ヒィィィ! 小学生レヴェルの発想だよねぇ(^_^;)
と公約した人、結婚の記念に立候補した人などなど日本では報道されないけど、米国の大統領選挙では
二大政党以外からの泡沫候補が沢山いると、古森義久のレポート「米大統領選二百人のホーマツ候補」
で読んだ記憶あるも、掲載誌(文藝春秋1985年1月号)が書庫で見付からず、確認できなかったm(__)m
今日は雨の時間が長く寒かった(..) 今朝はまだ暗い4時前に目が覚めたけど、寒かったからかも(+_+)
【読んだ本】
中島輝賢『コレクション日本歌人選023 伊勢』(笠間書院,2011)
いい歳した研究者が小学生レヴェルの発想をしてて恥かしくないのかねぇ○ o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
別るれど あひも思はぬ 百敷を 見ざらんことの 何か悲しき
身ひとつに あらぬばかりぞ おしなべて 行きかへりても などか見ざらん
この伊勢タンとウダダの歌を秋山虔『王朝の歌人5 伊勢』(集英社,1985)は次のように解説してた(^^)
・・・/また[伊勢タンの]「別るれど」の歌は、いよいよ去らねばならぬ宮中が
名残惜しくてならないが、宮中のほうでは私につれないばかり、もうここには
もどってくることもなかろうに、どうしてこんなに悲しいのか、の意。・・・
独詠として書きつけたものだが、もとより[ウダダ]帝の目にとまることを
期待したのである。はたして帝がごらんになり、伊勢の歌のかたわらに
「身ひとつに」の歌を書きそえたというわけである。帝はこのわたしひとりとは
かぎらないのだから、宮中を去ってもまた立ちもどって、変わりなく新しい帝に
仕えればよいではないか、の意。/・・・/いったい、伊勢が弘徽殿の壁に歌を
書きつけたというのも、そのようなかたちでしか宇多への思いを訴えるすべがなかった
ということだろう。[醍醐帝への]御代がわりという公の大事の当事者である帝
からすれば、伊勢はあまりに遠く隔たった存在であり、伊勢の心はともかく、
たまたま帝のお手がついた女房という程度にすぎなかったというべきなのだろうか。
もとより多くの后妃に囲繞された宇多にとっては、伊勢が皇子を産んだ女性
であるからといって、一対一の男女関係ではまったくありうるはずもないのだ
といえよう。/・・・
ウダダの「目にとまることを期待し」て、伊勢タンが「弘徽殿の壁に歌を書きつけた」ことは、両歌が
入った勅撰集『後撰和歌集』の注釈書(片桐洋一[校注]『新日本古典文学大系6 後撰和歌集』[岩波
書店,1990])の脚注にも同旨の指摘があるので引いておく(^^)
宇多天皇の女御温子のいた弘徽殿が退位直後、暫くの間の御座所となったようである。
伊勢はあらかじめそれを知っていて、退位の日に帝が御覧になるように壁に歌を書いて
退出したのであろう。・・・
ところが、本書の同歌の「鑑賞」(43頁)を読んでたら、吃驚仰天だよ∑( ̄ロ ̄|||)にゃんですと!?
・・・壁に書きつけるという行為は、記念に残したいという強い気持ちの表れであり、
現在でも同様の行為が行われる。卒業した学校や旅行先の名所に、名前などを
書きつける行為が頭に浮かぶ。/・・・
まるで「旅行先の名所に、名前などを書きつける行為」を容認するかのような書き方なのはともかく、
ウダダの「目にとまることを期待し」「弘徽殿の壁に歌を書きつけ」て「宇多への思いを訴え」った
のではなくて、伊勢タンの「記念に残したいという強い気持ちの表れ」だとヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ かつて
誰でも受験できた時代に、18歳になった記念にと、東京大学を受験して「△△参上!」と机に落書き
してくるアホどもと、伊勢タンを同類視するんじゃねーよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
土佐守の任期が終わる数ヶ月前に可愛がってた我が子が病死した紀貫之が、土佐国から去る際に国府の
「館の柱」に「都へと思ふ心のわびしきは帰らぬ人のあればなりけり」という歌を書きつけて帰京した
話が『今昔物語集』等にあるが、コレも「記念に残したいという強い気持ちの表れ」かよヾ(`◇´)ノ
ちなみに、阪倉篤義&本田義憲&川端善明(校注)『新潮日本古典集成 今昔物語集 本朝世俗部一』
(新潮社,1978)の「附録」に「柱に書き残す歌のこと」という項目があり、『俊頼髄脳』『平家物語』
『東鑑』『承久記』『源氏物語』の諸例、更に柱ではなく「木立や岩や障子などに書き残された」例も
『大和物語』『伊勢物語』『撰集抄』から紹介しているけど、まさかコレらも「記念に残したいという
強い気持ちの表れ」と中島輝賢は解したりして((;゚Д゚)ヒィィィ! 小学生レヴェルの発想だよねぇ(^_^;)
タグ:和歌
2019-06-09 20:59
コメント(22)
宮中を去る悲しい想いを歌にして書き残したのに
若者の落書きと同じ扱いとは(°_°)
まさかの解説を堂々と本に書くとは(*_*)
今日は曇天で昼過ぎから雨だったので
ダラダラ&昼寝で午後が終了w
by ニッキー (2019-06-09 21:29)
記念カキコでぇ~す!(^o^)丿というバカっぽいギャルのイメージに(^_^;)
こちらは午後は雨も上がったんですが、夕方から再び降り出して一日終了(..)
by middrinn (2019-06-09 21:31)
こんばんは!梅雨冷えですね。
「記念」説は、全然同意できません。「源氏物語」の例は、父と母の離婚で母について家を出て行くことになった女の子が、育った家の慣れ親しんだ柱の割れ目に、紙に書いた歌を押し込んで残したのですが、これはやはり、家(=残る家族たち)に自分を忘れないで欲しいという気持ちの表れだったと思います。こういう気持ちを「記念」と表現するかしらねぇ?
by YURI (2019-06-09 21:35)
「桂に書き残す歌のこと」が紹介している『源氏物語』の例が、まさに
YURI様のおっしゃっる「真木柱」でした(^^) 岩原真代「「真木柱」に
よせる和歌 : 柱歌の系譜と住環境から」という論文をネットでチラッと
読み、「柱歌」という言葉を知りました^_^; 中島輝賢はアホかと^_^;
by middrinn (2019-06-09 21:48)
昔は現代と違って簡単に伝えられるSNSがないので
人前ではあまり知られたくはないような
そして周りには言いづらい
強い思いや気持ちが伝わることを願って
そっと残したりする様子が想像(推測)出来ます。
私は文学には疎いですが記念に残すといった
解釈はどうかされているかと思います。
中島輝賢氏は跡見学園中高の教諭、跡見女子大の講師を確かやられてたかと思います(違ってたらすいません)。
by たじまーる (2019-06-09 21:58)
伊勢タンが仕えていた女御温子がいた弘徽殿ですから、
ウダダが一時的な御座所として何処を利用するかとか
予想できて、ピンポイントでウダダしか気付かない壁
に書き残せたのかもしれませんね(^_^;) 本書の著者
紹介にもたしかに「跡見学園女子大学兼任講師」^_^;
by middrinn (2019-06-09 22:14)
便所のQ31.comとかお●●とかと同じレベルだったり(笑)。
伊勢さんならバンクシーより価値がでるかも。
by tai-yama (2019-06-09 23:27)
レポートの記憶、書庫から掲載誌が見つかって正しいものだといいですね。
by ナベちはる (2019-06-10 00:08)
たしかに、平安時代も後の方になると、
ここは伊勢の旧宅だからと、能因法師が
敬意を表して車から降りて通過したとか
tai-yama様、エピソードがあるぐらい
なので、美術品扱いになったかも(^_^;)
by middrinn (2019-06-10 06:05)
記憶力の衰えちゃった今でも、この程度なら、
ナベちはる様、大丈夫だと思います(^_^;)
by middrinn (2019-06-10 06:09)
日本も国民が選べるようになると良いですよね
そうすれば投票率も上がると思うんですが!
by そら (2019-06-10 06:25)
今なら山ちゃんが当籤したり(^_^;)
そして「世界の山ちゃん」に(^_^;)
by middrinn (2019-06-10 06:30)
おはようございます^^
米国の大統領選挙って面白いですものね。面白いなんて言うのも失礼だけれど。
今朝は19度くらいだったようです(当地) また毛の入った洋服に逆戻り(-。-
柱や壁に書き付ける行為って、相手にその気持ちを伝える行為? 何だか公にさらすようで
落ち着かないけれど・・・
by mimimomo (2019-06-10 08:06)
選挙になると血が騒ぐ人いますし(^_^;) 投票前の選挙区ごとの情勢分析記事とか
真剣に読んじゃいます(^_^;) 昨日からベストも着込んでます(^_^;) 祈りの歌や
形見の歌と「柱に書き残す歌のこと」は書いてましたが、多くの人に読んでもらう
目的でパブリックな場所に書きつける場合もあれば、相手しか目にしないであろう
場所に書き残す今回のような場合など、ケース・バイ・ケースな気がします(^_^;)
by middrinn (2019-06-10 08:25)
今のように本がある時代ではないですものね。発表する場って壁や柱だったのかも。
by mimimomo (2019-06-10 09:49)
この頃から歌合が開かれて作品発表の場となり、伊勢タンも呼ばれてます(^_^;)
紙に書く手紙が一番多そうですけど、秋山虔も上述しているように、伊勢タンの
方からウダダに文を使わすのは身分・立場的に難しかったのかもしれませんね(..)
by middrinn (2019-06-10 10:09)
今朝はほんと寒かったですね。
ツバメの雛たちが心配です。
先日撮った雛の写真載せましたので良かったらご覧ください(^^)
by 美美 (2019-06-10 19:04)
メチャ寒いですが、仕舞ってなかった冬物を着込んでます(^_^;)
ツバメさんの雛さんたち、寒がっていないか、心配ですよね(;_;)
by middrinn (2019-06-10 19:10)
ご訪問ありがとうございます。今日は こちらの方が気温高かったようですね。
関西も梅雨入りまだとか? こちら一週間先の予報でも雨マークナシで
庭も菜園も水不足です。
by cooper (2019-06-10 19:40)
今日は最高気温が17度もなかったですし、明日も雨予報です(´ヘ`;)
北海道は梅雨がありませんから、頑張ってお水を与えて下さい(^o^)丿
いつも彩り豊かなお花の御写真ですが、今日は高貴な感じですね(^^)
by middrinn (2019-06-10 19:58)
この方、同姓同名の別人でなければ、某有名大学で「『古今和歌集』入門」の公開講座を担当してますね。
こんな方に「入門」したくありませんね(^^;)
どんな解釈が飛び出してくるかわかりません。
by enokorogusa (2019-06-10 20:36)
「跡見学園女子大学兼任講師。大東文化大学、早稲田大学非常勤講師。」と
本書の著者紹介に(^_^;) 角川ソフィア文庫のビギナーズクラシックスでも
古今和歌集を担当してます(^_^;) 同シリーズの新古今和歌集も愚書でしたが、
同書の担当者である小林大輔と同じく、早稲田の出身っぽいですねぇ(^_^;)
by middrinn (2019-06-10 20:42)