201115読んだ本
知らない番号からの着信に出ず、ネット検索したらセールスと判明したので「迷惑」と電話帳登録(^^)
番号が表示されると出るべきか一瞬悩んじゃうが、次回から悩まずに済む〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
【読んだ本】
山中裕&秋山虔&池田尚隆&福長進(校注・訳)『新編日本古典文学全集32 栄花物語②』(小学館,1997)
山下道代は「和泉式部・・・は、・・・いわば素人の歌よみにすぎなかった」と断じているけれど、
和泉式部は屛風歌を依頼されてるから「素人の歌よみ」ではなく専門歌人だろうと昨日指摘(⌒~⌒)
その一つである寛仁2年(1018年)正月の藤原頼通の大饗の屛風歌のことは『栄花物語』にあるので、
本書128~130頁の現代語訳を和歌も補って引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・/この二十日過ぎのころには、摂政殿(頼通)の大饗が催されるはずだから、
そのための御屛風をお作りになることとて、しかるべき人々に一同歌を詠進するよう
割り当てられるが、大殿(道長)は、「自分も詠むことにしよう」と仰せられて、
世をあげての用意にお暇もおありでないのに、ともすれば端近にお出ましになって
思案に虚け苦吟していらっしゃる様子は、さまざま慶賀申すべく、御身の幸いといい、
御心柄といい、それがごりっぱでいらっしゃるのは当然のことながら、これほどの
ご多忙中の御心にもお忘れにならぬお気配りのほどは、もう申しあげようもない
お方でいらっしゃる。およそ和歌八十首が詠作されたが、選入されたものだけでさえ
全部は書きとめられない。
[藤原]大和守輔尹朝臣が、卯杖を、
常盤山生ひ連なれる玉椿君がさかゆく杖にとぞきる
(常盤山に連なり生えている美しい椿を、わが君がますます栄えゆくのを
寿いで杖に伐り取ることである)
大饗をしている図に、殿の御前(道長)、
君がりとやりつる使来にけらし野辺に雉子[きぎす]はとりやしつらん
(あなたのもとへと遣わした請客使が帰ってきたらしい。野辺の雉も
すでに捕えたことであろう)
春日の使が出立する図に、和泉式部、
春日野に年も経ぬべし神のます三笠の山に来たりと思へば
(春日野に何年も久しく過したくなるだろう。神の坐します三笠山に
やって来たと思えば)
山里に、水の湧き流れる所に客人の訪れた図に、[大中臣]祭主輔親、
この宿にわれをとめなん沢水に深き心のすみわたるべく
(この家に私をとめてほしい。沢水に心も深く澄みわたるように)
五月節、[藤原]輔尹、
競ぶべき駒も菖蒲の草もみな美豆[みづ]の御牧にひけるなりけり
(競馬のための駒も、菖蒲草も、どれもみな美豆の御牧から
ひいてきたものであった)
九月九日の図、殿の御前(道長)、
かくのみも菊をぞ人はしのびける籬にこめて千代を匂へば
(こうしてただ人々は菊をなつかしがっているのだった。
籬のなかに千歳の寿命を籠めて咲きにおう花であるから)
四条大納言(公任)が別に二首を詠進なさった。桜の花を見物する女車のある図を、
春の花秋の紅葉もいろいろに桜のみこそひと時は見れ
(春の花、秋の紅葉は色々に色づくが、桜の花だけは格別で
しばらく見入ってしまう)
もう一首は、紅葉のある山里に男の訪れた図に、
山里の紅葉見るとや思ふらん散り果ててこそ訪ふべかりけれ
(せっかく訪ねてきたのに、山里の紅葉を見るためにやって来たと
誤解されるかもしれない。すっかり散り果ててから訪ねるべきであった)
ほんとにたくさんあるけれど、書き尽くすことができない。/大饗は正月二十三日
である。・・・
和泉式部の「春日野に」の歌は清水文雄(校注)『和泉式部集・和泉式部続集』(岩波文庫,1983)の
正集に第二句が「千代も経ぬべし」となって入っているけど、詞書は「春歌」となっているだけで、
脚注にも頼通大饗のことは出てない(@_@;) このように詠作事情の注釈が無い同書は不便(´ヘ`;)
さて、本書130頁の頭注11は藤原公任の「山里の」の歌が勅撰集『後拾遺和歌集』に入集(第二句は
「紅葉見にとや」となっている)していることを指摘しているが、要注目なのは本書129頁の頭注17が
藤原道長の「君がりと」の歌も(初句が「君ませと」となっているけど)勅撰集『後拾遺和歌集』に
入集(本書130頁の頭注欄の解説は同大饗で藤原輔尹が詠んだ「むらさきもあけもみどりもうれしきは
春のはじめにきたるなりけり」も入集して道長の当該歌の前に置かれていると指摘)と指摘( ̄◇ ̄;)
この頼通大饗の屛風歌の選定について、道長はその日記『御堂関白記』に次のように記していたこと
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-13 )が思い出された(⌒~⌒)
・・・和歌は(大中臣)輔親・(藤原)輔尹・江式部(和泉式部)たちのものを、
各々定めて入選した。多くは気に入らなかった。私も、少々の和歌をここに入れた。
大納言(藤原公任)が一首入れたのに倣ったのである。
「道長は和歌に自信があるのかな(^_^;)」と前に書いたけど、勅撰集入集とは恐れ入りましたm(__)m
番号が表示されると出るべきか一瞬悩んじゃうが、次回から悩まずに済む〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
【読んだ本】
山中裕&秋山虔&池田尚隆&福長進(校注・訳)『新編日本古典文学全集32 栄花物語②』(小学館,1997)
山下道代は「和泉式部・・・は、・・・いわば素人の歌よみにすぎなかった」と断じているけれど、
和泉式部は屛風歌を依頼されてるから「素人の歌よみ」ではなく専門歌人だろうと昨日指摘(⌒~⌒)
その一つである寛仁2年(1018年)正月の藤原頼通の大饗の屛風歌のことは『栄花物語』にあるので、
本書128~130頁の現代語訳を和歌も補って引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・/この二十日過ぎのころには、摂政殿(頼通)の大饗が催されるはずだから、
そのための御屛風をお作りになることとて、しかるべき人々に一同歌を詠進するよう
割り当てられるが、大殿(道長)は、「自分も詠むことにしよう」と仰せられて、
世をあげての用意にお暇もおありでないのに、ともすれば端近にお出ましになって
思案に虚け苦吟していらっしゃる様子は、さまざま慶賀申すべく、御身の幸いといい、
御心柄といい、それがごりっぱでいらっしゃるのは当然のことながら、これほどの
ご多忙中の御心にもお忘れにならぬお気配りのほどは、もう申しあげようもない
お方でいらっしゃる。およそ和歌八十首が詠作されたが、選入されたものだけでさえ
全部は書きとめられない。
[藤原]大和守輔尹朝臣が、卯杖を、
常盤山生ひ連なれる玉椿君がさかゆく杖にとぞきる
(常盤山に連なり生えている美しい椿を、わが君がますます栄えゆくのを
寿いで杖に伐り取ることである)
大饗をしている図に、殿の御前(道長)、
君がりとやりつる使来にけらし野辺に雉子[きぎす]はとりやしつらん
(あなたのもとへと遣わした請客使が帰ってきたらしい。野辺の雉も
すでに捕えたことであろう)
春日の使が出立する図に、和泉式部、
春日野に年も経ぬべし神のます三笠の山に来たりと思へば
(春日野に何年も久しく過したくなるだろう。神の坐します三笠山に
やって来たと思えば)
山里に、水の湧き流れる所に客人の訪れた図に、[大中臣]祭主輔親、
この宿にわれをとめなん沢水に深き心のすみわたるべく
(この家に私をとめてほしい。沢水に心も深く澄みわたるように)
五月節、[藤原]輔尹、
競ぶべき駒も菖蒲の草もみな美豆[みづ]の御牧にひけるなりけり
(競馬のための駒も、菖蒲草も、どれもみな美豆の御牧から
ひいてきたものであった)
九月九日の図、殿の御前(道長)、
かくのみも菊をぞ人はしのびける籬にこめて千代を匂へば
(こうしてただ人々は菊をなつかしがっているのだった。
籬のなかに千歳の寿命を籠めて咲きにおう花であるから)
四条大納言(公任)が別に二首を詠進なさった。桜の花を見物する女車のある図を、
春の花秋の紅葉もいろいろに桜のみこそひと時は見れ
(春の花、秋の紅葉は色々に色づくが、桜の花だけは格別で
しばらく見入ってしまう)
もう一首は、紅葉のある山里に男の訪れた図に、
山里の紅葉見るとや思ふらん散り果ててこそ訪ふべかりけれ
(せっかく訪ねてきたのに、山里の紅葉を見るためにやって来たと
誤解されるかもしれない。すっかり散り果ててから訪ねるべきであった)
ほんとにたくさんあるけれど、書き尽くすことができない。/大饗は正月二十三日
である。・・・
和泉式部の「春日野に」の歌は清水文雄(校注)『和泉式部集・和泉式部続集』(岩波文庫,1983)の
正集に第二句が「千代も経ぬべし」となって入っているけど、詞書は「春歌」となっているだけで、
脚注にも頼通大饗のことは出てない(@_@;) このように詠作事情の注釈が無い同書は不便(´ヘ`;)
さて、本書130頁の頭注11は藤原公任の「山里の」の歌が勅撰集『後拾遺和歌集』に入集(第二句は
「紅葉見にとや」となっている)していることを指摘しているが、要注目なのは本書129頁の頭注17が
藤原道長の「君がりと」の歌も(初句が「君ませと」となっているけど)勅撰集『後拾遺和歌集』に
入集(本書130頁の頭注欄の解説は同大饗で藤原輔尹が詠んだ「むらさきもあけもみどりもうれしきは
春のはじめにきたるなりけり」も入集して道長の当該歌の前に置かれていると指摘)と指摘( ̄◇ ̄;)
この頼通大饗の屛風歌の選定について、道長はその日記『御堂関白記』に次のように記していたこと
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-13 )が思い出された(⌒~⌒)
・・・和歌は(大中臣)輔親・(藤原)輔尹・江式部(和泉式部)たちのものを、
各々定めて入選した。多くは気に入らなかった。私も、少々の和歌をここに入れた。
大納言(藤原公任)が一首入れたのに倣ったのである。
「道長は和歌に自信があるのかな(^_^;)」と前に書いたけど、勅撰集入集とは恐れ入りましたm(__)m
電話もPCのようにスパム・フィルターが
必要ですね。そんなサーヴィスがあっても
よさそうに思いますが。
by 爛漫亭 (2020-11-15 22:54)
折角、皆詠んでくれたのに、ほとんどがスパム和歌(笑)。
気に入ったものだけ電話帳に登録されたと。
by tai-yama (2020-11-15 23:05)
迷惑電話のフィルタリングサービスをスマホに入れました。
by nikki (2020-11-15 23:51)
知らない番号から掛かってきたら出ないのが良いですよね。
出て何か言われたら堪ったものではないので…(^^;
by ナベちはる (2020-11-16 00:35)
我が家は居ても留守番電話にしています。真面な用事の方が留守録を始めたら、判断して直ぐに出るようにしています(^_^)v
by yokomi (2020-11-16 00:53)
拙ブログはスパムコメント削除に時間をとられておりまして、
爛漫亭様、有効なスパムコメント対策が欲しいです(^_^;)
by middrinn (2020-11-16 06:00)
( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 特製ほとんどがスパム和歌座布団1枚 ♪
tai-yama様、勅撰集入集を「気に入ったものだけ電話帳に登録」も
言い得て妙ですし、なんだか絶好調ですねヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
by middrinn (2020-11-16 06:03)
迷惑メールの場合は、ソレをメールで報告するのに、
nikki様、通信料がかかりますが、迷惑電話の場合に
そーゆー不合理さが無いなら利用したいです(^_^;)
by middrinn (2020-11-16 06:07)
もしかして大事な用件かと思って出ようかどうしようかと、
ナベちはる様、迷いますが、出ない方が無難ですね(^_^;)
by middrinn (2020-11-16 06:10)
たしかに、相手が留守録に語る内容を聞いてから、
yokomi様、出るか判断するのがいいですね(^^)
by middrinn (2020-11-16 06:12)
最近はネット検索が出来るから便利ですね
ウチの妻も良く検索してます!
by そら (2020-11-16 06:34)
ネットに情報を上げて下さる人たち、有難いです(^^)
気になるので、念のため、検索してしまいます(^_^;)
by middrinn (2020-11-16 06:47)