200606読んだ本
ど根性ホタルブクロが向かいの家の石垣と側溝の隙間から沢山生えて咲いているのだが、散歩中の犬が
オシッコをかけ始めても制止しない飼い主がいたよヒィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 風情を解せぬ犬と飼い主(-ω-、)
【読んだ本】
谷沢永一『閻魔さんの休日』(文藝春秋,1983)所蔵本
佐伯彰一は、米文学・比較文学が専門だが、保守派の評論家としてだけでなく、自伝や伝記の研究を
開拓したことでも有名(´・_・`) 本書は谷沢永一の読書コラム166篇を収録しているが、その中の一篇
「文学読解に権威も定本もない」は、その冒頭で佐伯彰一の自伝研究を槍玉に挙げている( ̄◇ ̄;)
/佐伯彰一は『近代日本の自伝』(講談社)第九章で、右大将道綱の母を
「フィクション批判、アンチ物語宣言」の闘将に仕立てた。明記していないが
拠り所は『日本古典文学大系』(岩波書店)、彼女が「新しい自叙伝体の日記文学を
自照制作する意識を自信をもって告白」しているのだという変痴気論に、
気易く乗っかった暴走の産物である。しかし気の毒ながらこの藪睨み、実は
川口久雄の当て込み訓読なのである。/問題の個所は『蜻蛉日記』の冒頭、
「世の中におほかる古物語のはしなどを見れば、世におほかるそらごとだにあり、
人にもあらぬ身の上まで日記して、めづらしきさまにもありなむ、天下の人の、
品たかきやと、問はむためしにもせよかし、とおぼゆるも」と続く、この
「めづらしきさまにもありなむ」を川口久雄は、「人並ならぬ我が身の上を
日記に書くのも、類のない試みだから」と誤訳したので、故にこの一節は
意気転昂たる「宣言」なりと解され、〝翔んでる女〟平安朝版イッチョウあがり
となった次第だ。/この戦後メガネ偏向レンズが映し出す猛女像に閉口した
柿本奨は、『蜻蛉日記全注釈』(角川書店)に是正を試み、「めづらしき」の語は
先行の「だにあり」との関係で解すべく、「めづらしき」の上に「まして」が
入るような文勢であると念を押す。即ちこの一条の言うところは、「取るにたらぬ
身の上を書き記すような常識はずれのことは、ふつうの人のしないことで、
本日記は初めてのもの、それだけ奇異な感じが伴うだろう、と謙遜の気持をこめて」
の述懐なのである。/・・・
「即ちこの一条の言うところは」として谷沢永一が引用した柿本奨『日本古典評釈・全注釈叢書 蜻蛉
日記全注釈 上巻』(角川書店,1966)の「めづらしき」の語釈、これだけでは解り難いだろうから、
上記「『蜻蛉日記』の冒頭」の同書による訳を引いておく〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・世間にたくさん出ている昔物語の片端などをのぞくと、ありふれた作りごとでさえ、
ついてゆけないのに、なおのこと、ろくでもない身の上話まで書いたこの日記は、
読んでいただけるかしら、世間の女から、家柄の高い殿方の生活はどんなふう? と、
きかれたら、これを前例にでもしてくれるように、と、そんな気持だが、・・・
この『日本古典文学大系』の川口久雄による解釈への批判について、谷沢永一は次の如く続ける(^^)
・・・/この読解を最初に提示した石田穣二(『国文学〈解釈と鑑賞〉』
昭和37年11月)は、「だにあり」の用例を慎重に列挙し、「だにあり」の「あり」は
「存在の意味ではなく、その意味内容は、主として後文によってわかる仕組みに
なっている」と説く。そして問題の個所をザックバランに訳すなら、「世間に多い
古物語などをのぞいて見ると、世間に多い嘘八百の話でもそうなのに、(これは)
くだらない自分の身の上まで日記したものなのだから、よほど妙な物になってしまった
であろう」と解される。更に「多少裁ち落して簡明に砕けば、古物語よりこの作品の方が
よほど妙なものだろう」と、道綱の母は言うのである。/従って「甚だ工合の悪い事だが、
川口久雄が唄い上げて見せたような「古物語との対決だとか、古物語の否定、
それへの反撥といった、従来の定説は雲散霧消する」のだ。口当りよくカッコいい
『体系』説は、率直な石田穣二の見るところ、「あやふやな読解の上に立って
都合のよいシェーマを作ったというよりも、真相は、近代人に都合のよいシェーマを、
意味のよく取れない原文に押し付けた」結果であろう。「めづらしきさまにもありなん」
を謙辞と読み取れないのは、平安朝の語法に無知な故である。御時勢迎合の似非学者が
一知半解を乗せて走り、更に御丁寧にも評論家がその上に気合いで飛び乗り、
『蜻蛉日記』を読まないで『蜻蛉日記』を論ずる体の、颯爽たるアクロバットが
演じ続けられるのである。/佐伯彰一が石田穣二の論文を知らぬのは、掲載場所が
学界啓蒙誌ゆえ無理もない。しかし『蜻蛉日記全注釈』上下九百余頁の労作を
繙こうとさえせぬのは、もはや怠惰を通り越して言語道断である。門外漢でも
すぐ気の付くこのような失態に、元来は着実で勤勉な佐伯彰一が、なぜ今回に限って
不思議にも陥ったのか、その原因は恐らく簡単明瞭、『日本古典文学大系』に対する
故なき凭れ掛かりの信仰姿勢であろう。しかし『体系』全百巻の殆どは、既に死物と
化しているのだ。遅きに失するとは言え誰かに倣って、『体系』を捨てよ、広く個々の
篤実な注釈研究に即けと、お節介ながら一言さしはさみたい。/・・・
この後、この一篇は「巷間に流布する伝説」と「出所不明の怪しからぬ巷説」を紹介して、そもそも
『日本古典文学大系』が如何にトンデモナイ代物かを力説してて大変興味深いけど、前者については
前に取り上げてるし(⇒ https://yomunjanakatsuta-orz.blog.ss-blog.jp/2015-12-02 )、後者は
あまりにもヤバい内容なので省略する(^_^;)
昨日取り上げた柿本奨『日本古典評釈・全注釈叢書 蜻蛉日記全注釈 下巻』(角川書店,1966)の
「あとがき」に「・・・所によっては、諸説を挙げて批判めいたことをした。それは、諸説をできる
だけ挙げて批判するという『日本古典評釈全注釈叢書』の企画意図に添おうとしたからである。」と
あったので、この「めづらしき」の語釈でも『日本古典文学大系』の川口久雄による解釈を取り上げ
批判しているかと思ったら、言及すらしてなくて、上述の本書による要約・引用部分の後に「石田氏
(前掲誌)もいわれるごとく、古物語を否定して本日記を誇らしげに示すといった考えではない。」
とあるだけだった(´・_・`)
オシッコをかけ始めても制止しない飼い主がいたよヒィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 風情を解せぬ犬と飼い主(-ω-、)
【読んだ本】
谷沢永一『閻魔さんの休日』(文藝春秋,1983)所蔵本
佐伯彰一は、米文学・比較文学が専門だが、保守派の評論家としてだけでなく、自伝や伝記の研究を
開拓したことでも有名(´・_・`) 本書は谷沢永一の読書コラム166篇を収録しているが、その中の一篇
「文学読解に権威も定本もない」は、その冒頭で佐伯彰一の自伝研究を槍玉に挙げている( ̄◇ ̄;)
/佐伯彰一は『近代日本の自伝』(講談社)第九章で、右大将道綱の母を
「フィクション批判、アンチ物語宣言」の闘将に仕立てた。明記していないが
拠り所は『日本古典文学大系』(岩波書店)、彼女が「新しい自叙伝体の日記文学を
自照制作する意識を自信をもって告白」しているのだという変痴気論に、
気易く乗っかった暴走の産物である。しかし気の毒ながらこの藪睨み、実は
川口久雄の当て込み訓読なのである。/問題の個所は『蜻蛉日記』の冒頭、
「世の中におほかる古物語のはしなどを見れば、世におほかるそらごとだにあり、
人にもあらぬ身の上まで日記して、めづらしきさまにもありなむ、天下の人の、
品たかきやと、問はむためしにもせよかし、とおぼゆるも」と続く、この
「めづらしきさまにもありなむ」を川口久雄は、「人並ならぬ我が身の上を
日記に書くのも、類のない試みだから」と誤訳したので、故にこの一節は
意気転昂たる「宣言」なりと解され、〝翔んでる女〟平安朝版イッチョウあがり
となった次第だ。/この戦後メガネ偏向レンズが映し出す猛女像に閉口した
柿本奨は、『蜻蛉日記全注釈』(角川書店)に是正を試み、「めづらしき」の語は
先行の「だにあり」との関係で解すべく、「めづらしき」の上に「まして」が
入るような文勢であると念を押す。即ちこの一条の言うところは、「取るにたらぬ
身の上を書き記すような常識はずれのことは、ふつうの人のしないことで、
本日記は初めてのもの、それだけ奇異な感じが伴うだろう、と謙遜の気持をこめて」
の述懐なのである。/・・・
「即ちこの一条の言うところは」として谷沢永一が引用した柿本奨『日本古典評釈・全注釈叢書 蜻蛉
日記全注釈 上巻』(角川書店,1966)の「めづらしき」の語釈、これだけでは解り難いだろうから、
上記「『蜻蛉日記』の冒頭」の同書による訳を引いておく〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・世間にたくさん出ている昔物語の片端などをのぞくと、ありふれた作りごとでさえ、
ついてゆけないのに、なおのこと、ろくでもない身の上話まで書いたこの日記は、
読んでいただけるかしら、世間の女から、家柄の高い殿方の生活はどんなふう? と、
きかれたら、これを前例にでもしてくれるように、と、そんな気持だが、・・・
この『日本古典文学大系』の川口久雄による解釈への批判について、谷沢永一は次の如く続ける(^^)
・・・/この読解を最初に提示した石田穣二(『国文学〈解釈と鑑賞〉』
昭和37年11月)は、「だにあり」の用例を慎重に列挙し、「だにあり」の「あり」は
「存在の意味ではなく、その意味内容は、主として後文によってわかる仕組みに
なっている」と説く。そして問題の個所をザックバランに訳すなら、「世間に多い
古物語などをのぞいて見ると、世間に多い嘘八百の話でもそうなのに、(これは)
くだらない自分の身の上まで日記したものなのだから、よほど妙な物になってしまった
であろう」と解される。更に「多少裁ち落して簡明に砕けば、古物語よりこの作品の方が
よほど妙なものだろう」と、道綱の母は言うのである。/従って「甚だ工合の悪い事だが、
川口久雄が唄い上げて見せたような「古物語との対決だとか、古物語の否定、
それへの反撥といった、従来の定説は雲散霧消する」のだ。口当りよくカッコいい
『体系』説は、率直な石田穣二の見るところ、「あやふやな読解の上に立って
都合のよいシェーマを作ったというよりも、真相は、近代人に都合のよいシェーマを、
意味のよく取れない原文に押し付けた」結果であろう。「めづらしきさまにもありなん」
を謙辞と読み取れないのは、平安朝の語法に無知な故である。御時勢迎合の似非学者が
一知半解を乗せて走り、更に御丁寧にも評論家がその上に気合いで飛び乗り、
『蜻蛉日記』を読まないで『蜻蛉日記』を論ずる体の、颯爽たるアクロバットが
演じ続けられるのである。/佐伯彰一が石田穣二の論文を知らぬのは、掲載場所が
学界啓蒙誌ゆえ無理もない。しかし『蜻蛉日記全注釈』上下九百余頁の労作を
繙こうとさえせぬのは、もはや怠惰を通り越して言語道断である。門外漢でも
すぐ気の付くこのような失態に、元来は着実で勤勉な佐伯彰一が、なぜ今回に限って
不思議にも陥ったのか、その原因は恐らく簡単明瞭、『日本古典文学大系』に対する
故なき凭れ掛かりの信仰姿勢であろう。しかし『体系』全百巻の殆どは、既に死物と
化しているのだ。遅きに失するとは言え誰かに倣って、『体系』を捨てよ、広く個々の
篤実な注釈研究に即けと、お節介ながら一言さしはさみたい。/・・・
この後、この一篇は「巷間に流布する伝説」と「出所不明の怪しからぬ巷説」を紹介して、そもそも
『日本古典文学大系』が如何にトンデモナイ代物かを力説してて大変興味深いけど、前者については
前に取り上げてるし(⇒ https://yomunjanakatsuta-orz.blog.ss-blog.jp/2015-12-02 )、後者は
あまりにもヤバい内容なので省略する(^_^;)
昨日取り上げた柿本奨『日本古典評釈・全注釈叢書 蜻蛉日記全注釈 下巻』(角川書店,1966)の
「あとがき」に「・・・所によっては、諸説を挙げて批判めいたことをした。それは、諸説をできる
だけ挙げて批判するという『日本古典評釈全注釈叢書』の企画意図に添おうとしたからである。」と
あったので、この「めづらしき」の語釈でも『日本古典文学大系』の川口久雄による解釈を取り上げ
批判しているかと思ったら、言及すらしてなくて、上述の本書による要約・引用部分の後に「石田氏
(前掲誌)もいわれるごとく、古物語を否定して本日記を誇らしげに示すといった考えではない。」
とあるだけだった(´・_・`)
「世間に多い古物語などをのぞいて見ると、世間に多い嘘八百の話で
もそうなのに、(これは)くだらない自分の身の上まで日記したもの
なのだから、よほど妙な物になってしまったであろう」
・・・・私のBlogのことだったり(笑)。
by tai-yama (2020-06-06 19:05)
家柄の高い殿方の生活はどんなふう? と、きかれたら、
貴ブログを前例にでもしてくれるように、と(⌒~⌒)ニヤニヤ
by middrinn (2020-06-06 19:15)
犬の飼い主さん、肥料をあげてるつもりとか(*_*)
川沿いでもたくさんのわんこの散歩をされてますが
中には「ハァ?」って方もいらっしゃって・・・(ー ー;)
ほとんどの方はとてもマナーの良い方たちなんですけどねぇ(´・_・`)
by ニッキー (2020-06-06 22:00)
犬の飼い主さんには、犬に「今やってはいけないことをやっている」と教えてほしかったですね(+o+)
by ナベちはる (2020-06-07 00:38)
犬がオシッコをかけてることを知らずに、
ニッキー様、ホタルブクロを愛でる人が
出てきたら、お気の毒ですねぇ(´ヘ`;)
by middrinn (2020-06-07 05:16)
ウチのツツジの花に対しては犬は嗅ぐだけなので、
ナベちはる様、犬の好みじゃなかったのかも(..)
by middrinn (2020-06-07 05:19)
そういう飼い主さんは困り者ですねぇ
先日はうん○をしてもそのまま行っちゃった飼い主さんを見ました
私が子供の頃は良く踏んでたなぁ、うん○(^^;
by そら (2020-06-07 07:45)
お犬様の好きな所でオシッコさせて気持ちよくさせることを
優先したのかもしれませんけど、配慮が欲しいです(@_@;)
踏まなくなったのは処理する飼い主が増えたからかしら(^^)
by middrinn (2020-06-07 08:06)
うちの犬にはなるべく住宅地ではさせないようにしてます。
住宅地っていうのが少ないっていうのがミソなんですが^^
近所はほとんど草むらとか畑とか山!
だからか、させてる飼い主、多いかも・・・
by Cazz (2020-06-07 09:59)
住宅地でも居住者が許容している所で後始末をされるなら問題ないですし、
ホタルブクロ、しかも、ど根性ホタルブクロだったのに、当該飼い主には
単なる雑草という程度の認識なのかなぁとガッカリした次第です(^_^;)
可愛~いゴン様の肝臓(胆嚢)の数値が早く良くなりますよーに(^o^)丿
by middrinn (2020-06-07 12:26)
『蜻蛉日記』は『新編日本古典文学全集13 土佐日記 蜻蛉日記』
小学館,1995、蜻蛉日記部分は木村正中・伊牟田経久 校注・訳)
で一度読んだだけですが、読んでて楽しくはなかったですね・・・
藤原道綱母自身が不遇?だったからでしょうか。
by enokorogusa (2020-06-08 19:20)
木村正中&伊牟田経久(校注・訳)『完訳 日本の古典11 蜻蛉日記』(小学館,1985)
なら持ってます(^o^)丿 紐が2本あって便利ですが、細目次が無くて不便です(^_^;)
堀辰雄が小説化してますし(『かげろふの日記・曠野』[角川文庫,1951→76改版])
家集が付いてる上に本文にも和歌が多いので、期待できるかなぁと思いまして(^_^;)
拾い読みした限りでは、自信のあった歌作でも不遇(?)だったみたいですね(^_^;)
by middrinn (2020-06-08 19:41)