200303読んだ本
フィギュアとか全く買う気はないけれど、「あみあみ」から届くメルマガは愉しく拝見している(⌒~⌒)
【読んだ本】
萩谷朴『風物ことば十二カ月』(新潮選書,1998)所蔵本
深沢眞二&深沢了子編『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 春夏編』(三弥井古典文庫,2015)を引く(^^)
/「雛祭り」は、江戸時代初期に、現在まで続いているようなスタイルの行事になった
のであるが、人々は男雛女雛一対の雛人形を帝と后になぞらえて「内裏雛」と称し、
いわば宮中のミニチュアをそこに見出した。芭蕉が詠む雛人形の発句にも、
帝への意識がある。
5 芭蕉の発句
大裏雛人形天皇の御宇とかや (『江戸広小路』)
「大裏雛」は「内裏雛」に同じ。「御宇」は天皇の治世の期間を言う。「人形天皇」の
治世のことだったであろうか(そんな名の天皇がいたはずがないが)と内裏雛を見て
昔を偲ぶ、という内容の句である。この言い回しには謡曲の典拠がある。「杜若」に
おいて杜若の精が『伊勢物語』のことを語るくだりに、「仁明天皇の御宇[ぎょお]
かとよ、いともかしこき勅をうけて」とあるのがそれである。つまり、この句は
謡曲の一節をダジャレによって内裏雛と強引に結びつけた、言葉遊び主体の句なのである。
芭蕉はこの時まだ若く、談林風に染まっていた頃だった。雛人形を帝位につけてしまう
ところが、価値の転倒をも意に介さない談林風の奔放な想像力と言えよう。ちなみに、
「御宇」はギョ・ウでなく謡曲のようにギョオと発音する方がよさそうだ。/
芭蕉は37歳頃から「作風に微妙な変化が生じている」として、それには、この「談林俳諧が少しずつ
行きづまりつつあったことも関係している」と、井本農一『芭蕉入門』(講談社学術文庫,1977)は
指摘して、次のように解説している(^^)
・・・/談林俳諧はその斬新な滑稽によって俳壇を風靡し、俳諧をする人々は
どんどんとふえ、俳諧宗匠の職業的地位も安定してきました。ところが斬新を
生命とするだけに行きづまりも早く、談林俳諧が世にもてはやされ出して、七、八年で、
新しさがなくなってきたのです。/古典をもじる滑稽も種が尽きてきます。
同じ趣向を二度三度使えば、ちっともおかしくなくなります。日本の古典ばかりでなく、
中国の古典も種にするようになりましたが、人が読んで「ああ、あれを使っているな」と
すぐわかる古典でなくては、使う意味がありませんから、その種も尽きてきます。/・・・
ところが、本書の「雛まつり」の項、萩谷朴が、この芭蕉の句を引いて次のように述べているのは、
種が分からなかったことに加えて芭蕉の作風の変化を無視した牽強付会な解釈ではないかと(@_@;)
・・・/しかも、平安京の公家政治が、鎌倉幕府の武家政治に実権を奪われ、
朝廷の権威が全く地に落ちた室町時代に、武家の支配を超えた昔の王朝文化を
懐かしむ庶民の気持ちが、その雛祭りの人形に、内裏雛という権威ある形式を
整えさせて、今日に到ったものでございます。/この芭蕉の句には、
寧ろ有名無実となった朝廷の権威を諷刺した、寸鉄人を刺す鋭いものがある
と申せましょう。/
【読んだ本】
萩谷朴『風物ことば十二カ月』(新潮選書,1998)所蔵本
深沢眞二&深沢了子編『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 春夏編』(三弥井古典文庫,2015)を引く(^^)
/「雛祭り」は、江戸時代初期に、現在まで続いているようなスタイルの行事になった
のであるが、人々は男雛女雛一対の雛人形を帝と后になぞらえて「内裏雛」と称し、
いわば宮中のミニチュアをそこに見出した。芭蕉が詠む雛人形の発句にも、
帝への意識がある。
5 芭蕉の発句
大裏雛人形天皇の御宇とかや (『江戸広小路』)
「大裏雛」は「内裏雛」に同じ。「御宇」は天皇の治世の期間を言う。「人形天皇」の
治世のことだったであろうか(そんな名の天皇がいたはずがないが)と内裏雛を見て
昔を偲ぶ、という内容の句である。この言い回しには謡曲の典拠がある。「杜若」に
おいて杜若の精が『伊勢物語』のことを語るくだりに、「仁明天皇の御宇[ぎょお]
かとよ、いともかしこき勅をうけて」とあるのがそれである。つまり、この句は
謡曲の一節をダジャレによって内裏雛と強引に結びつけた、言葉遊び主体の句なのである。
芭蕉はこの時まだ若く、談林風に染まっていた頃だった。雛人形を帝位につけてしまう
ところが、価値の転倒をも意に介さない談林風の奔放な想像力と言えよう。ちなみに、
「御宇」はギョ・ウでなく謡曲のようにギョオと発音する方がよさそうだ。/
芭蕉は37歳頃から「作風に微妙な変化が生じている」として、それには、この「談林俳諧が少しずつ
行きづまりつつあったことも関係している」と、井本農一『芭蕉入門』(講談社学術文庫,1977)は
指摘して、次のように解説している(^^)
・・・/談林俳諧はその斬新な滑稽によって俳壇を風靡し、俳諧をする人々は
どんどんとふえ、俳諧宗匠の職業的地位も安定してきました。ところが斬新を
生命とするだけに行きづまりも早く、談林俳諧が世にもてはやされ出して、七、八年で、
新しさがなくなってきたのです。/古典をもじる滑稽も種が尽きてきます。
同じ趣向を二度三度使えば、ちっともおかしくなくなります。日本の古典ばかりでなく、
中国の古典も種にするようになりましたが、人が読んで「ああ、あれを使っているな」と
すぐわかる古典でなくては、使う意味がありませんから、その種も尽きてきます。/・・・
ところが、本書の「雛まつり」の項、萩谷朴が、この芭蕉の句を引いて次のように述べているのは、
種が分からなかったことに加えて芭蕉の作風の変化を無視した牽強付会な解釈ではないかと(@_@;)
・・・/しかも、平安京の公家政治が、鎌倉幕府の武家政治に実権を奪われ、
朝廷の権威が全く地に落ちた室町時代に、武家の支配を超えた昔の王朝文化を
懐かしむ庶民の気持ちが、その雛祭りの人形に、内裏雛という権威ある形式を
整えさせて、今日に到ったものでございます。/この芭蕉の句には、
寧ろ有名無実となった朝廷の権威を諷刺した、寸鉄人を刺す鋭いものがある
と申せましょう。/
タグ:俳諧
人形天皇は仁明(にんみょう)天皇の
もじりということですね。謡曲がそれだけ
日常に浸透していたのでしょうね。
by 爛漫亭 (2020-03-03 19:28)
なのに萩谷朴は(幕府の操り)人形と解したのかも(^_^;)
謡曲は全く知らないので、勉強せねばと思いました(^_^;)
by middrinn (2020-03-03 19:36)
ひな飾り、うちも妹がいたから親が飾ってましたが
私が一番楽しみだったのはひなあられでしたw
萩谷朴の解釈はなかなか辛辣ですねぇ(⌒-⌒; )
by ニッキー (2020-03-03 20:23)
我が家では、何段もあるような立派なのは、
飾られていた記憶が無いですねぇ(@_@;)
by middrinn (2020-03-03 20:34)
幕府のお飾りなので人形(傀儡)天皇と言う(萩谷さん)説もあるん
ですね。皇族を模した令和風の雛人形とかあれば・・・
(仮)弁護士とかも居たり(笑)。
by tai-yama (2020-03-03 23:36)
「あみあみ」、アイドルマスターシンデレラガールズのライブのときに提供で名前を見たことがあります。
by ナベちはる (2020-03-04 00:46)
(仮)弁護士???・・・しばし考えてしまいました(^_^;)
tai-yama様は結婚・婚約ネタが気になるのかしら(^_^;)
by middrinn (2020-03-04 06:28)
そーなると、「あみあみ」は「駿河屋」と並んで
ナベちはる様、急成長している企業かも(^_^;)
by middrinn (2020-03-04 06:30)
フィギュアは右に同じ(^_^)v
行き詰まりを感じて芭蕉は諸国を徘徊したのでしょうか? 詠み人勉強不足(^_^;)
by yokomi (2020-03-05 11:04)
『おくのほそ道』の奥羽・北陸の旅などは歌枕巡礼が目的です(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-17
by middrinn (2020-03-05 15:56)