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240321読んだ本

蓄積した疲労で身体はダルいし、メチャ寒く感じるので、今日は何もヤル気ナシオン主権(-ω-、)

【読んだ本】

秋吉茂『にっぽん歴史秘話』(河出文庫,1989)所蔵本

追討されることを知った安倍頼時が一族を連れて「胡国」(地理的には北海道)へ移住しようとした
という説話を紹介している『今昔物語集』『宇治拾遺物語』は、その証言をしたのは子の宗任である
とし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-06-17 )、「・・・/体験談を
漏らした宗任は、頼時らの戦死をよそに投降し、都に連行されて伊予に流されたが、脱走をはかって、
大宰府に移された。・・・説話の語るところを含めるなら、その足跡は北海道・本州・四国・九州に
またがり、みずから好んでそうしたのではないが、余人に不可能な広い行動半径を見せた・・・」と
三木紀人『日本周遊古典の旅』(新潮選書,1990)(^^) 西行の作と伝えられている和歌(久保田淳&
吉野朋美[校注]『西行全歌集』[岩波文庫,2013]に載ってないんだから、おそらく偽作だろう)
が全国各地にあるようだけど、安倍宗任が詠んだとされる和歌も(奥羽や都ではない)意外な場所に
残ってたりして(^_^;) なお、細かいことだけど、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』は「宗任法師」
が「体験談」を語ったのは「筑紫」においてと記している(^_^;)

    /前九年の役で朝廷側を手こずらせた奥羽の安倍宗任の墓が、北九州の離れ島・大島
    (福岡県宗像郡大島村)の安昌院境内にあることは、ご存知ですか。/境内の大榎の
    下にある宝篋印塔[ほうきょういんとう]がそれで、宗任が寄進した菩提寺の安昌院
    の過去帳には、「安昌院殿海音高潮大居士」天仁元年(一一〇八)二月四日没とある。
    ・・・

    ・・・兄[貞任]戦死後に捕えられた。[源]義家の計らいで、「京都から伊予に
    流され、のち大宰府に移された。生没年不明」と『日本史辞典』(高柳光寿・竹内理三
    編)にあるが、捕われた三年後に宗任は子や従者らとともに大島に移され、奥州から
    捧持してきた毘沙門天像を祀るため、一寺を建立している。法号からみても、およそ
    流人らしくない自由と権限を与えられていたのだろう。/・・・

本書の「福岡」の「玄海の島に安倍宗任の墓」から引いたが、宗任も「貴種」になるのかな(@_@;)
タグ:説話 歴史
コメント(2) 

コメント 2

tai-yama

前九年の役で朝敵とされているので犯罪者扱いかと。
安倍頼時は北海道へ渡り、その後大陸に行き、モンゴルへ。
そしてジンギス・・・・・。
by tai-yama (2024-03-21 23:00) 

middrinn

更に〈宗任の長男の宗良は大島権頭となり、「大島太郎」を称した。〉と本書は続くし、
『今昔物語集』『宇治拾遺物語』の注釈書に松浦氏の祖先になったという伝承(@_@;)
by middrinn (2024-03-22 05:29) 

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