SSブログ

240308読んだ本

修学旅行の思い出は帰宅直前に寄ったコンビニのレジのお姉さんが美人だったことと言う男再び(^^)v
朝までの雪に確定申告断念も昼前には日差しで積もった雪も融けたので街まで歩いて往復し疲労(+_+)

【読んだ本】

武内はる恵&林マリヤ&吉田ミスズ『私家集全釈叢書12 相模集全釈』(風間書房,1991)所蔵本

相模の夫だった大江公資が大外記のポストを希望して承認されそうだったのに藤原実資の発言により
列席者が爆笑して却下されてしまったとされる話は有名だけど、当該発言を、訓み読し文は藤岡忠美
(校注)『新日本古典文学大系29 袋草紙』(岩波書店,1995)から、口語訳は小沢正夫&後藤重郎&
島津忠夫&樋口芳麻呂『袋草紙注釈 上』(塙書房,1974)から、それぞれ引く(^_^;)

    相模を懐抱して秀歌を案ずるの間、公事闕如するか

    彼は相模を抱いてうまい歌を考えているから、公務を怠るだろう

好色とされる藤原実資の面目躍如か(^_^;) しかし、大江公資は「秀歌」を詠むことに御執心だった
点に着目すべきかと(@_@;) 大江公資は、旅の歌人として知られる能因法師との親交があった(と
藤原清輔の歌学書『袋草紙』が伝えている)のに、相模守の任を終えて帰京する際に次のような歌を
詠んでいるのが不審(@_@;) 久保田淳&平田喜信(校注)『新日本古典文学大系8 後拾遺和歌集』
(岩波書店,1994)から訳も含めて引く(@_@;)

      相模守にてのぼり侍りけるに、老曾[おいそ]の森のもとにて
      ほとゝぎすを聞きてよめる

    東路[あづまぢ]のおもひでにせんほとゝぎす老曾の森の夜半[よは]の一こゑ

     この東国からの道のりの思い出にしよう。老曾の森で聞いたほととぎすの夜半の一声を。

犬養廉&平野由紀子&いさら会『笠間注釈叢刊18 後拾遺和歌集新釈 上巻』(笠間書院,1996)で
佐藤久美子は近江国の老曽の森を「ほととぎすと結びつけたのはこの歌が最初。」と指摘してるし、
藤本一恵『後拾遺和歌集全釈 上巻』(風間書房,1993)では「・・・公資のこの歌が後世歌人どもの
範歌となっていたことが知られる。」と指摘されているので、「秀歌」と言って良いかと\(^o^)/

不審に思ったのは、5年前に菅原孝標女が上総国から帰京した際には多くの歌枕や名勝を見て『更級
日記』に書き残しているのに、大江公資は相模国から京までの長い「道のり」での「思い出」が旅の
終わりに近い近江国の「老曾の森」での「ほととぎす」というのは「まるで、修学旅行の思い出が、
その帰り道、自宅近くのコンビニのレジのお姉さんがキレイだったことだけ、と言うのに等しいかと
(-ω-、) 」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-05-14 )(^_^;) 大江公資
は妻の相模とは相模国でも上手くいかず帰京後に別れてしまったことから、この歌の含意を小生は、

    相模国では妻(相模)との関係が上手くいかなかったから思い出になるような
    ことはなかったし、この道中も妻と一緒だから、富士山を観たり名勝や歌枕を
    通っても気分は晴れなかったよ(-ω-、) でも、チョー気まずかった長~い旅路も、
    ついに近江国まで来て、京都も目の前だから、老蘇森のホトトギスの声にはホント
    癒されたよなぁ(〃'∇'〃)

と「深読み」した上で「修学旅行先では同級生の彼女とケンカばかりで楽しい思い出は作れなかった
けど、その帰り道に自宅近くのコンビニのレジでキレイなお姉さんに遭遇したことだけが、修学旅行
の唯一楽しい思い出になってしまった、といった感じか^_^; 」という「喩え」話を記したわけだが
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-05-15 )、本書に次の件が(@_@;)

    ・・・相模はこの機会に夫の愛をとり戻そうとも思ったのだろう。公資と一緒に相模国
    へ下ったのである。途次浜名の渡、小夜の中山などの歌枕や、眼下に広がる海、目前に
    そびえる富士山を生まれて初めて見たことだろうが、何の感興も催さなかったらしい。
    家集にそれらを詠んだ歌はない。・・・

    ・・・万寿二年(一〇二五)初夏相模は公資と共に上京した。・・・

相模は「相模国へ下った」際に歌枕や名勝について「家集にそれらを詠んだ歌はない」由、「夫の愛
をとり戻」せなかった「上京」時も気持ちは沈み、大江公資も「チョー気まずかった」旅かと(^_^;)

なお、本書=「家集に[は]・・・ない」けれど、相模が「永承四年[1049年]内裏歌合」で詠んだ
「いつとなく心そらなるわが恋や富士の高嶺にかかる白雲」(『袋草紙』は初句が「よとともに」)
が『後拾遺和歌集』に入集しており、この歌は「富士山を・・・見たこと」による「感興」に基づく
ものなのかな(ちなみに、富士山と言えばフツー煙なのに雲を詠んでて、相模の野心作か)(@_@;)
本書にも、「いつとなくこひするがなるうど浜のうとくも人のなりまさるかな」と駿河国の有度浜、
「世の中をうち嘆きつつ近江なるやすきこととはねをのみぞなく」と近江国の野洲などなど相模国と
京の間の歌枕を詠み込んだ歌(@_@;) とまれ、本書を読んで大江公資の歌を更に「深読み」(^o^)丿

[追記240309]

本書の走湯権現奉納百首及びその贈答歌の276、375、480が「富士山の雪」で煙も詠んでる_φ( ̄^ ̄ )
タグ:和歌
コメント(5) 
共通テーマ:

コメント 5

tai-yama

下手に奥さんの方が目立っていたので気に食わなかったのかも。
修学旅行や遠足ならバスガイドさんも若くて綺麗に見えると言う(笑)。
by tai-yama (2024-03-09 19:20) 

middrinn

年齢差があったことと相模が歌に夢中だったことが原因という説も(@_@;)
by middrinn (2024-03-10 04:58) 

ぽ村

どんなところ行った修学旅行だったんだろう‥あまりにも印象が薄すぎるのか

それとも何もかも上塗りしてしまうほど超美人店員だったのか…
by ぽ村 (2024-03-11 20:27) 

middrinn

〈「喩え」話を記した〉と明記したように、「帰り道に自宅近くの
コンビニのレジでキレイなお姉さんに遭遇」=「旅の終わりに近い
近江国の」「老曾の森で聞いたほととぎすの夜半の一声」(+_+)
by middrinn (2024-03-12 04:31) 

ぽ村

ヽ(・ω・)/ズコー

やだもう奥さんったらをほほほw

by ぽ村 (2024-03-12 23:51) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。