240226読んだ本
てゆーか、今更なことなんだけどさ、書物の記述内容を正しく理解することはマジで難しい(@_@;)
晴れて気温上昇も寒く感じるのは、風が強いため、風邪を引いたから、どちらに解すべきか(@_@;)
【読んだ本】
倉本一宏(日本歴史学会編集)『一条天皇』(吉川弘文館人物叢書,2003新装版)所蔵本
・・・/この頃、定子所生皇子女に対する道長の対応には、明らかに変化が
生じている。四月二十四日、一条が、病悩している媄子[びし]内親王の加持
を奉仕した文慶阿闍梨を権律師に任じることを道長に提案したが、道長はこれ
に難色を示している(『御堂関白記』)。/・・・
本書の上記件を道長の「難色」によって文慶は権律師に任命されなかったと受け取った小生(@_@;)
ところが、ここで典拠とされている藤原道長の日記『御堂関白記』の寛弘5年(1008年)4月24日条を
倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』(講談社学術文庫,2009)で確認したら、
二十四日、甲寅。 一条天皇、文慶を権律師に任じることを仰す
・・・(藤原)広業朝臣が来て、天皇の仰せを伝えて云ったことには、
「女二内親王(媄子[よしこ]内親王)が病まれた事は、平癒することが
できた。阿闍梨文慶が、数日、修善を奉仕したことによって。効験を得た
のである。文慶を権律師に任じるのは如何であろう」と。奏上して云った
ことには、「先日、文慶を褒賞なされよと奏上しましたのに、重ねて仰せ
が有るのですな。ただ、天皇の仰せに随います」と。道方朝臣が来て、
天皇の仰せを伝えて云ったことには、「文慶を権律師に任じよ」と。すぐに
官符を作成するよう命じた。夜に入って、文慶が土御門第に来て、慶賀を
申した。大褂を授けた。/
道長は嫌味を述べながらも一条天皇の「提案」に賛成してて、結局は任命されたんじゃん( ̄◇ ̄;)
この「難色を示している」とされた道長の奉答を訓読文で確認しようと、国際日本文化研究センター
「摂関期古記録データベース」で検索した(@_@;)
・・・広業朝臣、来たり、仰せて云はく、「女二内親王の悩み給ふ事、尋常を得。
阿闍梨文慶、数日、修善を奉仕し駆け得るなり。彼を以て権律師に任ずるは如何」
てへり。奏して云はく、「先日、賞せらるべき由を奏するに、重ねて仰せ有り。
只、仰せに随ふべし」てへり。道方朝臣、来たりて云はく、「文慶を以て権律師に
任ずべし」てへり。即ち官符を造るべき由を仰す。夜に入りて、文慶、来たりて、
慶びの由を云ふ。大褂を授く。/
この訓読文なら「先日、文慶を褒賞なされよと奏上しましたところ、重ねて仰せが有り、ただ、天皇
の仰せに随います」とも訳せそうに思えるのだが(@_@;) 倉本一宏の「先日、文慶を褒賞なされよ
と奏上しましたのに、重ねて仰せが有るのですな。ただ、天皇の仰せに随います」という現代語訳は
「定子所生皇子女に対する道長の対応」の「変化」を言わんがための解釈のような気もする(@_@;)
晴れて気温上昇も寒く感じるのは、風が強いため、風邪を引いたから、どちらに解すべきか(@_@;)
【読んだ本】
倉本一宏(日本歴史学会編集)『一条天皇』(吉川弘文館人物叢書,2003新装版)所蔵本
・・・/この頃、定子所生皇子女に対する道長の対応には、明らかに変化が
生じている。四月二十四日、一条が、病悩している媄子[びし]内親王の加持
を奉仕した文慶阿闍梨を権律師に任じることを道長に提案したが、道長はこれ
に難色を示している(『御堂関白記』)。/・・・
本書の上記件を道長の「難色」によって文慶は権律師に任命されなかったと受け取った小生(@_@;)
ところが、ここで典拠とされている藤原道長の日記『御堂関白記』の寛弘5年(1008年)4月24日条を
倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』(講談社学術文庫,2009)で確認したら、
二十四日、甲寅。 一条天皇、文慶を権律師に任じることを仰す
・・・(藤原)広業朝臣が来て、天皇の仰せを伝えて云ったことには、
「女二内親王(媄子[よしこ]内親王)が病まれた事は、平癒することが
できた。阿闍梨文慶が、数日、修善を奉仕したことによって。効験を得た
のである。文慶を権律師に任じるのは如何であろう」と。奏上して云った
ことには、「先日、文慶を褒賞なされよと奏上しましたのに、重ねて仰せ
が有るのですな。ただ、天皇の仰せに随います」と。道方朝臣が来て、
天皇の仰せを伝えて云ったことには、「文慶を権律師に任じよ」と。すぐに
官符を作成するよう命じた。夜に入って、文慶が土御門第に来て、慶賀を
申した。大褂を授けた。/
道長は嫌味を述べながらも一条天皇の「提案」に賛成してて、結局は任命されたんじゃん( ̄◇ ̄;)
この「難色を示している」とされた道長の奉答を訓読文で確認しようと、国際日本文化研究センター
「摂関期古記録データベース」で検索した(@_@;)
・・・広業朝臣、来たり、仰せて云はく、「女二内親王の悩み給ふ事、尋常を得。
阿闍梨文慶、数日、修善を奉仕し駆け得るなり。彼を以て権律師に任ずるは如何」
てへり。奏して云はく、「先日、賞せらるべき由を奏するに、重ねて仰せ有り。
只、仰せに随ふべし」てへり。道方朝臣、来たりて云はく、「文慶を以て権律師に
任ずべし」てへり。即ち官符を造るべき由を仰す。夜に入りて、文慶、来たりて、
慶びの由を云ふ。大褂を授く。/
この訓読文なら「先日、文慶を褒賞なされよと奏上しましたところ、重ねて仰せが有り、ただ、天皇
の仰せに随います」とも訳せそうに思えるのだが(@_@;) 倉本一宏の「先日、文慶を褒賞なされよ
と奏上しましたのに、重ねて仰せが有るのですな。ただ、天皇の仰せに随います」という現代語訳は
「定子所生皇子女に対する道長の対応」の「変化」を言わんがための解釈のような気もする(@_@;)
実際に風は強かったので、気温上昇を寒く感じるのは「風が強かったから」で大丈夫だと思います!
by ナベちはる (2024-02-26 18:19)
ですかね(^_^;) とりあえず、勿体無いので
パブロンは服用しないことにしました(^_^;)
ナベちはる様、お誕生日おめでとう\(^o^)/
by middrinn (2024-02-26 18:28)
定子の子という、憎しみのバイアスもあるのだろうけど・・・
彰子の子だったら、天皇が仰せつかわなくても権律師にしたんだろうな。
by tai-yama (2024-02-26 22:45)
もし「憎しみ」を抱くほどなら、道長は生霊となって
定子や「定子所生皇子女」を早世させたとか(^_^;)
by middrinn (2024-02-27 05:19)