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240117読んだ本

頭を使わずに読んだり書いたりしてる人が( ̄◇ ̄;)ヾ( ̄o ̄;)オイオイあれでも頭を使ってんだよ!

【読んだ本】

駒田信二『漢詩名句 はなしの話』(文春文庫,1982)所蔵本

今回(前回⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2024-01-15 )は日本の頼山陽の
「泊天草洋(天草洋[なだ]に泊す)」から「雲か山か呉か越か」(^_^;) 第一句と第二句を(^_^;)

    雲耶山耶呉耶越 雲か山か呉か越か
    水天髣髴靑一髪 水天髣髴青一髪

     雲だろうか山だろうか、それとも呉の国だろうか越の国だろうか、
     海と空との境もわからない遙かかなたに、ひとすじの髪のように
     青く見えるあれは。

「・・・九州に遊んで肥後(熊本県)の天草灘に舟泊りしたときの作。」の由(^_^;) 後半に収録の
「九州紀行」の通しタイトルとされて書名にも使われている牧野武夫『雲か山か 出版うらばなし』
(中公文庫,1976)は「・・・あるブログで本書の目次を初めて見て一目惚れし・・・」、やっと手
に入れたのに(160511読んだ本&買った本)、未だに全く読んでないから、そろそろ読むかな(^_^;)

渡部英喜『漢詩歳時記』(新潮選書,1992)の「第三部 秋」の「泊天草洋(天草洋に泊す) 江戸[
時代]・頼山陽」は次のように評論している(⌒~⌒)ニヤニヤ

    ・・・/呉は今の江蘇省あたりで、越は今の浙江省付近です。[頼山陽が「船泊まり」
    した「大矢野島」から]見えるはずもない対岸の中国を「雲か山か呉か越か」と詠ずる
    第一句は奇抜であり、スケールの大きい歌い方をしています。その歌いぶりは日本人
    ばなれしています。/・・・

    ・・・/この作品は海に題材をとっています。日本の漢詩は中国からの影響が強く、
    江戸時代以前は漢詩を作るときには中国人の真似をしていました。ですから、海洋国
    日本であっても海の詩は作れなかったのです。ところが、江戸の漢詩人は本場中国人
    よりも上手に漢詩を作れるようになり、海・桜(・・・)・富士山(・・・)といった
    題材を生かしたものを作るようになったのです。この作品は日本の代表にふさわしい
    傑作です。/

本書が他書よりも有益なのは、この詩について駒田信二が次の指摘をしている点とかねv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    ・・・/スケールの大きな壮快な詩だが、第二句の「水天髣髴青一髪」は、宋の蘇軾
    (一〇三六-一一〇一)の「澄邁[ちょうまい]駅通潮閣」二首のうち其一の結句を
    まねたものである。/・・・

「澄邁駅通潮閣」は「海南島に流されていた蘇軾が釈[ゆる]され・・・海南島を去る途次の作。」
の由、本書の訳とともに引く(⌒~⌒)

    餘生欲老海南村 余生老いんと欲す海南の村
    帝遣巫陽招我魂 帝巫陽を遣[し]て我が魂[こん]を招かしむ
    杳杳天低鶻沒處 杳々[ようよう]たり天低[た]れ鶻[こつ]没する処[ところ]
    靑山一髪是中原 青山一髪是れ中原

     わたしは余生をこの海南島の村で終えるつもりだったが、天子は巫陽[←「・・・
     『楚辞』に見える巫女[みこ]の名。」の由]にわたしの魂を呼びもどすように
     命ぜられた。はるかに遠い空のはて、隼の姿の見えなくなってしまうところ、
     ひとすじの髪のような青い山、ああ、あのあたりが中原なのか。

「中原」は黄河流域の中国の中心部のことで、「中原に鹿を逐う」が天下を争うという意味なように
洛陽や長安といった都をフツー指すけど、詩の内容からして「宋」の都の開封のことだろうね(^_^;)
「海南島」から「中原」も「はるかに遠い空のはて」だから、やはり「スケールの大きな」詩(^_^;)

中村真一郎『頼山陽とその時代』下巻(中公文庫,1976)が、「水天髣髴青一髪」が無い「初稿」を
示した上で更に「・・・/恐らく山陽はこの[初稿の]詩を作ったあとで、次の長崎の儒者吉村迂齋
の詩を読んで、その詩境と表現とを拝借しながら、決定稿を作りあげたのである。/・・・」として
紹介している「迂齋の詩」を引いておく(一部の漢字は字体が異なる)(^_^;)

    三十六灣灣接灣 扶桑西盡白雲間 靑天萬里非無國 一髪晴分呉越山
    (三十六湾、湾、湾ニ接ス。扶桑、西ニ尽ク、白雲ノ間。青天万里、
    国ナキニ非ズ、一髪、晴レテ分ル、呉越ノ山。)

中村真一郎は蘇軾(蘇東坡)の詩句について全く言及ナシオン主権なんだけど、御覧の通りで、この
吉村迂齋の詩が蘇軾の詩句の影響を受けてないと解するのは不自然だし、頼山陽も吉村迂齋の詩から
インスパイアされて思い出した蘇軾の詩句を踏まえて改作したと解するべきじゃないかと愚考(^_^;)
だって、中村真一郎『頼山陽とその時代』上巻(中公文庫,1976)に次の件(返り点は略)があり、
頼山陽が蘇軾の詩句を知らなかったとは思えないから(^_^;)

    ・・・/彼[頼山陽]は[妾]りえを家に納れてから、一時、全くこの女性に夢中
    になって、遊蕩を忘れたのである。/「朝雲一小片、所謂掌中軽など云べきもの、
    其癡憨可笑」……/朝雲[←傍点あり]は銭塘の名妓で蘇東坡の愛妾であった。
    山陽は内縁の妻おりえさんを、梨影と中国風に洒落て呼び、更に彼女を東坡の思い者
    に擬したわけである。・・・

さて、さて、さ~て!宇野直人&江原正士『漢詩を読む 3 白居易から蘇東坡へ』(平凡社,2011)も
「澄邁駅通潮閣二首」(←としか書かず、「其一」と記さないのは不親切)を取り上げている(^_^;)

    ・・・「はるか遠く、大空が低く垂れ下がって、鳥のはやぶさが消えてゆく所」、
    水平線の彼方です。〝あそこにかすかに山脈が見える〟というのが結びで、
    「青い山脈が、ひと筋の髪の毛のように続いているあのあたり、あそこが懐かしい
    中国の本土なのだなあ」、という感慨です。

    ──最後の「青山一髪 是れ中原」、響きがいいですねえ。

    こういう句作りが蘇軾は非常に巧みですね。「春宵一刻 直千金」とかね。

「中原」が「中国の本土」だとΣ( ̄ロ ̄lll)ニャにそれ!? 「海南島」と「中国本土」は「およそ
30 km」(wikiの「瓊州海峡」)しかないのに「かすかに・・・見える」「水平線の彼方」か(^_^;)
佐渡から31.5km(wikiの「佐渡海峡」)の新潟も「ひと筋の髪の毛のように」「見える」のか(^_^;)
タグ:中国 古典
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

新潟の海岸から佐渡を目視するのはほぼ不可能っ。
(できるポイントはあるのかもしれないけど・・・)
ひと筋の髪の毛のように・・・とギリギリの頭髪の人もいると(泣)。
by tai-yama (2024-01-17 22:50) 

middrinn

佐渡から新潟が見えるのを画像検索で確認した上で書きましたし、
新潟から佐渡に関しては肉眼で見えるとYahoo!知恵袋に(^_^;)
by middrinn (2024-01-18 05:32) 

df233285

なるほど。さすがに江戸時代の後期ともなると、日本人は。
手前に別の山河が無くても、極遠方の景色は、地球の曲率が
効いてきて、標高の高いところの景色しか見えないことを、
宋代の、暦編集で宮廷に雇われた、アラビアから渡来した後
に帰化した中国人以外の普通の中国人に比べれば、はっきりと
知っていたという訳なのですね。
by df233285 (2024-01-18 06:54) 

middrinn

実際には「見えるはずもない」わけですけど、「呉」
も「越」も「標高の高いところ」かどうかは(^_^;)
〝舟〟泊りですし、「呉」「越」は呉国越国で、海の
彼方ではなく歴史の彼方が「見える」のかも(^_^;)
by middrinn (2024-01-18 15:09) 

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