240116読んだ本
この作者、皇帝からの御褒美ゲットは確実で、生まれる時代と国を間違えたとしか思えない(^_^;)
【読んだ本】
陳舜臣(責任編集)『集英社版 人物中国の歴史 7 中国のルネサンス』(集英社,1981)所蔵本
徽宗のどうしようもないバカ皇帝ぷりは宮崎市定『水滸伝 虚構のなかの史実』(中公文庫,1993)の
「第一章 徽宗と李師師」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-10-29 )も
活写するが、本書所収の秦恒平「徽宗 政治的には無能だったが、書画で後世に名を残した」を読む
と救いようがないバカ皇帝だなと唖然(ノ_-;)ハア… でも、興味深い事績も紹介されていた(⌒~⌒)
・・・[唐の]玄宗に開元の治があり、楽府が開かれた。徽宗には宣和時代があり、
画学がその中心であった。/宮廷に翰林院という施設がある。中に画院、琴院、棋院
などが置かれている。玄宗のころから記録に現われるが、この制度を整えたのが徽宗
であった。彼は特に画院を優遇し、多くの画家に文官の地位を与えている。・・・/
・・・/宣和年間(一一一一-一八)、徽宗は画学を開設した。街に遊び、書画骨董
を楽しむ、そういう青春を過ごして三十代に至った徽宗の肥えた眼に、宮廷画工の画
はあまりに職人的であった。画工に教養を与え、文人・士大夫、つまりは当時の「粋
なエリート」たちの鑑賞に耐える画を描かせること、それが目的であった。/・・・
試験は時には徽宗自らが行うこともあった。画面は緊密であるより、むしろ余白を
重んじ、詩情の表現に主眼をおく、それが彼の指導方針であった。/鄧椿の『画継』
は、画学の試験の様子を今に伝えてくれる。「野水人の渡る無し、孤舟盡日横たわる」
という出題。ある者は岸に繋がれた無人の舟を描き、ある者は片脚をあげた鷺が舟端
にいる様を描き、皆、渡し場に人がいなく、渡し舟だけが淋しく横たわっていることを
示すのに努力した。しかし、詩句の意味はそうではない。渡る人は無くとも、渡し守
は閑散と客を待っているはずである。そこで、舟人が舟尾に昼寝し、吹き捨てた笛が
かたわらにある、という画を描いた者が第一等になった。文学的な感受性と読解力を
求めた、かなりの難題であった。/詩句についての、露骨に説明的な描写も好まれ
なかった。・・・暗示性が推賞された。「踏花帰去馬蹄香」では、手綱をかけた
前かがみな馬に、二、三の蝶の戯れる様を示した者が賞を得た。手綱によって人の
乗っていたことが、蝶によって、花間を歩いた馬に花の香の移っていることが、
おのずからわかるという趣だ。/それでいて徽宗は、写実をこの上なく重んじた。/
・・・
余情・余韻のある和歌は特に好きなので、徽宗とは話が合いそうウキウキ♪o(^-^ o )(o ^-^)oワクワク♪
さて、さて、さ~て! 例の佐々木泉『墨戯王べいふつ』(小学館ビッグコミックス,2004)、第五話
「米友仁」ではこの芸術バカ皇帝が宴の余興にと広く一般庶民からも作品を集める絵画コンテストを
実施してて、その画題は「花を踏みて帰り去る馬蹄香[かんば]し」v( ̄∇ ̄)ニヤッ 陛下から褒美が
貰えるので、米芾(1107年没だけどね)や王詵(書画コレクターとしてライヴァルでもある画家)も
参加してるけど、徽宗が「この画題を最もよく表わしている絵はこれだろう!」として選んだ作品は
「手綱をかけた前かがみな馬に、二、三の蝶の戯れる」画よりも上かとヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
どんな画かネタバレ防止で説明できず残念(-ω-、)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ実は文章力が無いことの言い訳?
フツーに読んでも面白い作品だが(漫画の専門家のお墨付き)、知れば知るほど面白くなる(^o^)丿
【読んだ本】
陳舜臣(責任編集)『集英社版 人物中国の歴史 7 中国のルネサンス』(集英社,1981)所蔵本
徽宗のどうしようもないバカ皇帝ぷりは宮崎市定『水滸伝 虚構のなかの史実』(中公文庫,1993)の
「第一章 徽宗と李師師」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-10-29 )も
活写するが、本書所収の秦恒平「徽宗 政治的には無能だったが、書画で後世に名を残した」を読む
と救いようがないバカ皇帝だなと唖然(ノ_-;)ハア… でも、興味深い事績も紹介されていた(⌒~⌒)
・・・[唐の]玄宗に開元の治があり、楽府が開かれた。徽宗には宣和時代があり、
画学がその中心であった。/宮廷に翰林院という施設がある。中に画院、琴院、棋院
などが置かれている。玄宗のころから記録に現われるが、この制度を整えたのが徽宗
であった。彼は特に画院を優遇し、多くの画家に文官の地位を与えている。・・・/
・・・/宣和年間(一一一一-一八)、徽宗は画学を開設した。街に遊び、書画骨董
を楽しむ、そういう青春を過ごして三十代に至った徽宗の肥えた眼に、宮廷画工の画
はあまりに職人的であった。画工に教養を与え、文人・士大夫、つまりは当時の「粋
なエリート」たちの鑑賞に耐える画を描かせること、それが目的であった。/・・・
試験は時には徽宗自らが行うこともあった。画面は緊密であるより、むしろ余白を
重んじ、詩情の表現に主眼をおく、それが彼の指導方針であった。/鄧椿の『画継』
は、画学の試験の様子を今に伝えてくれる。「野水人の渡る無し、孤舟盡日横たわる」
という出題。ある者は岸に繋がれた無人の舟を描き、ある者は片脚をあげた鷺が舟端
にいる様を描き、皆、渡し場に人がいなく、渡し舟だけが淋しく横たわっていることを
示すのに努力した。しかし、詩句の意味はそうではない。渡る人は無くとも、渡し守
は閑散と客を待っているはずである。そこで、舟人が舟尾に昼寝し、吹き捨てた笛が
かたわらにある、という画を描いた者が第一等になった。文学的な感受性と読解力を
求めた、かなりの難題であった。/詩句についての、露骨に説明的な描写も好まれ
なかった。・・・暗示性が推賞された。「踏花帰去馬蹄香」では、手綱をかけた
前かがみな馬に、二、三の蝶の戯れる様を示した者が賞を得た。手綱によって人の
乗っていたことが、蝶によって、花間を歩いた馬に花の香の移っていることが、
おのずからわかるという趣だ。/それでいて徽宗は、写実をこの上なく重んじた。/
・・・
余情・余韻のある和歌は特に好きなので、徽宗とは話が合いそうウキウキ♪o(^-^ o )(o ^-^)oワクワク♪
さて、さて、さ~て! 例の佐々木泉『墨戯王べいふつ』(小学館ビッグコミックス,2004)、第五話
「米友仁」ではこの芸術バカ皇帝が宴の余興にと広く一般庶民からも作品を集める絵画コンテストを
実施してて、その画題は「花を踏みて帰り去る馬蹄香[かんば]し」v( ̄∇ ̄)ニヤッ 陛下から褒美が
貰えるので、米芾(1107年没だけどね)や王詵(書画コレクターとしてライヴァルでもある画家)も
参加してるけど、徽宗が「この画題を最もよく表わしている絵はこれだろう!」として選んだ作品は
「手綱をかけた前かがみな馬に、二、三の蝶の戯れる」画よりも上かとヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
どんな画かネタバレ防止で説明できず残念(-ω-、)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ実は文章力が無いことの言い訳?
フツーに読んでも面白い作品だが(漫画の専門家のお墨付き)、知れば知るほど面白くなる(^o^)丿
宦官が将軍だったと言う時代ですね・・・そして「金(玉はない)」に
滅ぼされると(笑)。
by tai-yama (2024-01-16 23:16)
童貫のことかな(@_@;) 座布団はあげられんなC= (-。- ) フゥー
by middrinn (2024-01-17 05:31)
そう言えば、さり気なく普通の大きさに景色を映写する
ディスクトップpcのジャンクが、この手狭な国では
ノートpcに比べて更に需要が無いのか。ディスカウント
ショップではディスクトップPC・事務用コピー機などの
巨大な物品が、大きくなるほど大幅安値に叩かれて売られ
ているという奇怪な姿を、現在我々は目の当たりに見る事
が出来るようだ。片づけたら広く使える家も中には有ると
思うのだが。
by df233285 (2024-01-17 06:59)
やはり住宅事情でしょうね(^_^;) 「宮廷に翰林院という施設がある。中に
・・・棋院・・・が置かれている。」とありますが、囲碁ですかね(@_@;)
by middrinn (2024-01-17 15:22)