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231108読んだ本

ポイ活サイトで表示される広告が増えたのは甘受もバツ印を押しても消えないのにはイライラ(^_^;)

【読んだ本】

平尾道雄『維新暗殺秘録』(河出文庫,1990)所蔵本

司馬遼太郎の原作は未読ゆえ週刊文春での連載が再開された鈴ノ木ユウによる漫画『竜馬がゆく』を
愉しく読んでいるけど、練兵館(神道無念流)の塾頭だった桂小五郎(木戸孝允)を試合で破るなど
北辰一刀流の剣の達人として坂本龍馬を描いてて、後に呆気なく暗殺されたのがチト不思議(@_@;)

で、本書を披いて「坂本龍馬と中岡慎太郎」の項を読んだ(^_^;) 坂本龍馬に関する著作も数冊ある
平尾道雄だけあって当時の当事者・関係者の「談話」をたっぷりと引用して17頁もあるが、証言には
食い違いもあって、この近江屋事件の経過の事実認定は困難だけど、本書は次のように断定(@_@;)

    ・・・/ところで坂本龍馬は、北辰一刀流─千葉定吉(千葉周作の弟)の高足であった。
    剣についての腕も十分にあったのだが、なにしろ、とっさの出来ごとである。二尺三寸の
    吉行の刀を抜くひまもなく鞘のまま受けた。その鐺[こじり]は天井を突きやぶり、刀は
    太刀打ちのところから鞘ごしにけずられたほどである。その勢いを持つ刺客の太刀で頭と
    背に重傷をうけて即死したのである。・・・

「即死」とあるけど、本書が引用する谷干城(逸早く駆けつけた土佐藩士で、重傷の中岡慎太郎から
聞き取った話を証言)や近江屋の新之助(近江屋井口新助の子で、当夜は近江屋の一階にいて四歳も
父から聞いた話を証言)らの「談話」だと、斬られた後も立ち上がって歩いた上に喋ってる(@_@;)
なお、軍鶏の買い出しから戻って来た峰吉(鹿野安兵衛)が事件現場を最初に見てて、その談話には
「島田小作」という土佐藩の人間らしいが不審な行動をしてる人物が出てくるのが気になる(@_@;)

話を戻すと、近江屋の「主人─新助は坂本が刺客にねらわれているのを気づかい、裏庭の土蔵に密室
をこしらえ、万一の場合には裏手のはしごをおりて、誓願寺の方へのがれるよう準備していた。」と
あるも「遭難の当日(慶応三年十一月十五日)、坂本は前日から風邪気味で用便などに不自由だから
ということで、主家の二階へ移っていた。真綿の胴着に舶来絹の綿入れをかさね、黒羽二重の羽織を
ひっかけていた。」由、体調面(下痢か?)に加えて着込み過ぎてて動作が鈍かったのかな(@_@;)

が、wikiの「木戸孝允」の項に「安政4年(1857年)3月、江戸・鍛冶橋の土佐藩上屋敷で開催された
剣術大会で坂本龍馬と対戦し、2対3で小五郎が勝利した史料が、2017年10月30日に発見された。」と
あるし、同じく「坂本龍馬」の項も〈安政5年(1858年)1月、師匠の千葉定吉から「北辰一刀流長刀
兵法目録」を授けられる。北辰一刀流免許皆伝と言われることもあるが、発見・現存している目録は
「北辰一刀流長刀兵法目録」を与えられたものである。一般にいう剣術ではなく薙刀術であり、北辰
一刀流「初目録」である。ただ、「免許皆伝を伝授された」と同時代の人物に喧伝されている。腕に
ついては、免許皆伝である以上かなりのものであろうと、既に当時から広く周囲に信じられていたが、
実際に試合をしてみるとからっきしであったという話も多く伝わっているとされ、千葉定吉の娘の
許婚となったため義理許しのようなものではなかったかという見方もある。〉と記していたわ(^_^;)
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

「北辰一刀流」が大したことがない可能性も。
もしくは実戦ではなく形だけだったとか・・・・
by tai-yama (2023-11-08 23:35) 

middrinn

たしかに、道場剣法と言われて、実戦的ではないとの評価も(^_^;)
ただ、バリバリの実戦派である新撰組に北辰一刀流の隊士も(@_@;)
by middrinn (2023-11-09 05:13) 

df233285

西洋流の兵器を所持して居無いようなので。
大村益次郎とは異なり、日本の夜明けはまだまだ遠いと思う。
by df233285 (2023-11-09 12:03) 

middrinn

「わしは近眼じゃき夜はあまり目がきかん」という台詞
が今週号にありましたけど、関係があるのかな(@_@;)
by middrinn (2023-11-09 15:16) 

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