231107読んだ本
最終回は主人公たちがボートで海の向こうへと旅立って行くという超人気漫画もあったわな(@_@;)
【読んだ本】
金谷治(訳注)『論語』(岩波文庫,1963)所蔵本
──じゃあ謝霊運は、軍から追いやられたとはいえ、依然として力があったと。
ええ、財力もありましたし、それまでの政治的、文化的な蓄積が膨大ですので、
決して全面否定されることはなかったでしょう。/次の詩にある「赤石」は地名
ですが、浙江省の臨海地区で、例によって彼の別荘がありました。彼は別荘に
滞在中、そこで舟遊びをしたわけです。
──お金持ちですから、でかいクルーザーでドカーンという感じでしょうか。
従者をたくさん引き連れていますし、舟の上にオーケストラや妓女も大勢いた
でしょう。ところで海をテーマにした詩というのは、漢詩では非常に少ないんです。
──そうでしたっけ。河や湖はよく出て来ましたけど…………たしかに中国は
広いですし、大陸の真ん中にいれば海のことはわからないですよね。
内陸に住んでいれば、全く見ることがありませんしね。古代から中世にかけて、
中国の人は、海についてはどうも〝世界の果て、縁〟という感覚をもっていた
ようです。暗い、野蛮な、得体の知れない気味の悪い場所、というイメージが強く、
『論語』にも「もしこのまま私の理想が実現出来なければ、諦めて桴[いかだ]に
乗り、海にでも行ってしまおう」(公冶長第五)という一節があります。つまり
海というのは、最後に諦めて行く場所だったんです。
──ポジティヴなイメージじゃなかったんですね。
そうですね。われわれは四方を海に囲まれているせいか、海は身近で、海を見ると
心が晴ればれしたり開放されたりする感覚があり、またさまざまな海の幸を好み
ますが、それとは違っていました。
宇野直人&江原正士『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』(平凡社,2010)からの引用だけど、
同書は阿倍仲麻呂が帰国することになった折りの宴会で王維が作った詩を紹介して次の解説(@_@;)
──「弧島」とありますが、日本という名前は知っているんですよね。たとえば
西域なら自分の立つ大地とつながっていて、はるか彼方ですが歩いてゆける、
地続きの感覚を彼らはもっていたでしょうし、長江は広いといっても船で
向こう岸へ渡ってゆけますよね。でも、こと海の向こうに関しては、彼らは
いったいどんなイメージをもっていたんでしょう。
そこが問題です。黄河も長江も海に流れ入りますが、その先は中華文明が
行き渡らない〝暗い野蛮な未開地〟というイメージなんです。『論語』でも
孔子さまが「私の教えが国中に行き渡らなければ、諦めて最後は海に行って
しまおう」(公冶長第五)と言っておられるぐらいで、最後に諦めて、仕方なく
行く場所が海なんです。王維をはじめ朝廷の人たちにとって、阿倍仲麻呂は
そういう、暗くて野蛮な土地から来た人だったんでしょうか。
非常に興味深い指摘だけど、引かれている『論語』の孔子の発言を本書から訳も含めて引く(@_@;)
子の曰[のたま]わく、道行なわれず、桴[いかだ]に乗りて海に浮かばん。
我れに従わん者は、其れ由[ゆう]なるか。・・・
先生がいわれた。「道が行なわれない、〔いっそ〕いかだに乗って海に浮かぼう。
わたくしについてくるものは、まあ由[=子路の名]かな。」・・・
海は東の方角で、『論語』には次の遣り取りもあり、中国がダメでも海の向こうの「東方未開の地」
があるさと孔子は海を渡った宣教師の如き意気込みを語ったものかと愚考(@_@;) 「・・・吾れは
其れ東周を為さんか。」=「・・・わたしはまあ東の周を興こすのだがね。」ともあったし(@_@;)
子、九夷に居らんと欲す。或るひとの曰[い]わく、陋[いや]しきことこれを
如何せん。子の曰わく、君子これに居らば、何の陋しきことかこれ有らん。
先生が〔自分の道が中国では行なわれないので、いっそ〕東方未開の地に住まおうか
とされた。ある人が「むさくるしいが、どうでしょう。」というと、先生はいわれた、
「君子がそこに住めば、何のむさくるしいことがあるものか。」
本書は語釈がほとんど無いし、個々の孔子の言行についての解説も無いので、こーゆー私説(@_@;)
【読んだ本】
金谷治(訳注)『論語』(岩波文庫,1963)所蔵本
──じゃあ謝霊運は、軍から追いやられたとはいえ、依然として力があったと。
ええ、財力もありましたし、それまでの政治的、文化的な蓄積が膨大ですので、
決して全面否定されることはなかったでしょう。/次の詩にある「赤石」は地名
ですが、浙江省の臨海地区で、例によって彼の別荘がありました。彼は別荘に
滞在中、そこで舟遊びをしたわけです。
──お金持ちですから、でかいクルーザーでドカーンという感じでしょうか。
従者をたくさん引き連れていますし、舟の上にオーケストラや妓女も大勢いた
でしょう。ところで海をテーマにした詩というのは、漢詩では非常に少ないんです。
──そうでしたっけ。河や湖はよく出て来ましたけど…………たしかに中国は
広いですし、大陸の真ん中にいれば海のことはわからないですよね。
内陸に住んでいれば、全く見ることがありませんしね。古代から中世にかけて、
中国の人は、海についてはどうも〝世界の果て、縁〟という感覚をもっていた
ようです。暗い、野蛮な、得体の知れない気味の悪い場所、というイメージが強く、
『論語』にも「もしこのまま私の理想が実現出来なければ、諦めて桴[いかだ]に
乗り、海にでも行ってしまおう」(公冶長第五)という一節があります。つまり
海というのは、最後に諦めて行く場所だったんです。
──ポジティヴなイメージじゃなかったんですね。
そうですね。われわれは四方を海に囲まれているせいか、海は身近で、海を見ると
心が晴ればれしたり開放されたりする感覚があり、またさまざまな海の幸を好み
ますが、それとは違っていました。
宇野直人&江原正士『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』(平凡社,2010)からの引用だけど、
同書は阿倍仲麻呂が帰国することになった折りの宴会で王維が作った詩を紹介して次の解説(@_@;)
──「弧島」とありますが、日本という名前は知っているんですよね。たとえば
西域なら自分の立つ大地とつながっていて、はるか彼方ですが歩いてゆける、
地続きの感覚を彼らはもっていたでしょうし、長江は広いといっても船で
向こう岸へ渡ってゆけますよね。でも、こと海の向こうに関しては、彼らは
いったいどんなイメージをもっていたんでしょう。
そこが問題です。黄河も長江も海に流れ入りますが、その先は中華文明が
行き渡らない〝暗い野蛮な未開地〟というイメージなんです。『論語』でも
孔子さまが「私の教えが国中に行き渡らなければ、諦めて最後は海に行って
しまおう」(公冶長第五)と言っておられるぐらいで、最後に諦めて、仕方なく
行く場所が海なんです。王維をはじめ朝廷の人たちにとって、阿倍仲麻呂は
そういう、暗くて野蛮な土地から来た人だったんでしょうか。
非常に興味深い指摘だけど、引かれている『論語』の孔子の発言を本書から訳も含めて引く(@_@;)
子の曰[のたま]わく、道行なわれず、桴[いかだ]に乗りて海に浮かばん。
我れに従わん者は、其れ由[ゆう]なるか。・・・
先生がいわれた。「道が行なわれない、〔いっそ〕いかだに乗って海に浮かぼう。
わたくしについてくるものは、まあ由[=子路の名]かな。」・・・
海は東の方角で、『論語』には次の遣り取りもあり、中国がダメでも海の向こうの「東方未開の地」
があるさと孔子は海を渡った宣教師の如き意気込みを語ったものかと愚考(@_@;) 「・・・吾れは
其れ東周を為さんか。」=「・・・わたしはまあ東の周を興こすのだがね。」ともあったし(@_@;)
子、九夷に居らんと欲す。或るひとの曰[い]わく、陋[いや]しきことこれを
如何せん。子の曰わく、君子これに居らば、何の陋しきことかこれ有らん。
先生が〔自分の道が中国では行なわれないので、いっそ〕東方未開の地に住まおうか
とされた。ある人が「むさくるしいが、どうでしょう。」というと、先生はいわれた、
「君子がそこに住めば、何のむさくるしいことがあるものか。」
本書は語釈がほとんど無いし、個々の孔子の言行についての解説も無いので、こーゆー私説(@_@;)
徐福は日本に不老不死の薬を探しに来たし、鑑真は日本にそのまま
住んだし。思ったよりは悪いイメージはなかったのかも。
ただ、海の船旅は困難を極めるのは知っていたはず。
by tai-yama (2023-11-07 23:15)
航海の困難・危険性が広く知られていたというだけなのかな(@_@;)
by middrinn (2023-11-08 05:25)
東京の隣の某県をからかった映画が最近出来て、ストーリーを私
は正確にチェックしてい無いが。淡水で海とは言えないが滋賀県
から、琵琶湖を盗んでくるというストーリーらしい。海の無い国
にとり、海はそこまで貴重なのか?
by df233285 (2023-11-08 06:50)
海が無いことに過剰反応した県も(^_^;) 海が無いから泳げないんだと県民
が馬鹿にされないように、夏の体育の授業は全て水泳にした長野県(^_^;)
by middrinn (2023-11-08 08:56)
どもども。
ウチが中身を理解しつつ楽しめる古典。
見つけた♪
漫画でみる方丈記。
いやぁ、俳句もさることながら
その時代の出来事や鴨長明さんの想いやらが
手に取るように分かって嬉しい限りなのだ(笑
by suzu* (2023-11-08 14:36)
『方丈記』は近年ずっと流行ってる古典ですから、良かったですね(^_^;)
安良岡康作(全訳注)『方丈記』(講談社学術文庫,1980)を拾い読みした
だけですが、読了後にちゃんとした注釈書での御浚をお勧めします(^_^;)
by middrinn (2023-11-08 15:38)