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231029読んだ本

司馬遼太郎に対し文芸評論家の磯貝勝太郎が司馬の代表作の一つである『国盗り物語』「の種本は、
海音寺さんの『武将列伝』の『斎藤道三』ですね」と述べたら、「破顔一笑」して「海音寺さんは、
それを利用しても文句を付けませんからね」と司馬が答えたという「余談」を、海音寺潮五郎『悪人
列伝 古代篇』(文春文庫,2006)巻末の「解説」で磯貝が披露している〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

松村武雄(編)伊藤清司(解説)『中国神話伝説集』(社会思想社現代教養文庫,1976)所蔵本

    ・・・/これらの技能[=小唄や舞い]だけでも余人には出来ないことであるのに、
    彼にはさらに最もめずらしい特技があった。油を買手の油壺にはかりこむに、ジョウゴ
    をつかわず、一文銭を壺の口にあてて、その孔を通して連々と流しこみ、しかも銭に
    一滴の油もこぼさなかったというのだ。/・・・

    ・・・/美濃国諸旧記によると、大永の頃から庄五郎[「一説では庄九郎」]は毎年
    美濃に来て油を売ったとある。・・・

    ・・・/ある時、長井家の家来で矢野五左衛門という者が、庄五郎から油をもとめた。
    庄五郎はれいの通り、一文銭を油壺の口にあてがい、油をはかり入れた。桝の隅から
    流れ落ちる油は糸筋のように細くしたたって、銭の孔を通し、見事に注文の量をはかり
    入れた。/五左衛門は代をはらいながら、感嘆して言った。/「まことに不思議な手の
    うちである。よくもこうまで手練したものである。感じ入った。それほどまで熟達する
    には、よほどの修業であったろうな。しかしながら、なにほど熟達したとて、しょせん
    は町人わざじゃ。おしいことよの。それほどの修業を武術の上でしたなら、あっぱれ
    後の世にも名をのこす武士となったろうにのう」/五左衛門のこの評言は、庄五郎の
    肺肝に徹した。彼は早々に京にかえると、油商売の道具を全部売りはらい、武芸の稽古
    をはじめた。/・・・

    ・・・この話は美濃国諸旧記にある。この書物は江戸時代もかなり古い頃に出来た書物
    であるし、庄五郎の出生から[美濃国の]長井家に仕えるまでの経歴は諸書の中でも
    最も詳細であるから、ぼくもこの書物によって書いて来たが、・・・

海音寺潮五郎『武将列伝 戦国揺籃篇』(文春文庫,2008)所収の「斎藤道三」からの抜き書きだが、
司馬遼太郎『国盗り物語 前編─斎藤道三』(新潮社,1967)も「・・・マスからこぼれ落ちる油は、
一すじの糸をなし、糸をなしつつすーっと永楽銭の穴に吸いこまれ、穴を抜けとおって下の受け壺に
落ちてゆく。」という松波庄九郎の芸を描いているし、wikiの「斎藤道三」の項にも〈大永年間に、
庄五郎は油売りの行商として成功し評判になっていた。『美濃国諸旧記』によれば、その商法は「油
を注ぐときに漏斗を使わず、一文銭の穴に通してみせます。油がこぼれたらお代は頂きません」とい
って油を注ぐ一種の人目を引くための行為を見せるというもので、美濃で評判になっていた。〉と記
され、「北条早雲らと並ぶ下克上大名の典型であり、名もない境遇から僧侶、油商人を経てついに戦
国大名(国盗り)にまで成り上がった斎藤道三の人物像は、江戸寛永年間成立と見られる史書『美濃
国諸旧記』などにより形成され、坂口安吾・海音寺潮五郎・司馬遼太郎らの歴史小説で有名になって
いた。〉とあるように、このエピソードは『美濃国諸旧記』が典拠かな〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    /陳堯咨[ちんぎょうし]は弓を射ることが、非常に巧みであった。自分でも日頃それを
    自慢にしていた。/あるとき自分の家の圃[はた]で弓を射ていると、油を売る老人が
    通りかかった。老人は立ちどまって、荷をおろして、永い間それを見ていた。陳が切って
    放す矢は、十本のうち八、九本までは見事に的を貫くのであったが、老人はあまり感心
    したようでもなく、かすかにうなずくだけであった。/見ているものがあると気づいた
    陳は、弓を射ることを止めて、老人の方を向いて、/「お前も弓が射れるのかい。どうだ、
    わしの腕前は素晴しいものだろう」/と自慢した。すると老人は平気な顔をして、/
    「そんなことはなんでもありませんよ。手が馴れたというだけのことですからね」/と
    言った。これを聞くと、陳はひどく腹を立てて、/「不届きな、お前はわしの射術を
    ばかにしているね」/となじった。/「いいえ、けっしてそんなことはありません。
    ただ手が馴れさえすりゃ、なんでもうまくできるのが当たりまえだと言っただけです。
    わたしも永年油を売っていますので、自然とそうした理前[りまえ]がわかったのです。
    これをごらんなさい」/老人はこう言って、一つの葫蘆[ふくべ]を取り出して、地面に
    据えて、孔のあいた銭でその口を覆うた。なにをするのだろうと、陳がみはっていると、
    老人はひしゃくになみなみと油を酌み入れて、その油を高いところから葫蘆に垂らし
    始めた。油は糸を引くようにして滴々と下に落ちるのであるが、うまく銭の孔を通して
    葫蘆の中に流れ込み、しかも銭は汚れなかった。/ひしゃくの中の油がつきると、老人は
    陳の方をふり向いて、/「どうでございます」/と言った。陳は黙ってうなずくだけで
    あった。老人はにやにや笑って、/「これも自慢にはなりません。ただ、手が馴れただけ
    ですから」/と言った。陳はとうとう笑い出して、油売りの老人をゆるしてやった。/

本書所収の「弓の名人と油売り」を引用したけど、その出典は『金坡遺事』とされ、松村武雄による
「原注」には「これと同工の話が、『長秋夜話』に飛鳥井大納言と油売りとの物語として出ていた。
大納言が鞠筥[まりばこ]の底の抜けたのを腰に結びつけて、その筥を通して鞠を蹴るのを見て、油
売りがけなして、その果てに銭の孔から油を入れて見せるという筋。」とも記されていたぞ(@_@;)

ネットを検索しただけだが、「『長秋夜話』」なるものはヒットせず、もしかして広島藩の儒学者の
香川南浜(1734~1792)の『秋長夜話[あきのながよのはなし]』かなぁ(@_@;) もしそうなら、
「江戸寛永年間成立と見られる史書『美濃国諸旧記』」の方が古いので、『美濃国諸旧記』の上記の
逸話は、その源流を辿れば、宋の『金坡遺事』の上記話が元ネタということになるのかねぇ(@_@;)
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

斎藤道三=油売りも最近の研究だと違うみたいで・・・・
(斎藤道三の父=油売り)。もしかしたら、インド人でも手慣れた
人はチャイを五円玉の穴から注ぐとかできたり(インド人もびっくり)。
by tai-yama (2023-10-30 00:26) 

ナベちはる

>ネットを検索しただけだが、「『長秋夜話』」なるものはヒットせず、もしかして広島藩の儒学者の香川南浜(1734~1792)の『秋長夜話[あきのながよのはなし]』かなぁ

一文字違いで検索に引っかかるか引っかからないかが変わってくるのは重要ですね((+_+))
by ナベちはる (2023-10-30 00:57) 

middrinn

知ってましたし、元ネタが有るのか無いのかの話です(^_^;)
tai-yama様、「矢野五左衛門」の「手練」と「油を売る老人」
の「ただ手が馴れさえすりゃ」、似たことを言ってませんか?
by middrinn (2023-10-30 05:47) 

middrinn

「古今和歌集」と「新古今和歌集」、「新」の違いだけですが、片方を検索すると、
ナベちはる様、もう片方までヒットして膨大な数となるので、不便なことも(^_^;)
by middrinn (2023-10-30 06:07) 

df233285

このケースの「利用」は、元現象が「特殊な光景である」と
裁判で認定される「非ありきたり」判例が少ないようであり、
著作権違反で訴えても、原告勝訴の可能性が薄いと思考。
なお著作権は西暦2006年時点では冒頭の表現通り親告罪
だったが、ドンキホーテTPPの後追いで、日本では西暦
2018年頃から非申告性になったので、司馬遼太郎の言に、
今日では安直には、うなずけ無いと小生は認識。
by df233285 (2023-10-30 06:47) 

middrinn

磯貝勝太郎は前掲『悪人列伝 古代篇』巻末の「解説」で続けて、
〈そのとおりで、史伝「列藩騒動録」(『海音寺潮五郎全集』第
十九巻 朝日新聞社)の「あとがき」で、自分の史伝が利用される
ことを望んでいる海音寺は、/「野心ある作家諸君が参考にして
いただくなら、ぼくとしてはうれしいことです。決して著作権の
侵害などというケチなことは申しません。大いにご利用下さい」
/と書いているからだ。〉と司馬の発言を裏書きしてます(^_^;)
司馬の直木賞受賞は吉川英治らを説き伏せた海音寺のお陰(^_^;)
by middrinn (2023-10-30 14:43) 

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