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230122読んだ本

書かれるべき情報が書かれていないと指摘することは単なる知ったかぶりと思われるわな(@_@;)
読了より購入する本の方が多く、しかも読了する本は図書館資料ばかりで積読が減らぬ(ノ_-;)ハア…

【読んだ本】

保坂弘司(全現代語訳)『大鏡』(講談社学術文庫,1981)所蔵本

    ・・・/この侍従の大納言殿(行成卿)こそは、備後介と申して、まだ昇殿を許されない
    地下人[じげにん]でいらっしゃったときに、一足飛びに、蔵人頭に任じられなさったの
    ですが、こういう例は、まことに珍しいことですよ。そのころは、源民部卿殿〔俊賢卿〕は、
    蔵人頭でおられたが、このたび公卿に昇進なさることに決定したので、一条天皇が、/
    「お前の後任には、さて、誰が任じられるのが適当であろうか」/と御下問になったので、
    俊賢卿は、/「行成こそ任じられるべき適任者でございます」/と奏上なさった。ところが、
    一条天皇は、/「地下の者ではどういうものだろうか」/とおっしゃったので、/「行成は
    まことに軽視できない人物でございます。地下だからなどといって、登用をご遠慮あそばす
    ことはございません。・・・」/・・・[中略]・・・いったい伊尹公のご一族は、伊尹公
    以来、蔵人頭の任官争いで、敵をつくって受け継いでいる家筋でいらっしゃるので、この
    行成卿も、地下人から蔵人頭にぬきんでられたこととて、はたしてどんなものでいらっしゃ
    いましょうか。前途が案じられることです。/・・・

「地下人から蔵人頭にぬきんでられたこととて、」は原文には記されてなく、保坂弘司は藤原行成が
「まだ昇殿を許されない地下人」から蔵人頭に抜擢されたとする『大鏡』の叙述を強調する(@_@;)

行成が蔵人頭になったのは長徳元年(995年)8月と保坂弘司『大鏡全評釈 上巻』(學燈社,1979)も
石川徹(校注)『新潮日本古典集成 大鏡』(新潮社,1989)も指摘するが、それが「まだ昇殿を許さ
れない地下人でいらっしゃったとき」が史実かどうかに関しスルーしてるのは如何なものか(@_@;)

行成の日記『権記』の正暦4年(993年)正月15日条の冒頭部分を倉本一宏(全現代語訳)『藤原行成
「権記」(上)』(講談社学術文庫,2011)25頁の訳で引く(^^)

      十五日、甲辰。 帰京/還昇/御斎会内論義の禄

    宇治から三条の宅に到った。先ず頭弁(源扶義)の許から、還昇[げんしょう]を
    聴されるということを伝え送ってきた。・・・

黒板伸夫(日本歴史学会編集)『藤原行成』(吉川弘文館人物叢書,1994新装版)33頁の解説も(^^)

    ・・・/[正暦4年(993年)]正月九日、女叙位が行われ、その次[ついで]に行成は
    従四位下に叙せられた。・・・/彼は叙位の奏慶に廻ったあと、数日間、宇治・興福寺・
    長谷寺などに赴いたが、三条の自宅に帰ると、蔵人頭源扶義のもとから還昇[げんじょう]
    が許された旨通達された。五位の殿上人が四位に昇ると、殿上を下るのが定めであるが、
    彼は再び昇殿の恩典に浴したのであり、これを還昇という。/・・・

つまり、少なくとも正暦4年(993年)正月15日に、行成は昇殿を再び聴されて、「地下人」ではなく
殿上人に戻ったわけで、黒板伸夫の解説によるなら、その「数日」前、すなわち正暦4年(993年)の
正月9日に四位に叙せられる以前も昇殿を聴されていて「地下人」ではなく殿上人だったことに(^^)

それ以前の状況に関しても、黒板伸夫・前掲書の15頁、19頁、20頁から順に引く____φ( ̄^ ̄ )メモメモ

    ・・・/[永観2年(984年)の花山天皇(母は藤原伊尹女の懐子ゆえ行成の従兄弟)
    践祚で藤原義懐(伊尹の子で、行成の叔父)が昇進すると]行成自身も、寛和元年
    [985年]十二月に侍従、翌二年[986年]二月昇殿と、いわば高級官僚見習としての
    出発をしている。・・・

    ・・・/行成は[寛和2年(986年)6月の花山天皇譲位・出家と一条天皇践祚の]代替り
    に伴って殿上を下りたと思われるが、・・・

    ・・・/同じ年[寛和3年=永延元年(987年)]の九月四日にはまた昇殿が許されている。
    /・・・

このように行成は花山朝や一条朝で既に昇殿を聴されて「地下人」ではなく殿上人だったのだから、
長徳元年(995年)の蔵人頭抜擢時を「まだ昇殿を許されない地下人でいらっしゃったとき」とする
『大鏡』の叙述は曲筆による脚色の可能性が高く、黒板伸夫・前掲書46~47頁は次のように指摘(^^)

    ・・・/さて行成が蔵人頭に補せられた事情について少し考えてみたい。『大鏡』
    (第三巻・伊尹)には、源俊賢が後任の頭についての天皇の諮問に答えて行成の名を
    挙げたのに対し、天皇は地下人[じげびと]であることで難色を示したが、俊賢の
    強い推薦により後任としたという。しかし『大鏡』の説くように行成が地下人で
    あったことにはやや疑問がある。彼が左兵衛権佐を罷め、従四位下に叙せられたのち
    還昇を許されたことは前に述べた。その後も殿上に在ったと思われる記事が『権記』
    にみられ、おそらくその状況はかわらなかったのではないかと思う。ただし、昇殿は
    流動的なものであり、殊に行成は母[源保光女]の重服[長徳元年=正暦6年(995年)
    正月29日に亡くなった]により殿上を下りた可能性もある。しかしながら『大鏡』の
    書きぶりから感ぜられるような、彼が長く地下[じげ]に沈淪していた状況ではない。
    /・・・

行成がいつ殿上人だったかは『大鏡』の他の叙述の検討に不可欠(^^)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ準備作業だったの?
タグ:古典 歴史
コメント(8) 
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コメント 8

tai-yama

購入した本の積読がいずれ増えていけば図書館並みに(笑)。
積読の本は地下本(エロそうだ)で、図書館で借りて完読した本は
殿上本と。地下本の中から行成みたいな本が出てくるかも。
by tai-yama (2023-01-22 23:05) 

ナベちはる

積読のしすぎで、いつかは「本の山」が崩れるなんてことがありませんように…(◎_◎;A)
by ナベちはる (2023-01-23 00:25) 

middrinn

( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 積読の本は地下本(エロそうだ)座布団1枚 ♪
tai-yama様は巨乳グラドル写真集など地下本ばかり・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
昇殿は終身ではないので再び地下とされてしまうこともありますし(^_^;)
by middrinn (2023-01-23 06:23) 

middrinn

自宅にいるのに、山崩れによって、
ナベちはる様、遭難したり(゚ロ゚;)
抜けないように床は対策済ですが、
足の踏み場が無いのがね(^_^;)
by middrinn (2023-01-23 06:48) 

df233285

やあ、西暦1000年頃の話って、西暦1200年頃の
話と違って、こんなに詳しく分かるんですねぇ。同じ鏡
でも、吾妻鏡に書いたら脚色バレないと私は思いますよ。
by df233285 (2023-01-23 08:03) 

middrinn

官位が全てな時代ですし、公卿補任を始めとする史料がありますからね(^_^;)
『大鏡』も『吾妻鏡』も特定の人物・一族を称えるのは共通してますね(^_^;)
高橋秀樹『対決の東国史2 北条氏と三浦氏』(吉川弘文館,2021)が『吾妻鏡』
に施されている脚色・文飾を次々と明らかにしていて面白かったですよ(^_^;)
https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-10-23
by middrinn (2023-01-23 08:54) 

yokomi

積ん読、私は椎間板ヘルニアで入院したときに有る程度取り崩しましたが、また山に(^_^;)
by yokomi (2023-01-23 18:32) 

middrinn

緊急入院時に、ちょうど読んでた本と「無人島に一冊だけと問われりゃ挙げる」
本の2冊を持ってきてもらうも苦痛で全く読めず、少し楽になってから病院内の
図書コーナーから借りた本を7日間に3冊読了し、2冊拾い読み、1冊挫折(^_^;)
拙ブログに書かれた記録を確認した限り拙宅の積読は減りませんでした(^_^;)
by middrinn (2023-01-23 19:51) 

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