寒さと雨の所為もあるが先日購入した本を読むと頭が痛い(^_^;) 彼女が挙げてる出典には出てない
事柄まで書かれている記述が結構ある(^_^;) 他史料からの加筆・補筆なら出典名に「等」と付記か、
その史料名も挙げるはずで、彼女の解釈、てゆーか、軽率な断定や誤読による曲筆・脚色かも(^_^;)
予約していた漫画が明後日に届いたら、この頭痛も吹っ飛びそうウキウキ♪o(^-^ o )(o ^-^)oワクワク♪

【読んだ本】

坂本太郎『史書を読む』(中公文庫,1987→3版1992)所蔵本

日本史学の泰斗の坂本太郎は軍記物語の『平家物語』も取り上げており、『平家物語』も「史書」で
あるなら、寿永3年(1184年)に一ノ谷の戦いで捕虜となって鎌倉へ連行される途中の小夜の中山で
〈「また越ゆべし」ともおぼえねば〉=「再び越えられようとも思われないので」(水原一[校注]
『新潮日本古典集成 平家物語 下』[新潮社,1981])云々と平重衡の心情が描かれている場面(⇒
https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-01-13 )も史実に基づく叙述かも(@_@;)

そうなら、文治2年(1186年)の作とされる「年たけて又越ゆべしと思きや命なりけりさやの中山」
(「年老いてまた越えるだろうと思っただろうか。命あってのことだなあ、こうしてまたさやの中山
を越えるとは……。」と久保田淳『新古今和歌集全注釈 三』[角川学芸出版,2011])という西行の
和歌は、平重衡の感懐を伝え聞いていた西行が前年(文治元=1185年)に処刑された平重衡のことを
小夜の中山で思い出して、「命なりけり」=「命あってのことだなあ」と詠んだ可能性が( ̄◇ ̄;)
平重衡が焼き討ちした東大寺大仏再建の砂金勧進が目的で奥州藤原氏を訪ねる途中だったし(@_@;)

が、最近の歴史学の研究者が書いた本を見ると、「古態」であるからとの理由で歴史叙述に用いてる
『平家物語』は延慶本(例えば、永井晋『源頼政と木曽義仲 勝者になれなかった源氏』[中公新書,
2015 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-07-29 )で、その延慶本の叙述を
杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(十)』(講談社学術文庫,1988)が引いてるが、小夜の中山での
平重衡の感懐描写は無い(^_^;) 「古態」というだけで史料的価値を認めるという考えは疑問だけど、
やはりこの平重衡の感懐は史実ではなく、むしろ西行の和歌から創作・補筆したものだろうね(^_^;)

・平忠度の歌、「お前が言うな」「自作自演」と罵詈雑言を浴びせられ炎上必至・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;シャレ?

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-08-30

・賀茂明神の託宣歌が紀貫之の歌を踏まえてるのに各注釈書は気付けよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-04-07

・「徳大寺之沙汰」で実定が「月をながめて」「口ずさん」だ「詩歌」とは、もしかして(⌒~⌒)ニヤニヤ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-02-22