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221006読んだ本【バカチン】

注釈が多すぎ詳しすぎと文句を言う豚、そんなに自信あるなら注釈なしで読んでみせろやヾ(`◇´)ノ
文庫本の注釈が多すぎるとか詳しすぎるなどとAmazonやブログで文句をつけながら、そのレヴューは
誤読してたり薄っぺらかったりで、思い上がりもほどほどにしろよな(ノ ̄皿 ̄)ノブタニシンジュ!┫:・

【読んだ本(バカチン)】

安東次男『百人一首』(新潮文庫,1976)所蔵本

大伴家持「かささぎのわたせる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける」(『新古今和歌集』入集)
について、本書は「・・・これも家持の歌という証はない。」とした上で次のような指摘(原文には
返り点あり)をしていた∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですとぉ!?

    ・・・鳥の羽交[はがい]に霜が下りるという発想は、すでに万葉集巻一に
    「葦べゆく鴨の羽交に霜ふりて寒き夕は大和し思ほゆ」という志貴皇子の歌
    があり、一方、天上の霜という発想も、「楓橋夜泊」と題した張継の有名な
    絶句がある。

      月落烏啼霜満天
      江楓漁火対愁眠
      姑蘇城外寒山寺
      夜半鐘声到客船

    こういう発想を七夕伝説につなぐのでなければ、鵲橋に霜が下りるというふうな
    しゃれた奇想は、なかなか生れてくるものではない。とりわけ張継の「楓橋夜泊」
    は、「夜半ノ鐘声客船ニ到ル」と、幻聴ともいうべきおどろきを出してきており
    (鐘は夜半に撞[つ]くものではあるまい)、これは「白きを見れば夜ぞふけに
    ける」の幻視のおどろきと、よく呼応している。霜気四囲に満ち夜も白むと感じる
    のは、じっさいには暁ちかいということだが、そこに却って夜の深さを知った
    という一ひねりした詩味も、共通している。「かささぎ」の歌は一方で七夕伝説を、
    他方で張継(天宝十二年の進士)の詩を踏えて成ったものであろう。とすれば、
    歌の成立年代も大凡[おおよそ]の見当がつく。/・・・

注釈・解説なしで安東次男は「楓橋夜泊」を読んだらしく、「鐘は夜半に撞くものではあるまい」と
述べてるんだけど、当時は「夜半」に「鐘」を「撞」いてたんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

・鈴木修次「旅の名詩一六選」(陳舜臣[監修]『中国古典紀行2 唐詩の旅』[講談社,1981])

    ・・・宋の欧陽修[ママ]は、この詩の後半を問題にして、「句は即ち佳なるも、
    其の三更(まよなかの十二時から午前二時まで)は是れ鐘を打つ時に非ざるを
    奈[いか]んせん」(『六一詩話』)と評したが、それは誤解で、唐代は深夜に
    晩鐘をつく習慣があった。・・・

・渡部英喜『漢詩歳時記』(新潮選書,1992)

    ・・・この夜半の鐘声も論争になりました。宋代の欧陽脩が『六一詩話』で
    「真夜中には鐘がならない」といって以来大論争になりました。しかし、
    唐詩の中には白居易など五首に「夜半の鐘」の用例があることで、論争に
    決着がつきました。・・・

・松原朗『唐詩の旅 長江篇』(現代教養文庫,1997)

    ・・・/ところで「夜半の鐘声」は、古来、物議をかもしてきた。北宋の文人で、
    唐宋八大家の一人に数えられる古文家の欧陽脩(一〇〇七-一〇七二)は、この
    句の出来栄えを称賛しつつも、夜半の鐘を撞く時刻ではないことの不合理を不満
    としていた。しかしその後、夜半の鐘声が、これ以外の唐詩にも詠まれている
    ことが、南宋第一の詩人陸游(一一二五-一二一〇)らによって陸続と指摘される
    に及び、かまびすしい議論もやんだ。・・・

・植木久行『唐詩物語──名詩誕生の虚と実と』(大修館書店あじあブックス,2002)108頁

    ・・・詩のなかに虚構[うそ]をまじえてはならぬ、と主張する北宋の有名な文学者
    欧陽脩が、『六一詩話[りくいつしわ]』のなかで、「詩句はよいけれども、三更
    [さんこう](真夜中)は鐘をつく時ではない」と論評して以来、その当否をめぐる
    議論が盛んに行われた。この過程で夜半の鐘──分夜鐘[ぶんやしょう]・無常鐘を
    詠んだ唐詩がいくつも発見され、宋代の詩人たちのなかにも夜半の鐘を実際に聞いた
    体験を持つ者も現れて[←松原朗・前掲書には陸游にも寒山寺の夜半の鐘声を聞いて
    いる作品があると指摘]、欧陽脩の軽率な誤解、という結論に達した。/・・・

「鐘は夜半に撞くものではあるまい」というのは安東次男の「軽率な誤解」だし、言うまでもなく、
「夜半ノ鐘声客船ニ到ル」を「幻聴」と評しているのも誤読であるオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ! そもそも
渡部英喜・前掲書も「前半は視覚を通してやるせない旅愁の気分を表現しています。それは暗闇の中
の江楓であり、漁火なのです。この赤色が旅の愁いのポイントになっています。」、「後半は鐘の音
という聴覚に訴えて旅愁を詠じております。」と指摘しているような、この作品の構造を安東次男は
全く読み取れてなかったわけオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) そして、植木久行・前掲書107頁が次のように
指摘している、この作品の素晴しさも安東次男は味わえていないということオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

    ・・・/詩の後半は、いわば「借声伝影(声を借りて影[すがた]を伝える)」と
    「動中に静を寓す」(静中の動)の手法を用いて、寒山寺とその夜半の鐘を著名な
    詩跡に決定づけた名句である。すでに陳邦炎「〝夜半鐘声〟談」(霍松林・林従竜
    選編『唐詩探勝』所収)のなかに指摘されるように、転結の二句は、単に鐘の音だけ
    で間接的に寒山寺の形影[すがた]を伝え、寺院そのものに対する直接的、具体的な
    描写は、まったくない。しかしそれゆえにかえって、読者の想像力をかきたてること
    になり、それぞれ自分の脳裡に一人だけの美しい寒山寺の姿を思い浮かばせることに
    なったのである。指折り数えてまだ夜半とわかった鐘の音は、深夜の静寂を鋭く破り
    ながら、かえって静寂と作者の旅愁を深め、秋の夜長を過ごしかねるやりきれなさが
    おのずと滲み出て、感銘がひときわ深い。/・・・

注釈が多すぎ詳しすぎと文句つけてる豚、安東次男の如き誤読をせぬ自信があるのか( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

・「滝殿をしのんで詠まれた」だなんて、安東次男も少しは調べて書けヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-05-04

・『ちはやふる』46巻を読んでて安東次男『百人一首』の誤りに気付くヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-07-31
タグ:歴史 和歌 中国
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

日本でも江戸時代は深夜でも鐘は鳴っていたみたいで・・・
私は深夜にバイクのエンジンを鳴らすと(笑)。
by tai-yama (2022-10-06 22:46) 

ナベちはる

注釈、あるとありがたいのでそれに文句を言うのは不届きものと言ってもいいかもしれませんね((+_+))
by ナベちはる (2022-10-07 01:18) 

df233285

つまり今回の本文の議論内容というのは現代的に言うと。
円安で原材料費が値上がりするので、ホントは本の価格
に転嫁したいが。それでは売り上げ数が落ちて、利益が
減るので、中身を薄くしてシノごうとしているときに。
「注釈の人件費を削っても、なんら問題が無い」という
世論を予め煽り・惹起して、地ならしをしておこうとい
う、そのような流れだという事ですよね。
by df233285 (2022-10-07 08:26) 

middrinn

となると、漢詩文に暗いだけでなく、
tai-yama様、江戸時代にも(^_^;)
安東次男は俳人なんですが(^_^;)
by middrinn (2022-10-07 15:42) 

middrinn

注釈なしでも読める俺は凄いんだぞ~!と、
ナベちはる様、自慢も入ってますし(^_^;)
注釈が必要な人、もっと多くしてほしい人も
いるんだから黙ってるべきですよね(^_^;)
by middrinn (2022-10-07 16:05) 

middrinn

マウントをとりたい馬鹿が誤ったメッセージを発して、
長さん様、不況で頁数・巻数の嵩む本を出したくない
出版社の姿勢に支持を与えることになりますよね(-"-)
講談社学術文庫も「全訳注」ではなく「全現代語訳」
しか最近は出さなくなってしまいましたしね(´ヘ`;)
by middrinn (2022-10-07 16:44) 

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