220821読んだ本
本気を出せば・・・と言うが、なかなか本気を出さないし、買い被りかも〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
【読んだ本】
倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(下)』(講談社学術文庫,2009)所蔵本
本書の「おわりに」で、倉本一宏は「文字について」という見出しで次のように記している(@_@;)
/よく道長の字は汚いと言われる。名和修氏は「格調高い字」と言われるが、
いずれにせよ、個性的な字であることには違いない(自分でも「能書に非ず」
と書いている)。しかし、・・・また、先年気付いたことには、金峯山寺に
奉納した経典の字もまた、道長の書いたものであるが、それは確かに達筆と
称することができる字である。つまり、道長は本気で綺麗な字を書こうと思えば
書けたのであり、『御堂関白記』のみを以て字が汚い人と断じては気の毒という
こうになる・・・。それに、毎日眺めていると、なるほど「格調高い字」に
見えてくるものである。/
「本気」を出せばできる、やる時はやる男だと倉本一宏は藤原道長のことを考えているみたい(^_^;)
でも、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』(講談社学術文庫,2009)の寛弘
元年(1004年)6月4日条には「右大弁(藤原行成)の許に紙を送り、手本を書かせた。(藤原)頼通
のためのものである。」と、藤原彰子入内屛風でも倉本一宏編『現代語訳 小右記3』(吉川弘文館,
2016)129頁の長保元年(999年)10月30日条に「右大弁(藤原)行成が、屛風の色紙形を書いた。」
(倉本一宏[全現代語訳]『藤原行成「権記」(上)』[講談社学術文庫,2011]251頁の同日条にも
「倭絵四尺屛風の色紙形を書いた〈故(飛鳥部)常則の絵である。和歌は、現在の左丞相(道長)以
下が詠んだ。〉。」)とあり(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-04-28 )、
息子のための「手本」や娘の入内のための「屛風の色紙形」を、ともに藤原道長が自ら書かなかった
ということは、藤原道長が「本気」を出す必要のない場面だった、ということになるのかねぇ(^_^;)
かしら、かしら、お気付きかしら?昨日メモった春名好重『上代能書伝』(木耳社,1972)の目次の
中に「藤原道長 御堂関白記」という章が設けられていることに(^_^;) 春名好重は藤原道長のこと
を次のように評していたエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?
・・・道長が能書であったことはほとんど知られていない。しかし、道長自筆の日記
「御堂関白記」が残っていて、道長が能書としてすぐれた人であったことを示している。
・・・
かしら、かしら、ご存じかしら?藤原道長は「能書」なんだってさ∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですとぉ!?
・・・日記は人に見せるものではないから、怱卒[そうそつ]に書くのが普通である。
そして「御堂関白記」も怱卒に書いている。しかし、字形は整斉にして結体は完好で
あり、運筆は巧妙にして筆力が充実している。老年の道長は「心神不覚」になったこと
が度々ある。「心神不覚」になった日でも、字形は崩れていないし、筆力はにぶって
いない。それ故、道長はすぐれた「能書」であったと考えられる。/・・・
専門家による評価だから尊重すべきだけど、後半は春名好重の誤解の可能性がオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
倉本一宏が本書の「おわりに」の「日付の間違い」という項で「自筆本を見ていると、本来記すべき
日とは違う日の箇所に記事を記し、圏線で本来の日の箇所を示していることが、何箇所も出てくる。
何故にこんな事が起こるかを想像すると、道長は必ずしも毎日、日記を記していたのではないという
ことである。」と指摘しており、道長は「心神不覚」になった日にも書いていたとは限らない(^_^;)
ちなみに、春名好重は〈道長の書跡は「御堂関白記」及び「金峯山埋経」がある。〉として、本書も
「金峯山埋経」という見出しの節があり、その書跡については「字形は方形にして端正であり、点画
は温雅にして細密である。謹厳に、入念に書写したらしい。」という評〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・/道長は[藤原]行成より六歳年長である。行成と同じ時代の人であるから、
その書風は端正にして温雅な和様である。教養の豊かな人であり、剛毅な人であった
から、その書は高雅であり、筆力がある。道長は政治家であったから、書に特別努力
をしなかった。もし行成のように努力をしていたら、おそらく行成にまさる「手書き」
になったことと考えられる。/・・・
全てではないけど、カギカッコ付きの「能書」と記してるし、春名好重は藤原道長が秘めている潜在
的な才能を買ってるのかな(^_^;) 秘密兵器のまま終わった帝京の秘密兵器の類・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
・「賢人右府」と言われている実資よりも、ホントは道長の方が読書家なのかもねエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-18
【読んだ本】
倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(下)』(講談社学術文庫,2009)所蔵本
本書の「おわりに」で、倉本一宏は「文字について」という見出しで次のように記している(@_@;)
/よく道長の字は汚いと言われる。名和修氏は「格調高い字」と言われるが、
いずれにせよ、個性的な字であることには違いない(自分でも「能書に非ず」
と書いている)。しかし、・・・また、先年気付いたことには、金峯山寺に
奉納した経典の字もまた、道長の書いたものであるが、それは確かに達筆と
称することができる字である。つまり、道長は本気で綺麗な字を書こうと思えば
書けたのであり、『御堂関白記』のみを以て字が汚い人と断じては気の毒という
こうになる・・・。それに、毎日眺めていると、なるほど「格調高い字」に
見えてくるものである。/
「本気」を出せばできる、やる時はやる男だと倉本一宏は藤原道長のことを考えているみたい(^_^;)
でも、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』(講談社学術文庫,2009)の寛弘
元年(1004年)6月4日条には「右大弁(藤原行成)の許に紙を送り、手本を書かせた。(藤原)頼通
のためのものである。」と、藤原彰子入内屛風でも倉本一宏編『現代語訳 小右記3』(吉川弘文館,
2016)129頁の長保元年(999年)10月30日条に「右大弁(藤原)行成が、屛風の色紙形を書いた。」
(倉本一宏[全現代語訳]『藤原行成「権記」(上)』[講談社学術文庫,2011]251頁の同日条にも
「倭絵四尺屛風の色紙形を書いた〈故(飛鳥部)常則の絵である。和歌は、現在の左丞相(道長)以
下が詠んだ。〉。」)とあり(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-04-28 )、
息子のための「手本」や娘の入内のための「屛風の色紙形」を、ともに藤原道長が自ら書かなかった
ということは、藤原道長が「本気」を出す必要のない場面だった、ということになるのかねぇ(^_^;)
かしら、かしら、お気付きかしら?昨日メモった春名好重『上代能書伝』(木耳社,1972)の目次の
中に「藤原道長 御堂関白記」という章が設けられていることに(^_^;) 春名好重は藤原道長のこと
を次のように評していたエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?
・・・道長が能書であったことはほとんど知られていない。しかし、道長自筆の日記
「御堂関白記」が残っていて、道長が能書としてすぐれた人であったことを示している。
・・・
かしら、かしら、ご存じかしら?藤原道長は「能書」なんだってさ∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですとぉ!?
・・・日記は人に見せるものではないから、怱卒[そうそつ]に書くのが普通である。
そして「御堂関白記」も怱卒に書いている。しかし、字形は整斉にして結体は完好で
あり、運筆は巧妙にして筆力が充実している。老年の道長は「心神不覚」になったこと
が度々ある。「心神不覚」になった日でも、字形は崩れていないし、筆力はにぶって
いない。それ故、道長はすぐれた「能書」であったと考えられる。/・・・
専門家による評価だから尊重すべきだけど、後半は春名好重の誤解の可能性がオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
倉本一宏が本書の「おわりに」の「日付の間違い」という項で「自筆本を見ていると、本来記すべき
日とは違う日の箇所に記事を記し、圏線で本来の日の箇所を示していることが、何箇所も出てくる。
何故にこんな事が起こるかを想像すると、道長は必ずしも毎日、日記を記していたのではないという
ことである。」と指摘しており、道長は「心神不覚」になった日にも書いていたとは限らない(^_^;)
ちなみに、春名好重は〈道長の書跡は「御堂関白記」及び「金峯山埋経」がある。〉として、本書も
「金峯山埋経」という見出しの節があり、その書跡については「字形は方形にして端正であり、点画
は温雅にして細密である。謹厳に、入念に書写したらしい。」という評〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・/道長は[藤原]行成より六歳年長である。行成と同じ時代の人であるから、
その書風は端正にして温雅な和様である。教養の豊かな人であり、剛毅な人であった
から、その書は高雅であり、筆力がある。道長は政治家であったから、書に特別努力
をしなかった。もし行成のように努力をしていたら、おそらく行成にまさる「手書き」
になったことと考えられる。/・・・
全てではないけど、カギカッコ付きの「能書」と記してるし、春名好重は藤原道長が秘めている潜在
的な才能を買ってるのかな(^_^;) 秘密兵器のまま終わった帝京の秘密兵器の類・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
・「賢人右府」と言われている実資よりも、ホントは道長の方が読書家なのかもねエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-18
我々もblogだから能書なのであって、手書きで毎日書いていたら
とんでもない字になりそう(笑)。
年末調整の時だけ本気を出して手書きかな・・・・
by tai-yama (2022-08-21 22:56)
本気を出す…そろそろ小中学生たちがそう言いながら夏休みの課題を必死でやるころですね(^^;)
by ナベちはる (2022-08-22 01:15)
年末調整は、本気を出しても出さなくても、
tai-yama様、結果は変わらぬ気が(^_^;)
by middrinn (2022-08-22 05:54)
保護者の皆さんも、そろそろ本気を出して、
ナベちはる様、課題を手伝わないと(^_^;)
by middrinn (2022-08-22 06:06)
御堂関白記の字ですが。
ちゃんと調べたこと無かったんですが。残っているの。写書じゃ
無かったんですね。「部分的に」とか。結構普通は複雑なケース
も多いように、聞いたような気がしますが。
by df233285 (2022-08-22 07:40)
倉本一宏は、『御堂関白記』は他の貴族の日記とは違って
子孫のために書かれたものではない、と主張してますけど
(小生は疑問)、自筆本が残ってるのは皮肉な気が(^_^;)
by middrinn (2022-08-22 07:55)
某小説によれば道長は暦に日記を書いていたとか。振り返りながら、心を込めて達筆で書いていたのでしょうか。
by yokomi (2022-08-22 18:47)
具注暦に記してた由(^_^;)
by middrinn (2022-08-22 19:02)